イシヅカユウ × 長田杏奈 対談「クィア映画について語ろう」
自分に自信を持てないひとりのトランスジェンダー女性(※注1)が一歩踏み出すまでを描いた映画『片袖の魚』。2021年7月10日に東京・新宿K's cinemaで上映開始して以来、静かながら確かな光を与えてくれるとじわじわと話題を呼び、上映予定館が増えている。主人公のひかりを演じたイシヅカユウと、彼女の魅力に早くから注目していた一人でフェミニズム視点で美容や体について発信するライターの長田杏奈が『片袖の魚』をはじめ、これから観たいクィア映画について語った。
イシヅカユウ、本格的な演技に初挑戦
長田杏奈(以下、長田)「初主演映画『片袖の魚』公開おめでとうございます。劇場公開に先立って、歴史あるクィア映画祭に正式に招待されたことでも話題になりましたよね。コロナ禍で映画館にとって厳しい状況が続くなか、インディペンデントな短編が封切りするなり満員御礼ですぐに上映期間の延長が決まったのはすごいこと。『#片袖の魚を地元で観たい』というハッシュタグも生まれていて、少しでも多くの人に届いてほしい作品です」
イシヅカユウ(以下、イシヅカ)「ありがとうございます」
長田「モデルとして活動されているイシヅカさんは、本格的な演技は本作が初めですよね。スクリーンの中で、普段の雰囲気とは全く違う、アクアリウム会社で働くちょっと内気な新谷ひかりさんとして存在していることに驚きました」
イシヅカ「そう言ってもらえてホッとします。『片袖の魚』は、トランスジェンダー女性の役をトランスジェンダー女性が演じるという作品で、私も当事者としてオーディションで選ばれたわけですが。いちばん怖いのは、ひかりちゃんが私と全く同じ人間であるかのように、ドキュメンタリーとしてられてしまうことだったんです。ひかりちゃんは、私とは暮らしている環境も性格もまったく違う女性。その違いをどう演じるかとても悩みました」
長田「この作品は、装いを通してヒロインの気持ちが伝わる場面が多くて。赤いワンピースで地元を闊歩するシーンでは、一歩一歩にひかりの期待と誇りを感じさせつつ、決してモデル歩きにはなっていない加減が絶妙でした。こういう言い方はよくないかもしれないけど、初主演ならモデルのお仕事の延長でカリスマ性で押すだけでも通用するのに、それに甘んじる気がないんだなーって」
イシヅカ「気づいてもらえてうれしいです。モデルはカメラが回っているところで動きを決める仕事なので、決めずに動くのが意外と難しくて、特に歩き方はめちゃくちゃ苦労したんです。新宿の東口に立って、いろんな人の歩き方を観察して。私はもともと若尾文子さんに憧れていて、演者の技巧にリスペクトがあるからこそ穢したくなくて」
長田「冒頭の会社のユニフォームの長袖ポロシャツでの登場シーンも、モデルの意識のままで着たら『あえてのギークファッション』みたいなおしゃれ感が出てしまったと思うんです。でも、あくまでナチュラルで素朴な印象でした」
イシヅカ「ユニフォームを着ているシーンは、昔の自分の寄る辺なさを思い出して演じました。ユニフォームって、無駄に男女で分かれていますよね。仕事内容は同じなのに、男性は青で女性はピンクみたいな。トランスジェンダーだということを知られずに女性として社会に埋没したいのに、ユニフォームで違う側に振り分けらたらどうしようと不安がつきまとうんです」
長田「最近は少し変わってきたけれど、学校の制服も女子はスカートで男子はパンツが標準装備。戸籍の性に合わせた制服を無理強いされて、不登校になるトランスジェンダー当事者が少なからずいると聞きます」
イシヅカ「私も学校は辛かったですね。『片袖の魚』でひかりを演じるのは、ちょっと前の自分はもちろん、中学生とか小学生のもっと悩んでいた頃の自分思い返す作業でもありました」
トランスジェンダー女性の役を当事者が演じるということ
長田「『片袖の魚』は、日本で初めてとなるトランスジェンダー女性当事者の俳優オーディションを開催したことも話題になりましたね」
