こじはるが劇場にたった2005年という時代の意味
世界中で活躍するクリエイター米原康正の連載「ポップな東京文化人類学」。今回は4月20日にAKB48を卒業した小嶋陽菜をフィーチャー。「こじまつり」に駆けつけた卒業生たちと“こじはる”の記念2ショットとともに、米原康正が読み解く、AKB48という存在。
ブームを作るのは社会の枠から外れた少数派女子
2000年前後、渋谷109を中心にブームを起こしたカリスマ店員そしてカリスマデザイナーたちが受けた理由は、なかったものを作り出したからの一言に尽きる。彼女たちは、自分たちで着たいものを作り、そしてその世界観を自分たちがそれを着ることでプロモーションした。当時の女子たちの満たされなかった共通意識を具体化させたのである。ところが、彼女たちが成功して金銭的な成功を収めた途端、メディアは彼女たち自身の製作物ではなく、それを売ることで得た収入で購入した高価なもの(一番がハイブランド)をどのくらいもっているかで彼女たちを評価し始める。
これは藤井リナを頂点とした日本人の代表だったはずのハーフモデルの存在が、メディアによって日本語のわかる外国人扱いされていく経過と同じである。ハーフモデルがブームになった2004年、彼女たちは東京を中心とした、地元を持ったリアルなストリートの代表者だった。ところが、2005年からギャル系雑誌の特集で「ハーフモデルになりたい」という特集が組まれだす。ハーフモデルのようになるためには、こんな化粧品を使おう、こんなファッションにしようと消費のアイコンとして彼女たちが起用され始めたのである。
ハーフじゃない人間がどんなに頑張ったってハーフモデルになれるわけない、ってギャル系雑誌で仕事をしながら僕はなんかむなしさを感じていた。学校の中で例え90パーセントがハーフモデルになりたくても、残りの10パーセントはそうじゃないはずだって僕は思っていた。
1995年、『egg』という雑誌のコンセプトを考えた時、そこで扱う女子は多数という日本の基準から外れたアウトローたちだった。のちにコギャルという文化を作る彼女たちだけど、当時ルーズソックスにミニスカートなんてクラスにひとりいればいい方だった。僕が追いかけたいもの、それは社会の枠から外れた少数派だ。僕が日本でティーンエイジャーの女子を追いかけている理由がそこにある。
カリスマ店員、カリスマデザイナー、そしてハーフモデル、彼女たちの文化が始まった時、彼女たちを認めたのは彼女たちと同様の価値観を持った社会の枠から外れた少数派だった。
もしかすると日本のシステムが変わるかもしれない。そんな文化が台頭するたびに僕はそう思った。だけど、そんな彼女たちも気づけば日本のシステムの中で、創造から消費へとその意味を変えられていく。そしてその結果、少数派(マイノリティ)は多数派(メジャー)になってしまう。
Photos & Text:Yasumasa Yonehara
Edit:Masumi Sasaki