星野藍が写し出す、旧共産圏の未来遺跡たち
誰もが新しい時代を夢見るなか、その輝きだけ追うなかれと幽かに囁く声がする。バルカン半島各地に残された、驚くべき異形の建築群「スポメニック(戦争記念碑)」。 女性写真家が写し出す、壮大なる夢の跡。その朽ちゆく姿に、あなたは何を感じるだろうか。(「ヌメロ・トウキョウ」2019年9月号掲載)
星野藍インタビュー
忘れられ、朽ちていく姿に魅せられバルカン半島へ
――写真集『旧共産遺産』に収録された建造物は、現在のデザインや建築の文脈に当てはまらないものばかりで驚きました。なぜ、こうした写真を撮り始めたのでしょうか。
「私はグラフィックデザイナーとして勤務する傍ら、写真家として廃虚の撮影を続けてきました。かつて栄えながら人々から忘れられ、朽ちていくもの特有の退廃的な美に、心から魅了されてしまったのです。しかし、そのような廃虚の捉え方は、 2011年の東日本大震災で大きく揺らぎました。故郷である福島県が 受けた甚大な被害を前に、“廃虚を愛でる”姿勢に大きな迷いを感じたのです。転機になったのは 13年、14年と連続でチェルノブイリを訪れたこと。実はチェルノブイリは世界中の廃虚好きが訪れる場所ですが、私はそこに“福島の未来の姿”という思いを重ね、その答えを探そうとしました。そして、人間の奥底には禁じられたものであるほどに引き寄せられてしまう感覚があることを実感したのです。それが、私が旧共産圏に魅了されるきっかけにもなりました」
――共産主義といえば、私有財産を禁じ、平等に富を分配しようとする思想のもとに、グラフィックや建築などの先鋭的なデザイン表現を生み 出したことでも知られていますね。
「はい。私も以前からロシア・アバンギャルドのグラフィックデザインが大好きでした。ただ、私が撮ろうとしているのは彼らが描いた理想社会の“夢の跡”であって、決して政治的な思想に共鳴したわけではありません。旧共産圏の最初の訪問国はアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア(旧称グルジア)のいわゆる『コーカサス3国』でしたが、この地域は山や谷を越えれば民族や言語が変わるほど、文化が複雑に入り組んだ土地。口承文化が多く、先祖から受け継いだ言葉を話す人が途絶えたことで消えていった民族が幾つもある。自分が今その場所にいるのだと思うと、果てしなく遠く、切ない何かに触れているような気がして『人生を懸けて撮らなければ』という思いが湧いてきたのです。それからは取り憑かれたように、旧共産圏の国々を徘徊するようになりました」
――今回の写真集では、旧共産圏の中でもバルカン半島の国々に焦点を当てていますが、この地域を選んだ理由は何でしょう。
「バルカン半島の中でもセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、北マケドニア、モンテネグロ、スロベニア、コソボの7カ国からなる旧ユーゴスラビア圏には『スポメニック』(セルビア・クロアチア語で『モニュメント』の意)と呼ばれる戦争記念碑が残されています。どれも印象深いデザインばかりですが、表向きの名目は戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に伝えるというもの。実際はユーゴスラビアが抱えていた複雑な民族問題を一つの思想でまとめ上げようという、政治的なプロパガンダのために造られたものです。ユーゴスラビアは旧ソ連とは異なる共産主義体制の国家連合でしたが、1990年代の紛争を発端に国々が次々と独立し、解体され消滅してしまいました。その夢の痕跡を、どうしてもこの目で見てみたいと思ったのです。とはいえ、スポメニックの情報は当然、ガイドブックには載っていません。海外サイトで情報を集めたり、Google Earthで位置をチェックしたりしつつ、詳しい様子は行ってみないとわからない状況でした」
壮大な理想社会の夢の跡……“禁断の果実”を追い求めて
――これらは共産主義が遺した負の遺産として、今や忌み嫌われているものも多いと思います。そうした場所を撮影することに対して、人々の反応はどうでしたか。
「自分が足を運ぶなかで、嫌な感情を向けられたことは一度もありません。ただ、柄の悪い若者たちがたむろしていたときなどは、距離を取って関わらないように心がけました。共産主義時代を知らない世代にとっては、単に大人の目の届かない場所という意味しかないのかもしれません。軍事基地の跡地など管理された場所に入る場合は、身振り手振りを交えて撮影の交渉をしました。『許可したことがバレないように、訪問日時は絶対に書くな』と言われたことも。規則上は立ち入り禁止でも、警備員が個人的に私の思いをくみ取ってくれるなど、人の優しさに助けられた場面も多かったですね」
――いわゆる廃虚写真がブームになって久しいですが、インパクトや情感に訴えるため、過剰な加工が施されたものが少なくありません。星野さんの写真は、そうした潮流とは一線を画しているように思います。
「最近の廃虚写真には、デジタルカメラのHDR(ハイダイナミックレンジ合成)機能を使い、複数の露出で撮影した画像を合成し、明るさや彩度などを加工したものが多く見られます。そのほうがノスタルジックな印象を強調できるからだと思いますが、私はデジタルでもフィルムらしい質感を心がけつつ、私情を交えずに自然な見え方を追求しています。そのほうが先入観を与えず、真っさらな気持ちで見てもらえると思うからです。その上で今回の写真集について言えば、これらのモニュメントは不可思議な形が興味をそそりますが、背景を知るほどにその場所で何千、何万もの血が流れたといった悲惨な歴史と、新たな社会をつくろうとした人々の思いが浮かび上がってくる。私の写真がそうした歴史を伝える一助になったなら、うれしいですね」
――それが先人の営みや時代の流れに対する星野さんの姿勢であり、美意識でもあるというわけですね。
「私なりの視点で、まだ見ぬ旧共産圏の遺産を追い求めていきたい。なぜ、朽ちていくものに美しさを感じてしまうのか……壮大な夢を描きながらもやがて消えていく存在だからこそ、愛おしい気持ちがあふれてくる。それはいわば、禁断の果実に思わず手を伸ばしてしまうように、私たち人間の奥底にあらかじめ刻み込まれた感情なのかもしれません」
『旧共産遺産』
星野藍/著(東京キララ社) ¥2,500
バルカン半島各地に残る戦争記念碑、軍事基地跡やサラエボ五輪の競技場跡、廃空港etc.。旧共産圏の“夢の跡”を写し出した写真集。
Edit & Text : Keita Fukasawa