石橋英子×濱口竜介インタビュー「“都市、ゴミ、そして死”というテーマを模索して」
映画『ドライブ・マイ・カー』(2021)で意気投合した石橋英子と濱口竜介監督によるプロジェクト『GIFT』。石橋から濱口への映像制作のオファーをきっかけにサイレント映像が完成し、第80回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した映画『悪は存在しない』を誕生させるに至る。直近では3月19日に東京・PARCO劇場で行われる、濱口の映像と石橋の即興ライブ演奏による「一回きり」のライブ・パフォーマンスであり、シアターピースとして続いていく『GIFT』の発案者である二人が、その道のりを振り返る。
『ドライブ・マイ・カー』から始まった縁
──シアターピースとなったプロジェクト『GIFT』の成り立ちからお伺いしてもいいですか? 2021年の11月、石橋さんと濱口さんをインタビューさせていただいたときは、まだ動いてはいなかったのでしょうか。
濱口「そのときはまだ始まってないですね」
石橋「でも、あのとき(ジャン=リュック・)ゴダールの話になったことは少し影響しているかもしれないです。きっかけについてお話しすると、海外のプロモーターの方から『映像と一緒にライブパフォーマンスをやらないか』という提案があったんですよね。いわゆる音楽と一緒に見る映像というと抽象的なイメージがあって、自分がそれをやって面白いのだろうかとあまりピンと来なくて。それでしばらくそのお話は放っておいたんです。ちょうどその頃、濱口さんの過去作品、東北記録映画三部作『なみのおと』(2011)、『なみのこえ 気仙沼』『うたうひと』(ともに2013)を観て、すごく詩的な映像表現をされる方だなと思いました。被害を受けた方たちの具体的な話ではあるんですけど、同時にそこから風景が蘇ってくるような作品をつくられる方だなと」
濱口「そう言っていただけるとうれしいです」
石橋「『ドライブ・マイ・カー』(21)でご一緒した経験がすごく楽しかったですし、私自身も、土地の記憶に興味があったので、そういうものを一緒につくれたら毎回新しい気持ちで演奏できるんじゃないかと思い、濱口さんにお願いしました」
──最初のキーワードは土地の記憶みたいなものだったんですね。
石橋「かなり漠然としていて、濱口さんもお忙しかったですし、断られるだろうなと思っていたんですけれど、まさかまさかの『やります』という返事をわりとすぐにいただきました」
濱口「お話を聞いたその場でもうやる方向ではいましたね。それが2021年の年末頃だったと思いますが、2日後にはやる前提でメールのやり取りをしてました」
石橋「びっくりしましたね」
──できそうだという感触があったんですか。
濱口「いやいや、それは思わなかったんですが、まず『ドライブ・マイ・カー』でご一緒して、石橋さんが本当に素晴らしい楽曲を常につくってくださったんですよね。その後、公開に至るまで、ちょこちょこメールのやり取りなんかをして、だんだんわかってきたのは、意外と親しみやすい人だなと(笑)」
石橋「そう、私ね、結構メールとか事務的なことが苦手で、わりと素っ気ないふうに映る可能性があるんですけど、どうでもいい話になると盛り上がってくるところがありますね」
濱口「人間関係として付き合いやすかったこともありますし、自分は嫌なものは嫌だとすぐ思ってしまうほうなんですね。そう思わなかったというのはすごく大きくて。最初に企画の話でお会いしたとき、石橋さんがアルバム『The Dream My Bones Dream』をつくっている際にご自身のルーツを調べて、おじいさまが働いていた満州関連の会社までたどり着き、満州のことをリサーチしたという話を聞いて」
石橋「そうですね。満州の成り立ちや当時の状況なんかを調べて考えながらつくったというお話をして」
濱口「そういうふうに土地を歴史まで調べるところから生まれてくる音楽ってすごく面白いなと。そのときのキーワードとしていただいたのは、土地の記憶、もしくは失われた風景のようなものでしたが、石橋さんが生む音楽にピンと来るキーワードだったんですよね、自分としては。私が東北で撮ったドキュメンタリーも見たうえで話をしてくださったことがわかったので、最終的に映画になりましたけど、全然どうなるか見えなかったし、自分が、何か次に興味のあるものとして、やれるかも?という感じがしました」
