名匠ファティ・アキン監督がドイツの“零年”を詩的な光で照らし出す『白パンと独裁者』 | Numero TOKYO
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名匠ファティ・アキン監督がドイツの“零年”を詩的な光で照らし出す『白パンと独裁者』

第二次世界大戦の末期──ドイツ北部のアムルム島に吹く風は、敗戦の気配と静かな終焉のざわめきを孕んでいる。1973年生まれ、ハンブルク出身のファティ・アキン監督は、トルコ系移民としての出自を抱えながら、『愛より強く』(1998年)、『そして、私たちは愛に帰る』(2007年)、『ソウル・キッチン』(2009年)、『50年後のボクたちは』(2016年)、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞した『女は二度決断する』(2017年)など、移民、暴力、音楽、青春といった多彩な題材を自在に横断し、人間の奥底にある震えを掬い上げてきた。そのキャリアの延長線上で、彼は1945年という歴史の転換点を、詩的かつ簡潔なまなざしによってひとつの物語へと結び直す。原題の“AMRUM”が示す通り、本作『白パンと独裁者』はアムルム島という小さな世界に、戦争の影と少年の揺らぎを同時に刻む作品である。

戦争の終わりを告げる風が、少年の無垢と母の崩壊を同時に揺らす

1945年4月。大都市ハンブルクの爆撃から逃れ、アムルム島へ疎開した12歳のナニング(ジャスパー・ビラーベック)。彼は身重の母ヒレ(ローラ・トンケ)、幼い弟妹、叔母エナ(リーザ・ハークマイスター)と暮らしながら、親友ヘルマン(キアン・ケップケ)と共に農場主テッサ(ダイアン・クルーガー)の作業を手伝い、その報酬として得られる食糧で家族を支えている。父はSS(ナチス親衛隊)将校として戦地に出征し、母ヒレは熱狂的なナチ信奉者としてヒトラーへの忠誠を疑わない。島民たちが終戦を待ち望むなか、まもなくラジオがヒトラー死去を告げた瞬間、ヒレは精神を崩壊させ、食事を拒み、生気を失っていく。彼女が唯一求めたのは、戦時下ではほとんど手に入らない“白パンにたっぷりのバターとはちみつ”という甘い救いだった。ナニングは母の願いを叶えるため、物資不足の島を踏破する冒険に身を投じるのだが──。

ナニングは“ミッション”遂行の過程で、地元の少年からウサギの狩りと解体を学び、漁師のアザラシ漁を手伝い、治療用の貴重な小麦粉を求め、隣島へ渡る。その中で彼は、戦争の残酷さ、家族の秘められた過去、そして自らが素朴に信じてきた価値観の崩れゆく音を聞くことになる。この構図はロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』(1948年)と響き合う。少年の視線を通して敗戦のざらつきを描くという点で、本作はヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(1948年)などイタリアン・ネオレアリズモの精神を確かに受け継いでいる。またファティ・アキン監督は冷徹な現実描写を踏まえつつ、同時にアムルム島の海景や草原の光を通して、より詩的で柔らかな抒情を作品に息づかせる。『インデペンデンス・デイ』(1996年/監督:ローランド・エメリッヒ)や『ブラックブック』(2006年/監督:ポール・ヴァーホーヴェン)で知られる撮影監督カール・ウォルター・リンデンローブによる絵画のような美意識溢れる映像は、荒れ狂う波、野原を渡る風、レンガ造りの家々を静かに捉え、戦争の終わりを告げる穏やかな呼吸として画面に満ちる。

ナニングの成長譚は、ナチスドイツ末期という崩壊の時代に、少年が世界の残酷さと優しさを同時に知るという点で『ジョジョ・ラビット』(2019年/監督:タイカ・ワイティティ)と深い呼応を見せる。都会から疎開した少年が地方で友情と葛藤を経験するという構図は、日本映画『少年時代』(1990年/監督:篠田正浩)にも重なる。そして、激変する社会体制の転換期に母を守ろうと奔走する息子の姿という点では、ドイツ映画『グッバイ、レーニン!』 (2003年/監督:ヴォルフガング・ベッカー)とも鮮やかな対照を成す。あちらが「優しい嘘」で母を包む物語なら、こちらは「崩壊の現実」を抱えたまま母の願いを叶えようとする物語だ。しかしアキンは風刺の高鳴りを選ばない。彼が寄り添うのは、海辺の光や草のさざめき──叫びではなく、ささやきで世界の崩壊を伝える語り口だ。アキン自身が『スタンド・バイ・ミー』(1986年/監督:ロブ・ライナー)を意識したと言うとおり、少年期の喪失と発見が、光の層となってゆるやかに積み重なっていく。

本作は、86歳で亡くなったドイツ映画界の重鎮ハーク・ボーム(1939年生〜2025年没)が晩年に書き上げた脚本を、彼を敬愛するアキンが受け継ぎ、映画として完成させた作品である。クレジットに刻まれた「A Hark Bohm film by Fatih Akin」という一文は、単なる敬意ではない。そこには映画の血脈が流れている。ボームはニュー・ジャーマン・シネマの重要人物であり、ファスビンダー作品の常連俳優であり、青少年映画の名匠でもある。アキンは若い頃から彼を自身の原点として挙げ、脚本家としても『50年後のボクたちは』や『女は二度決断する』で協働してきた。

その師弟関係にある二人が築いてきた創作上の信頼が、この脚本を映画へと導く礎となったのだろう。『白パンと独裁者』は、善悪の境界を単線的に裁く物語ではない。少年が世界の複雑さに初めて触れる瞬間に生まれる、かすかな痛みを描いた映画だ。戦争の終わりの光が心にどんな影を落とすのか──アキンはその変化を少年の視界から丹念に追っていく。ナニングが母のために白パンを探す旅は、単なる筋立てではない。それは“無垢の二面性”──人が善にも悪にも傾きうる起源を示す寓話として機能している。アキンは、暴力の根源にも人間がいること、その起源を理解することこそが連鎖を断ち切る唯一の道であることを、控えめな語り口で示唆する。

ナニングの母ヒレが体現するのは、時代の崩壊に直面した時の人間の脆さであり、信じてきた価値観が瓦解する瞬間に生まれる痛みである。アキンはその感情の変位を少年のまなざしを通して描き出し、アムルム島の風景と共に観客の心に長く残る映画へと見事に結晶させた。2025年、第78回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門正式出品作品。

『白パンと独裁者』
監督・脚本/ファティ・アキン
出演/ジャスパー・ビラーベック、ローラ・トンケ、リーザ・ハークマイスター、キアン・ケップケ、ダイアン・クルーガー
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて大ヒット上映中
www.bitters.co.jp/shiropan/

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

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