スケートボードとアートの関係 Vol.1 Haroshi
スケボーとは単なる遊びにあらず。お仕着せのルールにNOを突きつけ、自分を表現する生き方でありアクションなのだ!その姿勢が現代アートと出合うとき、どんな眺めが広がるのか。作品表現とデッキ(板)、二つの側面から見てみよう。Vol.1はHaroshiにインタビュー。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年12月号掲載)
スケボーが生み出すアート表現
スケーターカルチャーに育まれたエクストリームな表現者たち
Haroshi|ハロシ
インタビュー : スケボーから生まれる“新たな命”
──スケートボードとアート表現の接点について教えてください。 「スケボーを始めたのは中学3年生のとき。中学・高校と部活に入っていて、ルールや上下関係に嫌気が差す一方、スケボーの自由さに心惹かれました。夜中の公園で『一緒にやろうよ』と声をかけて、競い合うでもなく純粋に楽しむ。その後、ジュエリーの会社に入ってから独立したときに、好きでもないものを量産するのが本当に苦痛で。もう既存のシステムに組み込まれるのは嫌だ、一つずつ違うものを作ろうと思い立ったんです」 ──それで、家にあったデッキの廃材を使うことにしたと。 「一つずつ木目が違う木の良さを生かしてアクセサリーを作ろうと思ったものの、いい木材には手が届かない。そのときに奥さんが古いデッキの山を指して『これで作れば?』って。まだYouTubeもない頃で、とりあえず糸ノコギリを買ってみるところからのスタートだったんですが、誰も教えてくれないことを奥さんと一緒に考え続けたあの頃の姿勢が、今につながっていると感じます。その上で単にユーズドのデッキを使うだけでなく、言葉で説明せずとも伝わるコンセプトを重視して、作品を制作してきました」──近年の代表作「GUZO」シリーズは、古いデッキに偶像として新たな命を吹き込むという点で、強いコンセプト性を感じさせます。
「人類の歴史を新たな視点から考察した本『サピエンス全史』に、人間は農業によって作物を支配していると思い込んでいるものの、逆に種の繁殖のために利用されているのではないかという話が出てきます。それをスケボーに置き換えるなら、僕は折れて捨てられるデッキを復活させるために、スケボーたちに利用されているのかもしれない。ネコを飼っている人が、逆にネコに飼育されているという話にも近い感覚ですね。さらに、スケボーは滑るほどにボロボロになって役割を終えますが、その姿こそが格好いい。傷をそのまま平面に落とし込みたいと試行錯誤して完成したのが『Mosh Pit』というシリーズです。スケボーの傷や折れた姿まで格好いいと思えるのは、そこに愛があるから。長年スケボーに向き合ってきたからこそ行き着いた、一つの愛の形だと思っています」
──スケボーへの愛と自己表現が、完全に一つになったわけですね。
「はい。僕にとってスケボーの魅力は自由であること。最近はスポーツとして認知が高まる一方で、子どもに厳しく指導する親を見かけますが、僕が考えるスケボーの魅力はそこにはない。これからも“こうあるべき”という決まり事に縛られずに、作品を作っていけたらと思います」
Edit &Text : Keita Fukasawa
Profile
https://nanzuka.com/ja/artists/haroshi