──そこからは往復書簡のようなやりとりが始まったのでしょうか。
石橋「送られてきたほうも困るだろうな、という取り留めのないものを送ってました。今日、振り返ってお話しするということで、濱口さんが当時私が書いたメールを送ってくださって、読んでみたんですが、ただの不思議ちゃんのようなメールで驚きました。ただ頭の中に浮かんだことをそのまま書いていて」
濱口「でもその中に、例えば、具体的な映画のタイトルですとか、こういう雰囲気という手がかりのようなものは提示されていました。途中でアカデミー賞があったのでちょっと間が空いて、また会ったときに、全然わからないまま二人でキーワードを出し合ったら、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが二人とも好きだということがわかって。ファスビンダーの『ゴミ、都市そして死』という戯曲があるのですが、タイトルに惹かれるものがあって、買おうとしているんだけれど全然買えなくて、でも気になっているんですよね、石橋さんの音楽に合うんじゃないかと思っていて、みたいな話をしたところ、『私、その上演のときの音楽やりました』と」
石橋「そうそう、2013年にやりました」
濱口「あれは不思議でしたね。その頃はこういう方向性があり得るんじゃないと、ハルトムート・ビトムスキーの映画『塵』(2012)をお渡ししたりもして。最初は都市的インダストリアル的なものから派生して、塵とかゴミをイメージし、自分も清掃工場に見学に行ったりしていたので」
石橋「やりとりを見返してみたら、意外と当初にお互い出し合ったイメージに近いものができたとなと思いましたね」
濱口「ほぼ忘れてましたけどね(笑)。そのときにブレインストーミング的に自分の手札をなんとか出して、これで合ってますかと擦り合わせしていたのは間違いではなかったんだなと」
石橋「当時は何がなんだかわかっていないんだけれど、そういうふうにつくられていくべきなのかもしれないと、今になって思いますよね。時間をかけて、自分の頭によぎるものを積み重ねて。それでもひとつのかたちにすることを目指しているから、全然関係ないように見える考えも、結局は作品の中に落ちていくというか」
山梨にある石橋のスタジオを訪れて
──その暗中模索の時期を抜け出すきっかけがあったのでしょうか。
濱口「それが来るのはもっと後なんですが、都市、ゴミ、そして死というテーマを都市で批判的に撮ることは、結局どこか具体的にそういう場所を借りることを考えるとプロダクションとして難しいなと思ったんですよね。それで行き詰まっていた2022年の9月に、前々から『山梨・小淵沢のスタジオに来てください』とお誘いをいただいていたので、伺いますということになった。そして、本作撮影の北川喜雄さんにカメラを回してもらって、セッションを撮らせてもらったんです」
石橋「そのとき、たまたま、ドラムの石若駿さんとマーティ・ホロベックさんがいて」
濱口「ジム・オルークさんと石橋さんの4人でセッションが始まって。昨日も観直してたんですけど、ものすごくかっこよくて。それで、なるほど、セッションからこういう感じの音楽が生まれてくるのかということはわかっても、何を撮ったらいいかはまだわからなくて。それで、撮らせてもらった映像と、既存のクラシックの映像なんかをはめてみたものを石橋さんに送ったら、メールで、濱口さんが普通にやったほうがもっと面白くなると思いますよ、みたいなニュアンスのお返事をいただいたんですよね」
石橋「そうですね。濱口さんが音楽と合わせるとしたら……という気持ちでつくるよりも、音楽を一旦忘れて、独立したものとしてつくったらきっと絶対面白いと思って」
濱口「それで2022年の12月にリサーチが始まって、石橋さんのお知り合いで、山梨県の県境や長野県に住んでいる方を紹介してもらい、その方々が本当に的確だったんですよね」
石橋「原村に住んでいらっしゃる、森のエキスパートみたいな方がいて。子どもたちが来たら、流しそうめんの装置を竹でつくったり、魚も手摑みで取ったりされていて」
──そこから脚本ができていったんですね。
