石井裕也監督が戦前日本の“思考の崩壊”を体験させる。映画『開戦前夜』 | Numero TOKYO
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石井裕也監督が戦前日本の“思考の崩壊”を体験させる。映画『開戦前夜』

太平洋戦争の直前。若き官僚、軍人、民間エリートたちが、内閣総理大臣直轄の研究機関「総力戦研究所」で模擬内閣を結成し、日米開戦の行方を“論理とデータ”でシミュレーションした──。映画『開戦前夜』は、この実在のプロジェクトを軸に、国家の意思決定がいかにして誤りへと傾いていったのかを描く歴史ドラマである。2025年8月に放送されたNHKスペシャル『シミュレーション 昭和16年夏の敗戦』のドラマパートに、約40分の新規シーンを加えた完全版。原案は猪瀬直樹のノンフィクション本『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)。 本作は日本映画では稀有な「インテリジェンス(情報活動)」映画であり、『川の底からこんにちは』(2010年)、『舟を編む』(2013年)、『月』(2023年)などの時代をリードする監督・石井裕也(1983年生まれ)が到達したディスカッションアクト(討論劇)の傑作である。

“空気”が国家を誤らせる──日本版インテリジェンス映画のランドマークにして、討論劇の傑作

政治、軍事におけるインテリジェンスとは、単なる情報の収集ではなく、国家が正しい判断を下すため、データに価値ある分析を付与すること。例えば映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年/監督:モルテン・ティルドゥム)で描かれたように、数学者アラン・チューリングたちイギリスのエニグマ暗号解読チームは、ドイツ軍の攻撃を先読みして戦争の趨勢を変えた。対して日本はどうだったか。『開戦前夜』は日本精鋭の若き頭脳たちが“価値ある知見”を生み出そうとする過程を描いていく。

1941(昭和16)年4月。日中戦争の長期化による軍や国家の財政・物資圧迫、北部仏印進駐に伴う米英との対立激化、そして南方進出や対ソ備えの迷走という状態にあった当時の日本。もしここでアメリカと開戦したら──その行方を正確に予想するべく、官僚、軍、民間から選抜されたトップエリートたちが「総力戦研究所」に招集された。総理大臣役に指名されたのは、民間出身である産業組合中央金庫の調査課長・宇治田洋一(池松壮亮)。東大卒業後、農業・水産業などに関わる経済データを集める仕事に従事していた青年だった。ほか、通信社の政治部記者・樺島(仲野太賀)が情報局長として、海軍少佐の村井(岩田剛典)が海軍大臣として、陸軍少佐の高城(中村蒼)が陸軍大臣として、物価局事務官の峯岸(三浦貴大)が経済担当の企画院総裁として、数十名に及ぶ精鋭メンバーたちが議論に加わる。

こうして宇治田をはじめとする研究員たちは、国家機密レベルのデータを駆使した激烈な議論を交わしていく。石油備蓄量、輸送船の撃沈予測、世界情勢の推移、ナチスドイツの戦況――しかし彼らが導き出したのはあまりに衝撃的な結論だった。
「日本必敗」。
開戦すれば日本全国民の生活がズタズタに壊滅する最悪の未来予想図が見えてくる。ところがその結論は、「大和魂」などの精神論や「やってみなければわからない」といった非論理的な怒号と共に、当時の日本社会を覆う“空気”へとずっぽり呑み込まれていく……。

本作の白眉は、総力戦研究所で繰り広げられる討論の緊張感だ。冷静にファクト(事実)と向き合い、数字とロジックで戦争を解析していく若者たち。当初は開戦に前向きだった者たちもデータの積み重ねによって徐々に意見を変えていく過程は、我々観客自身が模擬内閣の一員になったかのような臨場感を生む。

石井裕也はこのシミュレーションを、単なる歴史再現ではなく、観客を巻き込む“体験”として再構築した。そして石井は、なぜ敗戦を予測しながら、誰も愚かな戦争を止められなかったのか?──という巨大な問いに対し、“空気”を理由の核心に置く。評論家・山本七平(1921年生~1991年没)が『「空気」の研究』(文春文庫)などで指摘した日本社会の特性──論理を超えて、集団を拘束する見えない絶対権力。この得体の知れぬ同調圧力が若き頭脳たちの結論を無効化し、歴史を未曽有の悲劇へと導いた。

サブプロットでは、宇治田の家族の姿が浮かび上がる。夫の戦死を受けて実家へ戻った妹・小百合(二階堂ふみ)と幼い娘・初子。作家志望でありながら、俗に“赤紙”と呼ばれる召集令状を受け取ってしまう弟・英二(杉田雷麟)。そして宇治田自身もまた、満州で両親が命を落とした出来事の真相を追う過程で、憲兵から理不尽な扱いを受けた過去を抱えている。 こうした家族にまで差し込む戦争の残酷な影は、彼が国家の未来を真剣に見据えようとする理由を静かに補強していく。

さらに、和平交渉の道を模索していた当時の総理大臣・近衛文麿(北村有起哉)の虚ろな表情。その辞任後、陸軍大臣から首相へと就任した東條英機(佐藤浩市)が、“時流”に抗えぬまま開戦へ追い込まれていく姿も描かれる。ここには、従来の単線的な戦争責任の理解を超え、むしろ「神風日本」を妄信/盲信する当時の国内多数派の“空気”こそが、判断を縛ったのではないかという視点が示唆されている。

翻れば2005年、大阪芸術大学の卒業制作として撮られた石井裕也の初長編『剥き出しにっぽん』以来、彼の映画には常に独自の“日本論”が脈打ってきた。社会の歪みや共同体の支配力──それらを若い感性で直視し続けてきた作品群は、一見多様に見えながら、根底ではただひとつの問いへと収斂していく。
「人はどうすれば主体的に生きられるのか」。
この問いは石井のフィルモグラフィ全体を貫く背骨であり、『開戦前夜』ではついに最も直接的かつ決定的な形で結実する。 本作に響くメッセージ── “空気”に流されるな。主体と正気を取り戻せ、とでもいった含意は、祈りにも似た切実さを帯びている。

石井は昭和16年の“空気”を過去の遺物としてではなく、現代日本にも通底する構造として捉える。誰も責任を取らず、物事の本質を見ず、雰囲気や情緒に流され、具体的な問題を先送りし、なし崩しに物事が進んでいく。こういった危うさは、戦前日本の特殊性ではなく、いま我々が生きる社会の深層に潜むものだ。いや、その傾向があまりにも露骨に浮上しているのが令和8年──2026年の日本の現状かもしれない。

『開戦前夜』は戦前日本を描きながら、明らかに“いま”を撃つ映画である。“空気”に支配される日本社会への警鐘であり、若き頭脳たちが導いた「日本必敗」 という論理がなぜ歴史を動かせなかったのかという問いを、観客自身に突きつける。さらに、オールスターキャストを精密に束ねる石井裕也の演出家としての円熟も作品の大きな魅力だ。俳優たちの演技が互いに響き合い、群像劇としての密度が高まることで、物語の緊張が一層際立つ。また『チャップリンの独裁者』(1940年)や、フリッツ・ラング監督の光と影のコントラスト、街角の壁に映るシルエットなどを想起させる演出が随所に施されている点にも注意を払いたい。

『開戦前夜』

出演/池松壮亮、仲野太賀、江⼝洋介、佐藤浩市
監督・脚本・編集/⽯井裕也
原案/猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」中央公論新社
全国公開中
https://kaisenzenya.com/

配給/東京テアトル
©2026 ポニーキャニオン/東京テアトル/NHKエンタープライズ/RIKIプロジェクト

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

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