松尾貴史が選ぶ今月の映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』
有名美術館のキュレーターが発表した展示作品「ザ・スクエア」が世間に思わぬ反響を生み、大騒動へと発展していく皮肉な運命の悲喜劇。映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』の見どころを松尾貴史が語る。(ヌメロ・トウキョウ5月号掲載)
「正しい」とは何か。ユーモアたっぷりに問う
今回ご紹介する『ザ・スクエア 思いやりの聖域』は、先日のアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされていたのですが、惜しくもチリ映画の『ナチュラルウーマン』に決まってしまいましたが、カンヌ国際映画祭では最高賞(パルムドール)を受賞しました。
美術館の花形キュレーターであるクリスティアンは、成功への道を歩んでいます。私生活には複雑な部分を持ってはいても、それは珍しいことではありません。おしなべて、セレブリティの階段を上がっている様相です。
彼は、ある領域を囲う正方形の枠を、独創的なインスタレーションアートとして提案します。そもそも、芸術とは何であるか。非常に難しいテーマでもありますが、誰でも手を出せる問題でもあります。参加型の作品としてどうセンセーショナルを巻き起こすかをブレーンストーミングしていくうちに、PR代理店が賛否両論を巻き起こして話題を盛り上げようと、問題になるであろう表現で独走してしまいます。
彼は批判の矢面に立たされることになります。同時に彼は、以前巻き込まれたトラブルの対処に瑕疵(かし)があったようで、小さな抗議者から奇妙な攻撃を受け続けています。大きな問題を彼自身が起こしたわけでもないのに、次から次へとストレスのかかることが降り注いでくる様子は、昔の筒井康隆の小説を思わせる恐怖感があります。
この監督はどこまで深淵な思索、考察を経てこの表現に及んだのか、非常に興味があります。正方形のイメージは、作品の示す領域を表しているのはもちろんですが、造形以外に言葉のニュアンスもコンセプトに含まれているのではないかと想像します。古めかしい英語ならば、「スクエア」という言葉は俗に「誠実」「真っ当」「正々堂々」というような意味で使われていたようですが、最近では「退屈な」「面白味がない」といって、ネガティブな意味合いで使われることも多いようです。
日本の社会の狭量さ、他者への思いやりのピントのずれ加減を「君たち、こんな状況だよ」と突きつけられているような気持ちになります。独善、正義、道徳、思慮、私たちが「そうすることが正しい」とイメージしている事柄が、何と脆弱な構造体であるのかを気付かされる思いになるのです。
私は自分が皮肉屋であることを自覚しているのでなおさらそう感じるのかもしれませんが、これほど皮肉なユーモアが詰まった作品にはなかなか出合えないでしょう。私が固唾を飲んだのは、正装した紳士淑女の集まる晩餐会のような場で、類人猿のパフォーマンスが繰り広げられる場面です。芸術への理解、造詣を持っているというとりつくろいと、不快、恐怖からの回避衝動のせめぎあいは、一大スペクタクル映像よりも刺激的でした。
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』
監督/リューベン・オストルンド
出演/クレス・バング、エリザベス・モス、ドミニク・ウェスト
2018年4月28日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
URL/http://www.transformer.co.jp/m/thesquare/
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Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito