くどうれいんインタビュー「うまくいかない日も、おでんさえ仕込めば“おでんの日”になる」 | Numero TOKYO
Interview / Post

くどうれいんインタビュー「うまくいかない日も、おでんさえ仕込めば“おでんの日”になる」

旬な俳優、アーティストやクリエイターが登場し、「ONとOFF」をテーマに自身のクリエイションについて語る連載「Talks」。vol.95は作家のくどうれいんにインタビュー。

2018年に盛岡の独立系書店から刊行された、俳句と食エッセイのリトルプレス『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)でデビューした、作家のくどうれいん。以降、上梓したエッセイ集、歌集、絵本など多岐にわたるジャンルの作品は次々と版を重ね、中編小説『氷柱の声』は第165回芥川賞の候補作に。2023年6月9日に書店先行発売された待望の第2食エッセイ集『桃を煮るひと』(ミシマ社)は、14日の一般発売を待たずして4刷目の重版が決定するなど、今まさに勢いのある書き手だ。5年ぶりとなった食エッセイ集にはどんな想いを込めたのか、そしてなぜ彼女の作品はここまで読者を惹きつけるのか。注目の作家の素顔に迫った。

食エッセイは封印していた

──『桃を煮るひと』は日本経済新聞での連載エッセイがベースとなっていますが、この連載じたい食エッセイというかたちでスタートしていたのですか?

「デビュー作である『わたしを空腹にしないほうがいい』を出した後、ありがたいことにいろんなお仕事の依頼をいただいたのですが、失恋と食べもののエッセイの執筆依頼が多発して。どの依頼を受けるべきはもちろん、当時はまだ会社員でめちゃくちゃ残業しながら働いていたので、そもそも依頼を受けるべきかもわからなかったんです。そこでわたしが高校生のときから文芸部でいろいろなものを書いていたことを知っていて、信頼している書店員さんに相談したら『2作目は食を書かないほうがいい。くどうれいんは別に“食エッセイの人”になるつもりじゃないでしょ?』と言われて。

食べものは好きだしエッセイを書くことも好きなんですけど『食だけを書き続ける!』というふうにあんまり思ってはいなかったので、食エッセイの依頼ばかりで困惑していたところもあり、書店員さんに言われたことがよく分かって。で、思い切って、生意気にもいただいた依頼のほとんどをお断りしたんです。『もっといろいろなものを書けることを見せるためにも、しばらく食エッセイは封印!』みたいに」


──なぜ日経新聞での連載で、その封印を解いたのですか?

「食のテキストをあまり書かなくなったら今度は別のことを書く仕事のほうが増え、逆に食エッセイを書く機会がなくなってしまって。そのタイミングで夕刊での連載という依頼だったので『日経新聞をお読みになるような人たちにわたしが提供できる、ウキウキと読んでもらえるものは何だろう?』と考えたとき『食エッセイを解禁するならここなんじゃないか?』と思ったんです。『わたしを空腹にしないほうがいい』を出してから5年経ったし、その間に数冊出していたし、もうそろそろいいだろうと。それで満を持して解禁というかたちで、わたしのほうから『食エッセイにしたいです』とお伝えしました。

ただ、『わたしを空腹にしないほうがいい』がいろいろなところで売られて手に取られ、自分が思っていた以上に広まったこともあり、2冊目の食エッセイを出すのがけっこう怖くて。1冊目を超えるのは、けっこうハードルが高いと感じつつ、2冊目はどれくらい似た感じにするか、逆に全然関係ないようにするかとか、いろいろと考えたものの、『わたしを空腹にしないほうがいい』のおかげで作家になれたことは間違いないので、『わたしを空腹にしないほうがいい』にとって粋な本にしたいなと思ったんです。各地にある独立系の書店さんが『わたしを空腹にしないほうがいい』をめちゃくちゃ売ってくれたのに、2冊目をあまりに大きい出版社さんから出してしまうと……」