イシヅカ「東海林毅監督の前作『ホモソーシャルダンス』(2019)のコレオグラフィーを担当した方が、オーディションがあると教えてくれて。日本で全く議論さえもされてこなかった『トランスジェンダーの役を当事者が演じる』試みを、どんどんやろうという姿勢に共感しました。その時は主演を射止めてやろうみたいな野望はなく、ちょっとした役でいいからこの作品に関わりたいという一心でした」
長田「2020年にNetflixで公開されたトランスジェンダーがハリウッドでいかに描かれてきたかを伝えるドキュメンタリー作品、『トランスジェンダーとハリウッド、過去、現在、そして』に衝撃を受けました。私は長年シスジェンダー(※注2)の俳優がトランスジェンダーを演じることになんの疑問も感じていなかったし、なんなら当事者性がない人がトランスを演じることが演技力の試金石みたいな風潮にそのままのっかってたなと、反省しました」
イシヅカ「私自身は、必ずしもトランスジェンダーの役を同じトランスジェンダーが演じなければならないという立場ではありません。ただ、日本の状況として、ポテンシャルのある当事者の俳優がいるかもしれないのに、その人たちが活躍できる土壌が全くない。その現状を無視して、トランスジェンダー役をシスジェンダーの人がするというのは違うんじゃないかなと思うんです」
長田「またNetflixの話になっちゃうんですけど、80年代のクィアカルチャーを描く『POSE/ポーズ』(2019)では、俳優だけでなくスタッフにも当事者を採用しすることで雇用を生み出し、コミュニティに貢献したことが注目されましたよね。主演のMJ・ロドリゲスが、トランスジェンダーの俳優としては初めてエミー賞主演女優賞にノミネートされたのもホットなニュース!」
イシヅカ「当事者が当事者を演じることで、トランスジェンダーをどういう風に演じたらいいかというロールモデルが、ひとつできる。その一歩は大きいと思います。実際、当事者性がなかったらどうやって演じたらいいかわからない部分って、たくさんあると思うんです。あまりにも突拍子もないことを言われてガーンとなり、頭の中が真っ白になり咄嗟に言葉が出ないような経験は、当事者の多くが経験しているはず」
長田「例えば『片袖の魚』の居酒屋のシーンで、悪気はないんだろうけどマイクロアグレッション(※注3)に当たるようないじりの場面がありましたよね。あのシーンはひかりちゃんがお酒が強いことが、せめてもの救いだと感じました」
イシヅカ「あれは、そんなに強くないけれどいたたまれなくて何度も手が伸びてしまったんだと思うんです。ホルモン剤を飲んでいると肝臓が弱くなるので……。悪気はないんだろうなと思うから強く言えなくて、飲むしかない」
長田「なるほど……。劇中でも服薬してパッチを貼ってという場面がさりげなく描かれていましたよね。悪気がない差別でも辛いのに、SNSや政治の場面ではトランスジェンダーに対する苛烈な差別が問題になっています」
イシヅカ「私はどんな人や意見に対しても『そういう気持ちになることもあるよね』というスタンスなのですが、最近のトランス差別に関しては、そう思えない段階にきているなと感じます。差別を禁止すると法律を利用して犯罪をする人がいるという主張があるけれど、当事者の苦しみを矮小化してまるで犯罪予備軍のように語るのは暴力的だと感じます。当事者の苦しみは別物ですから」
長田「そういう差別がある中で、当事者性を背負って人前に出るのはかなり勇気がいりますよね。既にモデルとしてのキャリアがある中で、トランス女性という側面に大きくスポットライトが当たることに不安はありませんでしたか?」
イシヅカ「正直これまでは、『公表はするけれど売りにはしたくない』気持ちがあって、重きを置かれ過ぎない仕事を意識して選んできた部分があったんです。トランスジェンダーかどうかとは関係ないところで活躍している当事者を見て勇気づけられる人もいると思うし。でも、差別が激化している状況の中で、私なりの責任は果たしたいと思いました。幸い周りのサポートにも恵まれていて、辛いことがあってもハンッ!って跳ね返せる強さもある程度は持ち合わせているので」