濱口「そうですね。映画『悪は存在しない』の脚本が。結局、自分には普通に映画を撮るということしか、どうもできないらしいと。段取りとしては、脚本を書き、それに基づいた劇映画を撮るのが今までやってきて、いちばん得意なことだろうということで、まず、劇映画をつくることにしたんです。経験上、1本の劇映画を撮る際には、大量の素材が生まれるはずだから、その何十時間の映像の中から、ライブパフォーマンス用のものをつくろうと思いました。石橋さんと話してきたようなことや、こういう映像がいいんじゃないかというものを自然と撮ってしまうような脚本を書こうと。ただ、そこからどういうふうにライブパフォーマンスの映像ができるかはわからないままでした」
石橋「濱口さんが、映像から『悪は存在しない』という映画をつくるという最終的な判断をされたとき、やった! と思いました」
──映画『悪は存在しない』は、石橋さんの音楽が基盤にあるわけですが、何度も繰り返しかかる、冷たくてドライでありながら、感情を静かに揺さぶってくるような美しいテーマソングはどの段階で生まれたものなんですか。
石橋「脚本がもう素晴らしかったので、読んだ時点とラッシュみたいなものを少し見た時点で、一回『GIFT』のことはどうでもよくなってしまったんです(笑)。それで曲をつくり始めました」
──濱口さんから石橋さんへのリクエストはあったんでしょうか。
濱口「一応、ある種のヒントみたいなものとしてあったのは、塵の話をしていた2022年の8月頃に『塵』をテーマにつくったデモを4曲送ってもらっていたんですが、そのこともすっかり忘れていたんです(笑)」
石橋「私もすっかり忘れてました(笑)」
濱口「結局、そのうちの3曲は映画でサブテーマ曲として使わせてもらっています。でもまあ、流れを振り返れば、そのテーマだからこんなにしっくりくるのか、みたいな感じで。一方でメインテーマに関しては、セッションの映像を撮った経験から、石橋さんが自由にやっているとできてくる音楽を自分の中でイメージできたので、それを想像しながら撮った映像を編集したものを2023年の4月末に渡して、そこからつくっていただきました」
──複雑な気持ちにさせられるというか、どこか懐かしさもあって、強い余韻が残るテーマソングですよね。
濱口「本当に。メインテーマとして、もう1曲使っているストリングスの曲を最初に送っていただいたのですが、そちらは不穏さが際立っていて、もう少しどっちつかずみたいなものをお願いしたときに出てきたのが今のメインテーマで、バシッとはまった感じがありました」
石橋「ゴダールの『軽蔑』(1963)に何度も出てくるテーマソングのような使い方ができたらいいな、みたいな話を濱口さんとしていたんですよね」
音楽が広げた映画の可能性
──『軽蔑』のテーマソングを「打ちのめされる音楽」とおっしゃっていましたね。
石橋「そうそう。だから、そこに一旦戻ったみたいなところはありましたね。2023年の4月、私はちょうどジムさんとデュオのヨーロッパツアーをしていて、イタリアで6時間の電車移動があったので、そこで『軽蔑』をもう一度観て、やっぱり素晴らしいなと思ったんですよね。そこから、こういうメロディがいいんじゃないかと歌ったものをメモ録して、それを元にストリングスのスコアを書いていきました」
濱口「あるとき、石橋さんから、『思いついたのでいけると思います』ってメールが届いて」
石橋「そういう感覚的なことをすぐメールで送ってしまって、本当にすみませんでした(笑)」
濱口「いやいや(笑)。自分もMIDI(データ)の段階でテーマソングを受け取ったとき、めちゃくちゃ興奮しました。その場で映像にもはめてみて、そうなんですよ!と思いました(笑)。ポスプロ(ポストプロダクション)のスタッフにも聴いてもらって、中には『この簡素な映像に対して、すごく壮大じゃないか』という意見もありましたが、いや、違うんだと。そう見えるかもしれないが、この映像の中に、この音楽が示しているような可能性があって、今までずっとこの映像に慣れ親しんでいると気づかないかもしれないが、石橋さんの音楽がその可能性を表現してくれているし、観客はすごくそれをスッと受け入れてくれるだろうという気はしました」
──そうやって映画『悪は存在しない』が制作されるなかで、『GIFT』はどうなっていたのでしょう?
