ロックマインドを貫いて、あっという間に散ってしまったYOSHIへ、哀悼の意を込めて。 | Numero TOKYO
Fashion / Editor's Post

ロックマインドを貫いて、あっという間に散ってしまったYOSHIへ、哀悼の意を込めて。

幾度か小誌にもご登場いただいたYOSHIが、2022年11月5日交通事故で急逝しました。あまりにも急な訃報に言葉を失い涙したのですが、いま私にできることは、彼を記録するということ。出会ってからの彼との交流や小誌が取材した内容をまとめ、追悼記事を仕上げました。彗星の如く現れてあっという間に散ってしまった、才能溢れるYOSHIの短い人生を、どうか覚えておいてください。

どこまでも尖っていて、それでいて素直。それがYOSHIだった。彼の存在は、慣例による縦社会をひっくり返し、そこにどっぷり浸かった大人たちを驚かせ、世の中の“当たり前”に抗い、まるで古びた昭和的発想へのカンフル剤のようだった。

もちろんアレルギー反応を起こす人もいたし、その違和感を「子どもの戯言」と片付けてしまう人もいた。それでもYOSHIはまったく姿勢を変えずに、『壁を壊して新時代を生きる』という自分らしさを貫いて、有り余るエネルギーを開花させようと一生懸命生きていた。まるでロックスターのように。

2018年11月 初めて出会ったDIOR MENSのショー
2018年11月 初めて出会ったDIOR MENSのショー

最初に出会ったのは、2018年11月30日に東京で行われたDiorのメンズ プレフォールコレクションのアフターパーティ。「俺、YOSHIっていうんだ。インスタのアカウント交換しよ〜!」と気さくに話しかけてきた。まだ15歳だった彼は、小さいながらもとびきりオシャレで、尖った空気を気負いながらも素直に、自分の言葉で話す、可愛い顔をした男の子だった。こんなキラキラしている若者見たことないなと勢いに圧倒されたのを思い出す。

映画『タロウのバカ』完成披露試写会にて。
映画『タロウのバカ』完成披露試写会にて。

それからはよく連絡を取り合い、「俺が主役を務める『タロウのバカ』の完成試写会があるから見に来て〜。一緒に見ようよ」と誘ってくれたり、新曲が仕上がったから「絶対聞いて〜!」とDMなどで音源を送ってきてくれた。

J-WAVE「STEP ONE」収録中の様子 「First Time on the Radio by YOSHI」。

J-WAVEのSASHAさんと当時のMCなぎささんの番組「STEP ONE」で、”私の注目の人” としてYOSHIを紹介させてもらい、デビュー曲「Cherry Boy」を披露してもらった。

Numero TOKYO 2019年9月号「新しい時代のクリエイターたち」にて。 Photo: Kishimari
Numero TOKYO 2019年9月号「新しい時代のクリエイターたち」にて。 Photo: Kishimari

2019年9月号 / 129号「新しい時代のクリエイターたち」でも彼を取り上げ、小さな体ながらも世界を見据え「天下をとる!」という野望を持って、気高く生きている姿を取材させてもらった。出会いが次の仕事をうむという「天性の引き寄せる力」は、クレイジーさと素直さから生まれているということを、彼自身、熟知していた。

Numero TOKYO 2019年9月 / 129号 「僕らのアイデンティティ」より。 Photo: Chikashi Suzuki
Numero TOKYO 2019年9月 / 129号 「僕らのアイデンティティ」より。 Photo: Chikashi Suzuki

同号にて『タロウのバカ』に同じく主役として出演していた俳優の菅田将暉さん、仲野太賀さんとともに登場いただき、 映画製作時の裏話や先輩が描くYOSHIについての印象などを伺った。「圧倒的なニュージェネレーション感(菅田)」「こんな人見たことない、何なんだ(仲野)」と、YOSHIのことを“逸脱した普通じゃないやつ”と二人を唸らせていた。「僕らのアイデンティティ」より。

2019年11月/131号では、kolorのレディースをセルフスタイリングで着こなした斬新なビジュアルを一緒に生み出した。

2019年11月号/131号 kolorショールームでレディースアイテムをセルフスタイルングするYOSHI。
2019年11月号/131号 kolorショールームでレディースアイテムをセルフスタイルングするYOSHI。

レディースを素敵に着こなすYOSHIは、何でもありを自ら体現する、現代っ子の象徴のようだった。自由奔放を見事に昇華する彼の快進撃は止まらず、周囲を巻き込んでは新しいものを生み出し続けていた。

2019年11月/131号より。kolorのレディースを着こなすYOSHI。 Photo:Takay
2019年11月/131号より。kolorのレディースを着こなすYOSHI。 Photo:Takay