本来の自分を否定される辛さ
長田「『片袖の魚』は、社会の中でトランスジェンダー女性がどんな風に暮らし、何に支えられ何に傷ついているのかに触れるきっかけになる素晴らしい映画。マイノリティをモンスター化して不安を煽る差別に対抗するために、同じ社会で既にともに生きている当事者のリアルを伝える作品はとても重要だと思います。トランスジェンダー女性のリアルを伝える作品として、11月公開の映画『リトル・ガール』(2020)もぜひたくさんの人に観てほしいですよね。7歳のトランスジェンダーの女の子サシャが、家族に守られながら、規範を押し付けようとする学校や社会と向き合う様子を捉えたドキュメンタリーです」
イシヅカ「劇中曲にドビュッシーが使われていて、映像も綺麗でした。私も小さい頃から性別違和があって、きっと周りにも漏れ出ていたと思うんですけど。幼稚園から小学校に上がった途端にはっきりと男女で分けられて、『一緒に遊んじゃいけない!』と女の子としてシャットアウトされてしまって、すごく辛かったのを思い出しました。ランドセルも本当は赤がよかったのに、黒を選んで吐きそうになりながら6年間持って。学校がすごく辛くて休みがちでした」
長田「日常的に身に付けるもので本来の自分を否定されるのは辛すぎますよね。ましてや、自分について説明する言葉を持たない年齢で。バレエ教室で衣装が渡されるシーンは切なかったです。サシャの場合は、家族の理解があるのがまだ救いでしたが……」
イシヅカ「なんで母親ばっかりが悩んで戦わなきゃいけないの?とは思いましね。うちも母がすごく理解して周りと孤軍奮闘してくれたんです。祖父母なんかは、『教育で男の子に戻せるはず』と信じて男の子用のおもちゃを渡してきて、はねのけてセーラームーンのグッズを集めていましたけど(笑)。担任も『男の子と一緒にいたら普通の男の子に戻るから』って。当時は今ほどではないにしろ、性同一性障害という言葉が知られるようになって戸籍を変える事例も出始めた時期。学校とかコミュニティがもっと勉強してくれていたらよかったんですけど」
長田「2021年になっても、親にも教師にも理解されず、自分はみんなと違って変なんだと疎外感を覚えている子供たちは少なくないですよね。フランスではもっと理解が進んでいるのかなと思っていたけど、学校の態度がかなり保守的でびっくりしました」
イシヅカ「私の場合は、中学生の時に母が性同一性障害や性別違和の権威の精神科医を見つけてきて。その先生が直談判してくれたら、それまで頑なだった学校の態度がコロッと変わったんです。女子の制服を着るのは認められないが、ジャージ登校なら認めますって」
長田「サシャの家族も、理解のある小児精神科医の先生と出会えてホッとしました。日本ではまだ一般的ではない二次性徴を抑制するホルモン療法についても提案していましたね」
イシヅカ「あんなにちっちゃいときに、『あなたが選ぶんだよ』と言われたら、私だったら選べなかったかもしれない。でも、そういう選択肢があって議論がされていることや、当事者がどれだけのものを突きつけられているかはもっと知られてほしいですね」
当事者が傷つかないクィアの描き方
長田「クィアを取り巻く環境はまだまだ厳しい局面が多いけれど、イシヅカさんおすすめの『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(2019)は、元気が出る内容でした。真面目に勉強を頑張ってきた二人組が、高校卒業間近になってハメを外す学園コメディですよね」
イシヅカ「いろいろなジェンダーやセクシュアリティが当たり前に受け入れられている世界を描く記念碑的作品。先入観や間違った認識が無くなって法的なことも教育的なことも整えば、ジェンダーや人種で人を差別する必要なく学校生活が送れるようになるよ、という未来を見せてくれます。シリアスにならずに、爆笑しながら楽しめるクィア的要素の詰まった作品です。ある意味ユートピア映画ではあるのだけれど……」
長田「当たり前だけど何か?ぐらいあっけらかんと描かれているのはよかったです。差別に怯えずに済む学園生活が、早くユートピアではなく見慣れた現実になるといいですね。人気童話ムーミンシリーズの原作者を描いた『トーベ』は、不倫にも同性愛にも、『自由を試す』心意気で無邪気に飛び込んでいくトーベ・ヤンソンが印象的でした。1940年代のフィンランドでは、同性愛は犯罪であり病気と見なされていて、1971年までは違法だったんですよね。でも映画の中ではそれほど悲壮感はなくて。それより、家父長のプレッシャーがキツかった」
イシヅカ「当時の女性の生きづらさやレズビアンの置かれた状況の中で、自分に正直に自由に生きようとしている姿には励まされますね。今でいうとバイセクシュアルなのかな。時代背景の描き方が自然で美化していないバランス感覚が良かった」
長田「重ね着が可愛くて、ノートにメモりました。ファー付きのヘチマ襟のアウターの下に、ボウタイシャツを着たくなる! 部屋着も充実していて、ガウンが欲しくなりました」
イシヅカ「ファッションはもちろん、インテリアも見どころ。ちょうど引越しのタイミングで観たので、家具選びの参考にしました。ビッグバンドのジャズもいい。もともとあの年代のテイストが好きなんです」
長田「私ね、ムーミン谷シリーズの小説版が人格形成の礎なんです。成長してから『あの物語を作ったのはこういう人だったんだ!』と再発見できました。嵐の日に不倫相手が家に来ても、温かいお茶とタオルを差し出すとかではなく、散歩に誘って土砂降りの岩場で相手が転んだのを見て大笑いっていう。ああ、こういう人が書いたんだーって妙に納得しました。『禁断の愛』みたいなヘテロセクシュアル中心のテンプレコピーがついてないのも良かった。ジェンダークィアをテンプレ的に描いて、マジョリティが消費する構図は良くない。ファッションセンス抜群のゲイの友達とか主人公に片想いするレズビアンの役が量産されたり。露骨にアクセサリーやスパイス扱いされ続けるのは気をつけないと」
イシヅカ「これまではトランスジェンダー役の演じ方やキャラクターの作られ方が実情とかけ離れていて、当事者が観たときに傷つくケースがとても多かったんですよね。だからこそ、『片袖の魚』は、いますごく辛いとか自信持てないという当事者に届いて欲しい。引っ込み思案なヒロインが、だんだんと覚悟を決めて自分とも人とも向き合って、不器用なりに一生懸命やろうという普遍的な話でもあるので、たくさんの人に観ていただきたいです」
※注1「トランスジェンダー女性」……トランスジェンダーで、性自認が女性の人のこと。トランスジェンダーとは、生まれたときに割り当てられた性別と性同一性が一致しない人のこと。
※注2「シスジェンダー」……生まれたときに割り当てられた性別と性同一性が一致し、それに従って生きる人のこと。
※注3「マイクロアグレッション」……ステレオタイプや偏見による無意識の発言や行動で、無自覚に相手を傷つけてしまうこと。
『片袖の魚』
自分を不完全な存在だと思い込み、自信を持てないまま東京でひとり社会生活を送るトランスジェンダー女性の新谷ひかり(イシヅカユウ)。ある日出張で故郷の街へと出向くことになり、高校の同級生だった久田敬(黒住尚生)に、いまの自分の姿を見てほしいと考え、勇気をふり絞って連絡をするのだが……。
原案/文月悠光「片袖の魚」(詩集『わたしたちの猫』収録/ナナロク社より刊行)
プロデューサー・脚本・監督/東海林 毅
出演/イシヅカユウ、広畑りか、黒住尚生、猪狩ともか、原日出子
新宿K’s cinemaにて公開中。川越スカラ座、浜松シネマイーラ、横浜シネマリンで順次上映予定。
Interview & Text:Anna Osada Edit:Mariko Kimbara