“奇跡の出版社”タラブックス 心を動かす本の秘密とは
工芸品のようなハンドメイド本の数々で、各国から賞賛を集める「タラブックス(Tara Books)」。2019年1月14日(月・祝)まで、ベルナール・ビュフェ美術館にて展覧会「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」が開催中。インドの小さな出版社の本がなぜ、これほどまでに人々の心を魅了するのか――。 タラブックスと親交の深い編集者が綴る珠玉の本づくりと、そこに息づく人々の物語。(「ヌメロ・トウキョウ」2019年1・2月合併号掲載)
物語へ誘(いざな)う、五感を動かす絵本
「もしあなたが森で迷子になったなら、センバルの木を探せばいいのですよ。黄金のように輝くセンバルの木を」(『夜の木』タムラ堂刊) 人々が眠りに就く夜の森は、そこに宿る精霊や動物たちの時間。木々に精霊、あるいは神が宿るという物語は、洋の東西を問わず自然への畏怖や憧れとして伝承されてきた。これはインド中央部に暮らす少数民族ゴンドの人々に伝わる物語だ。この本を一躍有名にした理由の一つが、紙漉きから印刷、製本まですべての工程がハンドメイドであること。もし、あなたがこの本を手に取ったなら、おそらくは普通の本よりもずっと五感を刺激されることになる。ざらりとした手漉きの紙の手触り、本を開いた途端にふわりと漂うインクの香り、目に飛び込んでくるヴィヴィッドな色、耳に心地よい文章のリズム……だんだんと、しんと静まり返った夜に連れていかれる。気づけば物語の世界に佇んでいて、読み終えたあとは物語と現実の境界線が少しぼんやりして見える。大人になって忘れていた、極上の読書体験だ。
人の気配が伝わる仕事
『夜の木』は、そこだけまるで時間が止まったような静寂さを纏っている。黒い表紙に鮮やかに刷られた色。本文ページもすべて黒だ。手漉きの紙は、この本のために特別に作られたもので、ざらりとした厚みのある紙。廃棄される古布を原料にしており、黒い紙には黒い服の端切れを使う。そのせいか黒には少し柔らかみがあり、インクの色をシャープに美しく引き立てる。ページごとにムラやシワがあるのも、手漉き紙ならではの個性だ。
この紙に、一枚ずつシルクスクリーン印刷が施される。製版された版にインクを置き、印刷用のヘラ(スクイージー)で一色ずつ色を紙に乗せていく。『夜の木』ならば、一冊につき82回スクイージーを動かすことになる。印刷工房では青年の職人たちが作業を担当している。このざらつきのある紙に、こんな繊細な絵をかすれもなく印刷できるのは、職人たち、そしてタラブックスにとっても自慢の技だ。
印刷を終えた紙は、この道50年の製本職人の手に渡る。昔ながらのやり方で一枚ずつ丁合し、糸でかがる。表紙の板張りや糊付けまで、すべてがここで行われる。
ここで生み出される本は、誇り高き職人たちの手で作られる芸術品だ。同じ本なのに、一冊ずつすべてが違う(タラブックスのハンドメイド本にはすべてシリアルナンバーが付けられている)。そこには、彼らの息遣いや気配まで感じられそうな親密さと、それでいて、凛と気高い美しさがあふれている。彼らの本づくりは、それ自体がもう物語なのだ。
世界を変える美しい本
2017年に板橋区立美術館で開催された『世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦』の巡回展が現在、静岡県のベルナール・ビュフェ美術館で開催されている。
美しい本が、世界を変える。それは、荒唐無稽な挑戦に聞こえる。活字離れや出版不況、電子書籍化が進む現代ではなおさらだ。
タラブックスの創立は今から約23年前。代表のギータ・ウォルフとV・ギータは、フェミニストグループの集まりを通して知り合った。絵本は外国のものがほとんどという状況の当時のインドで、子どもに読ませたい本がないと考えていた二人は意気投合して、タラブックスをスタートさせた。ハンドメイド本ばかりが注目されがちだが、出版物の8割は通常のオフセット印刷本。戦争や災害、環境などの社会問題から、インドの古典やギリシャ神話などクラシックなテーマの再構築、インドのストリートカルチャーなど、扱うジャンルは幅広い。でも、本を作るときには彼らなりの基準がある。
「難しいことをシンプルに、誠実に伝えられる本。知ったようなふりをするのではなく、作り手の思いが十分に伝わって、物事の理解を深められるような本」。V・ギータは新しい本を作るときの基準をインタビューでこう話していた。二人のパワフルさ、タフさ、好奇心、そして誠実さは、タラブックスそのものだ。
少数民族のアーティストとの本づくりも、その一つ。ゴンド、ワルリー、パタチトラ、ポトゥア……インド各地に古くから伝わる民俗画は今でこそさまざまな場所で目にするようになった。しかし、こうした少数民族のカルチャーは長らくインド社会から捨て置かれてきた。実際、美術というカテゴライズすらされず、インドの美大生ですら知らないということも珍しくなかった。
タラブックスは、彼らの持つおおらかで美しい、プリミティブな絵の魅力を真っすぐに見抜いて(これはインドの社会的コンテクストを考えた場合、簡単なことではない)本にしたおそらく最初の出版社だろう。ただの物珍しい変わった絵では終わらない本。彼らの文化を正しく伝えることができて、人種や民族を超えた普遍性のあるテーマが根底を貫く本。タラブックスはそのために何度でも対話を重ねることを惜しまない。著者と、デザイナーと、職人たちと、そして読者と。彼らはいつでも注意深く耳を傾けて、話を聞く。急いで結論を導き出してしまうことはしない。
世界を変えるのは、発明や革命だけではない。未知の人や物事との出合いを通して丁寧に対話をすることなのだ、とタラブックスの本は教えてくれる。誠実に人と向き合い、対話をすることを怠けないこと。それはたとえ小さくても、少しずつ、確実に私たちの世界を変えてくれる。
もし森で迷子になったなら、センバルの木を探せばいい。美しく、誠実な本は黄金のように、私たちの心に小さな灯となって輝いてくれる。
「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」
会期/開催中〜2019年1月14日(月・祝)
場所/ベルナール・ビュフェ美術館
住所/静岡県長泉町東野クレマチスの丘515-57
TEL/055-986-1300
URL/www.clematis-no-oka.co.jp/
タラブックスを代表する名作から、民俗画家による原画、本の制作風景や代表二人のインタビュー映像などを展示。ワークショップの開催情報や年末年始の休館日など、詳細は公式サイトへ。
タラブックス(Tara Books)
1994年、南インド・チェンナイで設立。ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアでラガッツィ賞を受賞した『夜の木』をはじめ、工芸品のように美しいハンドメイド本で知られる。ギータ・ウォルフとV.ギータの二人が中心になり、インドの少数民族と協働し、民俗画家の権利保護に取り組むほか、社会問題を率先して扱い、職人の技術向上に努めるなど、本づくりへの姿勢でも世界的に支持を集める。日本での人気も高く、2017年には『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)が刊行された。
Text : Natsuko Nose Edit: Keita Fukasawa