濱口「実は、編集自体はどちらも並行してやっていました。『悪は存在しない』の編集は自分が中心にやっていて、『GIFT』のほうが『THE DEPTHS』(2010)『寝ても覚めても』(2018)『ドライブ・マイ・カー』(2021)を編集してくれた山崎梓さんに、一度、大量の素材を渡してですね……」
──投げつけたわけですね。
濱口「本当にこれは、投げつけるという言葉が正しいかもしれないです(笑)」
石橋「山崎さん、脚本も読んでいなかったんですよね」
濱口「そうですね。音もつけてないので、山崎さんはよくわからない映像を16時間も見せられて(笑)、その中で彼女なりにテーマごとに分け、風景の中に映っているもの、些細な動き、いろんなアクションをずっと分類し、最終的に『いいじゃないですか!』というものまで持っていってくれました。ただ、オーダーとしては75分から90分くらいという長めの作品でしたが、物語がなくても自分たちが撮った映像で40分くらいまでは集中力が持つけれど、それ以上は難しいだろうと思ったんですよね。それで途中から、山崎さんに『悪は存在しない』の編集を見せて、物語の流れを共有して、それならこうつなぎましょうという提案も増えていきました。『GIFT』の編集を見て、へぇ、このテイク使うんだと思って、『悪は存在しない』でも使いましたし、そういうやりとりは新しい試みでしたね」
──字幕を付けるという判断もこの辺りで出てきたことなのでしょうか。
濱口「最終的に最低限の字幕を付けたのは、ストーリーを全く知らないと映像の中で本当に起きていることが四方八方に飛び散っていくような体験になって、全方位的に想像力を使われすぎてしまうなと思ったからです。そうじゃなく、映っているものを見てほしい。だとすれば、この物語はシチュエーションとしてはこういうことですとわかったほうが、使う想像力が限定され、見えているものについて集中して考えてもらえるのではないかなと」
──『GIFT』は第50回ゲント国際映画祭でのワールドプレミアを経て、日本では東京フィルメックスでのプレミアがあり、ロームシアター京都、PARCO劇場での公演と続きますが、今後はシアターピースとしてどう発展していくのでしょうか。
石橋「現時点で言えるのは、毎回、映像から見えてくるものが違うんですよね。どういう絵が出てくるかという順番も全く覚えられないんですよ。そうやって編集されているからいつも初めてのような感覚で、私自身面白く観ているので、たぶん、お客さんともそれを共有できるのではないかと思います」
濱口「本当に編集の山崎さんの力が大きいと言いますか、最低限ストーリーはあっても、物語的な編集ではなく、機会があれば逸れていくし、他のところへ広がっていくようにつなげられているんですよね。だからたぶん、論理的に記憶しようと思ってもできないようなかたちになっている。ラッシュの段階で何度も何度も見て、彼女がそこに映っているいろんな動きを発見してくれたので、『GIFT』のパフォーマンスを見ていると、石橋さんがそういうひとつ一つの動きに反応して演奏していると感じる。なので、山崎さんが見つけて、置いておいてくれたものが生きているんじゃないかと思います。でも本当に、毎回どんなふうにプレイしているんですか?」
石橋「会場の響きも違えば、スクリーンの大きさも違うので、時間の感覚が自分の中で歪むんですよね。会場の音の残り方もありますし、映像と一緒にやるとき、どこで始めてどこで止めるかによって、自分自身が出している音や印象が大きく変わる。毎回スイッチになるものが毎回違うので、それがうまくいったりうまくいかなかったりするんですが、自分はあんまりだったと感じても、他の人はそう思っていないこともありましたし、すごくいろんな可能性があるなと思います」
濱口「本当にその通りだなと」
石橋「自分の中で正解がないというプロジェクトになっているので、これからも長い付き合いになるのではないかなと。結果的に、1回きりの何かにはなっているので、お客さんにとってもそういうものになっていったらうれしいですね」
濱口「今回、石橋さんとのこれまでのメールのやりとりを見返して、勇気づけられました。今もよくわからないことをたくさん抱えながらやっているのですが、このよくわからないことがきっと何かにつながるだろうという気持ちになれています」
石橋「よかったです。がんばってください! これからの作品も楽しみにしております」
「GIFT」東京公演
日時/2024年3月19日(火)
会場/PARCO劇場
住所/東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷PARCO 8階
開場/18:00 開演/19:00
料金/¥4,500(全席指定)
https://stage.parco.jp/program/gift-2024/
『悪は存在しない』
監督・脚本/濱口竜介
音楽/石橋英子
出演/大美賀均 西川玲
4月26日(金)より、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国公開
https://aku.incline.life/
Photos:Shuhei Kojima Interview & Text:Tomoko Ogawa Edit:Sayaka Ito