多様性が未来を変える vol.3「ブレイディみかこインタビュー」
国籍も人種も宗教も、セクシュアリティだってさまざまだということを私たちは知っている。個々は多様だ。ではもっとも身近な家族など、コミュニティについてはどうだろう? 多様性を認め合う社会、その必要性と未来を考える。 第3回は「ブレイディみかこインタビュー」。「元底辺中学校」に通う息子との日常を描いた親子の成長物語『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で本屋大賞ノンフィクション大賞を受賞したブレイディみかこ。イギリス南部の都市ブライトンで暮らす彼女がさまざまなアイデンティティに触れて得た、未来を生きるためのヒントとは。(『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』2020年1・2月合併号掲載)
多様性は強さになる
――家族の国籍が皆バラバラだと実際のところ、大変では?
「今回は多様性というテーマですが、わが家の場合、家族がそもそも多様なんですね(笑)。私はイギリスに住んで長年経ちますが、なんだかんだ言っても私は日本人。連れ合いはアイデンティティに関しては複雑な心情を抱えていて、イギリスに住むアイルランド移民の両親のもとで生まれ育った人。そして息子はイギリスで生まれたアイルランド人と日本人の両親を持つ子ども。家族とはいえ個々の価値観が違うのはどんな家庭でも同じだと思いますが、わが家はその差が激しいのかもしれませんね。
バックグラウンドも受けてきた教育も当然違うので、連れ合いと私はぶつかることもあります。でも、その中で落とし所を探り合うというか、揉めつつも理解できるところをお互いに想像しながら22年間やってきた部分はあるかもしれません。家族同士でも「こういう考えだからこういう言葉を言ったのかな?」とそれぞれ探り合う感じ。だから、家庭内でも「エンパシー」を育てている感覚ですね。エンパシーは、自然に湧き上がる共感の感情を表すシンパシーとはまた違う。著書にも書きましたが、「自分で誰かの靴を履いてみること」という息子の解釈を聞いた時は、その言葉こそすべてだな、と思いました。
息子とは世代的にもすごく離れているので、家族ですが「エッ」と驚くことはたくさん。でも違いがあるって面白いですよ(笑)。自分の想像もつかないような言葉であるほど「こんな考え方もあるんだな」と思わされ、そこから物事の見方も広がりますし、今までなら思いつかなかったような対処法で問題を解決できたりして、実務的な部分でも学びが多いんです。みんなが同じような考え方をするよりも、多様性のあるほうが家族も強い!(笑)」
〝違い〞に対処する方法はさまざま
――多様性について意識し始めたきっかけは?
「イギリスはいまだに階級社会なので、労働者階級、ミドルクラスという縦の軸のアイデンティティもある。さらに移民も多いので、イギリスで生活しているだけでも常にさまざまな価値観を持つ人たちに触れることになります。
多様性について初めて深く考えたのは、保育士の資格試験を受けたとき。イギリスで資格を取得するまでに、カレッジに通って座学や実習をこなすほか小論文を書きます。小論文のテーマは毎年異なりますが、最後の設問は一貫していて、「小論文で述べたことをdiversity(多様性)とinclusion(社会的包摂)の概念にいかに関連づけていくかを述べよ」でした。当時は政治では労働党が政権を取り保育の改革も進められた時期に重なり、保育士に求められるスキルも、幼児のケアではなく幼児を教育できる能力に移行していたんです。そして、多様性についての意識や考えを幼児教育の段階から徹底させようとした」
「また、保育士になってからも多様性について考えさせられる出来事がありました。勤務先の託児所は低所得層の方や移民の方々をサポートする施設の一角にあったんですが、施設内に非常に安い値段、日本円でいうなら100円ぐらいでお腹いっぱい食べられる食堂があった。食事に来る利用者の国籍や食習慣が多様であることから、月曜はインディアン、火曜は中華……といったように、毎日違うジャンルの料理が提供されて、オープン当初はすごくおいしくて。でも開店からしばらく経つと様子が変わってきた。「自分は宗教上の理由でこの肉が食べられない」「スパイシーな味は口に合わない」などいろんな利用者の声やニーズに配慮した結果、肉をほとんど使用せずスパイスもほぼ効いていない、味のしない料理ばかりになってしまった。
多様性の取り入れ方を誤ると「いつも安定してまずい料理」になるのだなと思いました。生まれ育った環境や信仰する宗教は人それぞれという前提が共通認識にあって、いや、あるからこそ、多様性が均質性に置き換えられるという奇妙な結果になっている。私自身は「火曜の料理は超苦手だけど仕方ない。中華料理が出る木曜を楽しみにやっていこう!」という気構えで食堂を利用していたし、多様性とはその〝あたりはずれ〞も担保することだと思っていましたけど」
日本でもイギリスでも感じる〝生きづらさ〞の理由
――多様性に対する社会の認識はイギリスと日本でどう違いますか?
「多様性の議論が活発化している反面、多様性が認められているとはいえない現状や人々が感じている〝生きづらさ〞は、イギリスと日本における共通点といえそうです。
イギリスの場合、EU離脱についての国民投票があった2016年頃から、離脱派と残留派の二項対立というか、世の中が二つに分断させられるようなムードを感じます。つまり共感できる人同士で集まり、〝いいね! ボタンを押せない人〞を互いに攻撃し合う。シンパシーだけでは分断する一方で、政策も国も全然まとまらない。いろんな立場の人が、それぞれに声高に自分の主張を叫ぶばかり。イギリスの生きづらさはそうした状況と関連しているのかなと思います。今こそ共感できない相手の靴を履いてみること(=エンパシー)が必要で、相手の立場を互いに認め合いながら議論して乗り越えるには、双方にある程度のポリティカルコレクトネス(*注)の意識も必要になるのでは。多様性があるために分断されているのがイギリスの現状ですが、日本はまだそこまでの段階には入ってないのかなと思います。けれどもこれからはそうした状況になっていくのは間違いないでしょう。多様な人々が生活する社会では、考え方や価値観も多様なので、それを理解するには面倒なことや衝突もある。でも、そうしながら、自分の考えを日々アップデートするんだろうと思います。
あと経済の問題、英国なら緊縮財政とか、日本ならデフレとかいう問題は、二国に共通する人々の生きづらさの一因でしょう。でも、それを突破する上でも多様な意見や考え方を出し合って議論し、解決策を見つけることが必要。自分とは違う意見、これまでは賛同できなかった理論を唱える人の主張でも、耳を閉ざさず、偏見を持たずに聞く態度が必要だと思います。多様性を取り入れる姿勢いうことは、つまりはその寛容さや柔軟さのことなのかもしれません」
*注:80年代にアメリカで生まれた概念で、政治的(politically)に適切な(correct)用語や政策を推奨するスタンス。近年では度が過ぎたポリティカルコレクトネスに対して言葉狩りとする批判も。「イギリスの私立学校ではbest friend(親友)という言葉を使うことを禁じた例があり、メディアでも議論に」(ブレイディみかこ)。人種、宗教、性別などの観点からフラットな表現を用いることが本来の意義。クリスマスの挨拶を「ハッピーホリデーズ」、カメラマンを「フォトグラファー」と呼ぶのもこの一例。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
著者/ブレイディみかこ
本体価格/1,350円
発行元/新潮社
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Interview & Text:Nao Kadokami