Numero TOKYO おすすめの2020年8月の本
あまたある新刊本の中からヌメロ・トウキョウがとっておきの3冊をご紹介。
『首里の馬』
著者/高山羽根子
本体価格/¥1,250
発行/新潮社
主人公の静かな祈りが心に響く芥川賞受賞作
古びた郷土資料館に保存された、沖縄の人々から集めたさまざまな資料の整理を中学生の頃から手伝いつづける未名子。問読者(トイヨミ)と通称される『孤独な業務従事者への定期的な通信による精神的ケアと知性の共有』業務のオペレーターとして、世界のあちこちに点在する人々にクイズを出題することを生業としながら、父親が残した家に一人で暮らしている。
世間と距離を置きつつ、平穏な日々を過ごしていた未名子だったが、台風の夜に庭へと迷い込んできた謎めいた生き物との出会いと、高齢の館長が資料館を手放さざるを得なくなったことをきっかけに、ある行動を起こし始める。
物語の中で未名子が出題するクイズは「小さな男の子、太った男。——そしてイワンは何に?」「鴨川、波、造形の影響は、何者へ?」といった数少ない単語で成り立っている。一見、無関係に見える単語が、ある約束ごとでつなぎ直すことで「有機的に関連していき、切り離されたものがまた別の項目と紐づけられ」ていく様子は、人々の記憶や情報を“正しく”アーカイブすることの重要性を感じさせる。
物語の終わりで描かれる、未名子が自分のとった行動についての想いは実にすがすがしく、あらゆる景色が変容してしまった現実への祈りのように思えてくる。少し先に生きる未来の姿さえ見通せない状況だからこそ手に取ってほしい、第163回芥川龍之介賞受賞作品。
『百年と一日』
著者/柴崎友香
本体価格/¥1,400
発行/筑摩書房
「物を語る」ことの意義を問う、柴崎友香の新境地
さまざまな時間と場所の中で、あらゆる人々が体験した33の出来事を描いた物語集。描かれる物語は多種多様で、昔話のようなものもあれば奇譚めいたものもある。物語ごとに見れば掌編のような姿なのだが、読み進めるごとにその異様さに気付かされる。
過去形で綴られた物語の舞台となる時代や場所については特定できるような描写がなく、登場する人々にいたっては大半の者が名前すら持たない。この曖昧な輪郭によってあらゆる境界がにじみ、物語がどこか身近な場所で実際にあった出来事かのように錯覚してしまう読者もいるだろう。
また連作形式のものを除き、それぞれの物語には「逃げて入り江にたどり着いた男は少年と老人に助けられ、戦争が終わってからもその集落に住み続けたが、ほとんど少年としか話さなかった」といった概要がわかる題名がつけられている。しかし実際に物語を読むと、題名からは決して知り得ない事象や人々の想いの多さに驚かされ、ときには真実すら切り捨ててしまう簡略化という行為の怖さや難しさを感じさせる。物を語る、伝えるということの意義をあらためて問いかける一冊。
『ビギナーズラック』
著者/阿波野巧也
本体価格/¥1,800
発行/左右社
31音で綴られた、胸を揺さぶる心の記憶
刊行直後から話題を呼び、異例の人気を見せている阿波野巧也の第一歌集。1993年生まれの彼が2012年から2019年にかけて詠んだ308首が編年体で収録されているのだが、関西に住む「ぼく」の暮らしのうつり変わりを垣間見せる数々の歌は、ひとりの青年が成長していく様子を綴った物語のようでもある。
感情の渦に巻き込まれることなく「ぼく」の心情をみずみずしいままに閉じ込めた短歌の中には、「ぼく」と「きみ/あなた」との恋模様を思わせるものもある。すべての「きみ/あなた」が同じ人物なのかは明かされないが、ともに学生時代を過ごし、離ればなれで暮らす期間を経たのち「ふたり暮らしのはじまる四月」を迎える「ぼく」の相手が同一の「きみ/あなた」であってくれと願わずにはいられなくなるほどの切なさと純粋さがそこにはある。
また本書のもうひとつの魅力といえるのが、歌人・斉藤斎藤による解説文だ。正岡子規にはじまる近代短歌の流れから、「自撮り文化の洗礼を受け、世界と同じ画面に写る〈わたし〉をどう詠むか、という課題に直面した最初の世代」である阿波野の短歌が持つ特異性まで解説したテキストに、現代短歌への興味をかき立てられる人もいるだろう。どんな心の動きも未来の自分へとつながることを感じさせる308首は、失われた物事への思慕が高まりがちな今だからこそ読んでおきたい。
Text & Photo:Miki Hayashi Edit:Sayaka Ito