男の利き手:ピーター・リンドバーグ
「写真でファッションと社会をどうつなげるか」
たくさんの物事を生み出し、行ってきた“男の利き手”。写真家・操上和美が撮り下ろす個性豊かな手の表情と、そこに刻まれたエピソードを通じて、これまで歩んできた歴史の一幕を振り返る。世界の第一線で活躍し続ける写真家ピーター・リンドバーグ(Peter Lindbergh)の“利き手”が語る人生の名場面。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年3月号掲載)
──あなたの写真作品が火付け役の一つとなって巻き起こったスーパーモデル・ブームは、1990年代に世界的な社会現象にまでなりました。ファッション写真家として数多くの偉業を成し遂げてきたのに、ご自身ではファッションショーにはほとんど行かれないそうですね?
「確かにこの20年間、一度もショーには行ってないですね。もしそれを指摘されたら、ファッションを愛しすぎていて近づけないのだと答えるようにしているんですが(笑)、これは決して嘘ではありません。ファッション界はとても狭い世界で、閉じられた空間の中にずっといると、なかなかそのことにすら気づくことができなくなります。しかし、距離を置き、引いた目線で見ることができれば、大局的に考え、自分が得たインスピレーションを作品に統合させていくことができる。自分の魂が感じることに正直でありたいのです」
──ファッションのトレンドだけを撮ればよいわけではないと。
「私はファッションを社会とどのようにつなげることができるかを常に考えながら撮影してきました。写真という技は、アート作品を作るのではなく、主題をどのように現実の世界につなげていくかという作業なのです」
──写真家になるまでの経緯を教えてください。10代の頃は画家を志していたそうですね?
「私が育ったのはドイツのデュースブルクという街でしたが、画家になりたくてベルリン芸術大学に進学しました。しかし、そこでの授業はとても古くさいものに感じました。絵画のコースなら、2年間ずっと風景画ばかり描き続けなければいけない、といったような感じでしたから。それがあまりに退屈だったので、ベルリンを出て、ヒッチハイクの旅に出ることにしたんです」
──それはいつ頃のことでしょう?
「1965〜66年くらいですね。当時、21歳でした」
──どちらを巡ったのですか?
「ゴッホに憧れていたので、まず縁の地であるアルルに行って、8ヵ月ほど滞在しました。そのあとスペイン東部やモロッコなど、2年間ほど放浪したんです」
──その頃はまだ写真は始めていなかったんですね?
「放浪の後、デュッセルドルフのアートスクールに入学し、4年間学んだ後、画家になりました。大きなギャラリーに所属することができましたし、駆け出しの画家としては非常に恵まれていて、楽しく画家生活を送っていました。しかし、その当時、アメリカからやって来たのがコンセプチュアルアートのムーブメントだったのです」
──60年代後半から70年代に起こった前衛芸術の運動ですね。
「ローレンス・ワイナー、ダグラス・ヒューブラー、ジョセフ・コスースなど、一線で活躍する作家たちの情報が伝わってきました。とても衝撃を受けましたし、私たちがいるヨーロッパよりも20年は先取りしていると感じました」
──それが写真を始めるきっかけになったと?
「それまでと同じように画家を続けるべきか、コンテンポラリーアートを目指すべきかと悩み、8ヵ月ほど何もできないまま過ぎてしまいました。その時、知人が写真家アシスタントの仕事を紹介してくれたんです。ただ座って、受け身で待つのではなく、何でもいいからやってごらんよと言われました。その通りだと思い、3ヵ月間だけ働いてみることにしたのですが、この経験によって、自分が何をすべきなのかわかったのです。今から振り返れば、一度立ち止まって考える時間を持ったことは、非常に賢明な選択だったと思います」
──ファッション写真を撮り始めた時、特に意識してなさったことはあったんでしょうか。
「既にあるような写真は決して撮りたくないと思っていました。写真家は自分の経験を生かし、心に正直に撮るべきなのに、前例ばかりを意識するあまり、同じような作品になってしまう場合が多いと感じます。頭は全く白紙の状態で、自分は何をしたいのかを自問するべきなのです」
──あなたの撮るファッション写真が世に出始めた時、それまでにあったものとは全く違うと多くの人々が思いました。なぜなら、ドキュメンタリーのようなスタイルで、ファッションよりもモデルのパーソナリティーに焦点を当てていたから。始めから意図して、そのような作品を撮られたのでしょうか?
「それにはアートスクール時代の経験が大きく影響しています。学生時代は解放された、いちばん素晴らしい時期です。やりたいことを追求し、自由に物事を考えて、見たいものを見る時間がありますよね。そして、学生時代に大きなインスピレーションを与えてくれたのが、スカンジナビアの国々から勉強しに来ていた女子学生たちでした。彼女たちはヨーロッパの女性よりもずっと先を歩いているように思いました」
──他の女の子たちとは何が違っていたのでしょう?
「女学生ですからまだ20歳前後なのですが、言いたいことをはっきり発言しますし、行動や発想がとても自由なんです。弱くて無知な女のふりなどは絶対にしません。服装はTシャツとジーパン、テニスシューズとラフな格好で通していました。自分はとにかくアーティストになるんだと一本気に決めていて、アートのために何ができるかを常に考えている、そんな目的意識の高い彼女たちの姿が、私にとって理想の女性像となりました」
──それをファッション写真で表現しようとしたんですね。当時の反応はどのようなものでしたか?
「ほぼ無視されました(笑)。編集者が認めてくれず、撮った写真が全部ボツにされてしまうこともありました。しかし、時代は変わり、意思を持った新しい女性像を表現していると、多くの方々が私の写真を評価してくださるようになりました」
──写真集『Shadows on theWall』では、二コール・キッドマンやケイト・ウィンスレットなど、錚々たる女優14人のポートレートを撮影していますね?
「今はCGで作り込んだ、まるで〝ホラーモンスターピクチャー〞みたいな写真ばかりなので、私は被写体の素の姿を撮りたいと思ったんです。彼女たちには裸の自分をさらけ出してほしい、それでもOKなら引き受けてくれとお願いしました。もちろん、化粧もなしです。難しいのではないかと思っていましたが、結局予定が合わなかった方以外は、皆さん承諾してくれました」
Photo : Kazumi Kurigami Interview &Text:Akiko Tomita Edit:Masumi Sasaki