撮影後の打ち上げの際には、焼き鳥が好きだというYOSHIのリクエストに恵比寿の焼き鳥屋で集合。未成年の彼はコーラを片手に焼き鳥を食べながら、上機嫌で饒舌で大好物の「銀杏の炙り焼き」を、その日に準備されていた店の在庫すべてを頼んでペロリと一人で平らげていた。テンションは常にマックスで、いろんな意味で、普通を超えた超人のような男の子だった。

この日、帰った後にYOSHIのお母さまと一緒にLINE電話をくれた。その時に、お母さまからも「YOSHIがいつもお世話になっています」とご挨拶をいただき、家に戻ってから母親と一緒に電話をしてくるという奇想天外な行動が面白すぎて、こちらがハラハラドキドキワクワクさせられた。やっぱり、こんなアッパレな人はいないなと。

2019年7月 KAWS 展 @ふもとっ原にて。親交のあったROLAと3人で。
2019年7月 KAWS 展 @ふもとっ原にて。親交のあったROLAと3人で。

何があったのか詳細はわからないが、所属事務所との折り合いでYOSHIはいったん表舞台から姿を消した。その期間にたまたま六本木で、自転車に乗ったYOSHIにバッタリ会った。変わらず元気なYOSHIが「あこちゃ〜〜ん」と声をかけてくれた。「元気だった? 大丈夫なの?」という私に「いろいろあって〜、またゆっくり話したい!」と言いながら自転車で颯爽と去っていた。それからも表舞台には戻ってはこない日々が続いた。

2021年 MIYASHITA PARKにて催されていたエキシビション会場にて。
2021年 MIYASHITA PARKにて催されていたエキシビション会場にて。

今年に入って日本テレビでオーディション番組に出演しているYOSHIを見た。「YOSHIKIさん、あらためましてよろしくお願いします。第二の人生に向かって、進んでいくというタイミングだったので 是非やらさせてくれ、ということで来ました」とテレビの中で挨拶しているYOSHIを見て驚いた。何に驚いたか、それは敬語を話していたからだった。

YOSHIは子どものような無邪気な少年から、社会に合わせてチューニングをしながら生きる19歳らしい青年に変わっていた。それでも自分らしさを失わず一生懸命頑張っている姿を見て、胸を撫で下ろした。後に、YOSHIと同世代の友人に聞いたところ先の見えない状況に戸惑い、落ち込んでいた時期があったそうだ。

そんなYOSHIが人生を再スタートしようと活路を見出していたのがYOSHIKIさんのオーディション番組「YOSHIKI SUPERSTAR PROJECT X」だった。その中で合格者として名を連ねていた彼は、デビュー間際のLA合宿で「同じ夢を持つ仲間たち」とともにスタート地点にたっていた。YOSHIのカリスマティックな人柄は健在だったけれど、手を取り合って戦う仲間を得て新しい居場所を見つけたようだった。

後にYOSHIKIさんのツイートで明るみになった、エナジードリンク「リアルゴールドX」「リアルゴールドY」のブランドムービーで流れている楽曲のボーカルを担当していたのがYOSHIだったそうだ。YOSHIKIさんの素晴らしい楽曲に歌声を乗せて届ける新しい逸材になれたはずだったYOSHI。それも叶わない夢となってしまった。

YOSHIならやるだろうな、これからさらに怪物と化して新時代を引っ張っていくのだろうな、そしたらまた、取材をさせてもらって、20代になったYOSHIの新しい言葉を記録していきたいなと期待していたのに。生きていたら、いろんな側面のYOSHIに出会えただろうにと無念でならない。

2020年4月30日 チャリティマスク&Tシャツを販売。売り上げの全額を日本赤十字社に寄付。
2020年4月30日 チャリティマスク&Tシャツを販売。売り上げの全額を日本赤十字社に寄付。

でも、実は年齢を重ねていくという事実を本人が一番戸惑っていたのかもしれない。いや、今は何をいっても「たられば」でしかなく、YOSHIがいない現実だけが目の前にある。

天国でも破天荒にロック魂が疼いて、暴れまわっているのかな。彼の魂は、そんな簡単に鎮まらないだろうから……。ホンモノのスターになる前に散ってしまったYOSHIという逸材がいたことを、どうか覚えておいてほしい。そして、こういった不慮の事故で命を落とす人がひとりでも少なくなることを、心から願わずにはいられない。

YOSHI、どうか安らかにお眠りください。





Profile

田中杏子Ako Tanaka 編集長。ミラノに渡りファッションを学んだ後、雑誌や広告に携わる。帰国後はフリーのスタイリストとして『ELLE japon』『流行通信』などで編集、スタイリングに従事し『VOGUE JAPAN』の創刊メンバーとしてプロジェクトの立ち上げに参加。紙面でのスタイリングのほか広告キャンペーンのファッション・ディレクター、TV番組への出演など活動の幅を広げる。2005年『Numéro TOKYO』編集長に就任。著書に『AKO’S FASHION BOOK』(KKベストセラーズ社)がある。
Twitter: @akotanaka Instagram: @akoakotanaka

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