哲学的で詩的な頭の中をのぞく。Aēsopの調香師バーナベ・フィリオンにインタビュー
スキンケアのみならずフレグランスでも独特の存在感を放つ「Aēsop(イソップ)」。昨年発表されたフレグランスコレクション「アザートピアス」は、空間から空間への旅を表現するフレグランスシリーズだ。その5作目となる「グローム オードパルファム」が今春発売になった。五感だけでなく想像力と知的好奇心をも刺激する調香師バーナベ・フィリオン氏にインタビュー。ぜひ香りを楽しみながらご一読を。
──フレグランスコレクション「アザートピアス」について教えてください。
「『アザートピアス』は『間(あわい)』にある空間の考察をテーマにしたコレクションであり、現実世界と想像の世界、両方の間の境界に関する研究作品といえます。香りのテーマとなっている『船』『海岸』『ディヴァン(注:背もたれやひじ掛けのないデイベッドのようなソファの一種)』などの空間は、現実世界にありながら、空想の世界の扉を開く可能性を秘めています。それぞれの香りは、複雑なインスピレーションによってひとつひとつが緻密に作られています」
──「アザートピアス」における「船」「海岸」「荒地」などのキーワードは、香りの題材として非常に珍しいものでした。5作目となる新作「グローム」はどのようなコンセプトですか?
「『グローム』には、香りの世界を深める際に『水平の』アプローチを取り入れました。『グローム』は、私たちが横になる時間──つまり眠っているのではなく、幻想を呼び込み、異なる考えや分析方法を招き入れる時間を表現しています。香りはこの想像の世界へと導く案内人──いわばこの『水平思考』という物の考え方の入り口にいざなう役割を果たします。『グローム』は、自らの声に耳を傾け、浮かんでくる心象風景や刺激を味わう体験、あるいは異なる角度から自信を観察するきっかけをもたらしてくれる香りなのです。
先述の『ディヴァン』や『船の形をしたベッド(bed boat)』は、『グローム』を創造するにあたって重要なレファレンスとなっています。これらの対象が中心となって、現実世界と想像の世界をつなぐ通路、旅や探検の出発点、そして心の内の親密な世界やその世界を旅する方法を創造する役割を担います。ピンクペッパーやサフランといったスパイスによって、少しパウダリーで湿り気を含んだ、どこか旅を思い起こさせるスパイシーな香りを感じとることができるでしょう」
──あらためて「グローム」の香りの構成について教えてください。
「トップノートでは、華やかなオレンジフラワーの香りが広がります。そしてピンクペッパーが、ほのかにジュニパーを思わせながら、クラシックな英国の上品さを演出します。この香りを纏った人自身が嗅ぎたくなるような、心地いい刺激が鼻腔をくすぐります。カルダモンが明るさと微かなスパイシーさを添えながらも、全体的にはグリーンでフレッシュな印象を残します。これは二酸化炭素抽出法を用いていることが関係しています。ハートノートでは、サフランなどのスパイスにジャスミンサンバックが加わり、リッチな温かさを演出します。一方でミモザとアイリスがかすかにパウダリーなフローラルの質感をもたらし、空想の旅の喜びを感じさせてくれるでしょう。ベースノートでは、パチョリ、コパイバ、アイリスのアーシーな香りが、ディヴァンを取り巻く彫刻や織物という『グローム』のインスピレーションとなった環境や印象を醸し出しています」
──バーナベさんが香りを創作するときに大切にしていることとは。
「私の作品は、革新と伝統のバランス、そして優れたフレグランスには高品質の植物由来成分が必要である、という信念に根差しています。ラボで私の創作に“協力”してくれる原料や精油の貴重さに敬意を払い、最高のブレンドを作ることに喜びを感じています。フレグランスが持つ美しさをより多く伝えるための研究や作業のすべてに愛を持っています」
──日本との関わりが非常に深いとお聞きしています。日本で体験した忘れられない香りの思い出はありますか?
「日本からは非常に多くのインスピレーションを受けています。これまでに20回以上、日本を訪れていますが、数多くの思い出深い香りの体験があります。たとえば『ローズ』(「アザートピアス」の一つ)は、モダニストデザイナーのシャルロット・ペリアンと彼女の日本への愛にインスピレーションを得て、イソップとともに作り上げた香水です。
4、5年前に日本を旅行していたとき、有名なバラ農園『ローズファーム ケイジ』がシャルロットの名を冠した和バラを栽培していることを知りました。このバラからインスピレーションを得て、バラそのものを象徴し、シャルロットの人生と人柄のさまざまな側面に敬意を表した複雑な香りを作るという、新しい製品のアイディアが生まれました。『ローズ』の開発中、私たちはぺリアンの家族と密に協力し、彼女の足跡を辿るために日本をともに旅しました。『ローズ』は、どこを切り取ってもペリアンの人生と作品が嗅覚と結びつくように作られています。うっとりとするようなオープニングノートは、ペリアンに敬意を表して作られた和バラを暗示し、鮮やかなシソは、ペリアンの日本への変わらぬ愛情を表現しています」
──イソップは日本でも非常に人気が高く、ジェンダーレスなブランドのパイオニアとして 高い知名度があります。イソップのために香りをつくる際に意識してい ることはありますか?
「香水をジェンダーで限定することは、感覚の広がりを狭めてしまうと私は常に感じていました。私たちは、こうした制限が創造性を固定することがない、進歩した世界を生きています。作曲のための楽器のような存在である原料に情熱を持って向き合い、心をゆさぶるような香りに喜びを見いだす人や感覚に敏感な人のためのフレグランスをイソップとともに制作しています。好奇心旺盛な人、クリエイティブな人、型にはまらない嗜好を持つ人のための香りです。
船、海岸、荒廃の地、鏡、ディヴァンといった『アザートピアス』にインスピレーションをもたらした“此処と其処”の境界が曖昧になる空間は、それぞれのフレグランスを通して、ドライ、ウッディ、クリーン、フレッシュな香りの独創的なバランスによって表現されています。これらの香りは特定のジェンダーに限定されるものではなく、すべての人が身につけることができます」
──パンデミックの影響で、創作面において変化したことは?
「私は以前、ビジュアルアートスクールで学び、写真を専門にしていました。そのときに講演したゲストの写真家に触発され、自然界の要素に見られるすべてのパターンや反復構造、つまり『自然のアーキテクチャ』を明らかにするために、ポラロイドカメラを用いて写真を撮るようになりました。こうして私は香水への興味を深めていったのです。今でも香水を作るときには、これと同じ写真の様式を探求することによってインスピレーションを得ることから始めています。
普段から旅は、写真を撮るとき、香りをとらえるとき、そして新しい原料を探すときに、大切な刺激をもたらしてくれます。パンデミックの影響で旅をすることが減り、新しい場所や植物を探索しながら写真を撮るというよりは、日常生活において写真に集中する時間が多くなり、静物に取り組む時間が増えました。その結果、時間をかけてものを見る感覚が養われ、自然の中のアーキテクチャに対する私の考えを深めることができました」
──日常が戻りつつあります。次に旅をしたいのはどこですか?
「現在、私はここ京都に家を建てているので、日本で多くの時間を過ごしています。ここを拠点にアジアを訪れたりやるべきこともたくさんありますが、今は京都で過ごすことを楽しんでいます。私は京都がとても好きで、いつも多くのことが起きていて、豊かな文化があり、私にとってはもっとも心地よく過ごせる場所なのです」
Edit & Text : Naho Sasaki