──そうか、書店さんによっては本を卸してもらえない可能性がある。

「そう、それってすごく寂しいことだと思ったんです。『わたしを空腹にしないほうがいい』を売ってくださった人たちが、『くらえ、くどうの2本目!!』みたいな感じの売り方をできる出版社さんが一番良かったので、『桃を煮るひと』をミシマ社さんから出版してもらう判断になったのは間違いなかったなと。それに私自身の作家としてのこの5年間を包み込むような本にもなったので、うれしいです。

でも、一番気に入っているのは『キャベツとレタス』という一番短くて、一番ふざけている章で。なんか上手く言えないんですけど、あれこそが私の本領な気がして。正直、ああいう短いおふざけを書くために、まじめに他のものを書いているという気すらする」

好きな人となら何を食べたっておいしい

──まさに! 読み手としては食エッセイは、読み手と書き手の心の距離を近づけるような効果があるようにも思えるのですが、書いている本人としてはどうでしょう?

「わたしは食エッセイが一番なんのストレスなく書けるというか『書けない』と思ったことがあまりなくて。なので『読者と近くなるぞ』と思って書いたりとかは全然していないですね。ただ、食エッセイを書いていない期間が長くなればなるほど『この食べものの話がしたい!』という気持ちがどんどんと溜まっていって。だって毎日何かを食べるから1日に3回溜まるわけじゃないですか? なので食エッセイを封印していた間、何年も溜めていたから相当なものだったというか。

それとエッセイを書くときは『いや、最近さぁ』みたいに、友だちとしゃべるような気持ちで書くことが多くて。絶対に面白がって話を聞いてくれるという謎の自信があって書くから、話がスベることがあまり怖くないし『何かを赤裸々にさらけ出さなきゃ』とはあまり思っていないですね。食エッセイについても、『オリーブオイルとは云々』と語ったりするような感じにはあまりなりたくなくて。食に詳しかったりこだわりのある人にもなりたくないし、かといって『食事なんてなんでもいい』と思っている人とも一緒にされたくもないし……なんだろな、ごはんの趣味が合う人としゃべりたいという気持ちで食エッセイは書いているのかもしれない」

──だから読んでいて、書き手であるくどうさんと近しいものを感じられるんでしょうね。

「読者さんとお会いするイベントがあると『れいんちゃん、久しぶり〜!』くらいのテンションでくる人が多いんですよ、初対面なのに! 担当編集者さんには『こんな気さくな読者が多い作家さん、見たことないです!』ってびっくりされます。わたしとしては気さくさを出してやろうとかはあんまり思ってないし、むしろできるだけ崇められたいとすら思っているくらいなのに、なんか書き終えるとそれがうまくいかないようで……」

──でも、変な威圧感を与える書き手よりずっと良いですよ。

「あと『わたしを空腹にしないほうがいい』を出したせいで、ものすごくグルメだと思われているので、『桃を煮るひと』ではそれを打破したかったというか。こういうこと言うとめちゃくちゃベタなんですけど、好きな人と一緒なら別に何を食べたっておいしいと本当に思っているので『私はこういう人間ですよ!』というのを改めてちゃんと言い直したかったという気持ちがあって。『今の食の趣味や好きなものはこれです』というのをぶつけるために『桃を煮るひと』を書いたという部分はあると思います」

うまくいかない日ほど、夕飯をがんばる

──『桃を煮るひと』のあとがきで〈文章を書くことも菜箸を持つことも、わたしがわたしを取り戻すのに必要な行為〉と書かれていましたが、料理のほかにオンとオフの切り替えになることは何かありますか?

「いやぁ……わたし、常にオフだから」

──えぇっ?!

「わたし、あまりオンって思ったことがないかもしれないです、『書くこと=オン』ではないから。友だちの恋愛相談に対して4000字の文章をめっちゃ打っているときもあるし、オンでもオフでも何かしらものを書いているんですよ。もしかしたらオンとオフの切り替えがものすごくこまめな可能性がありますね。だから、はたから見るとずっとオンに見えて、忙しいと思われてしまっているのかも。自分としてはこまめに切り替えているだけなので、そんなに忙しいとは思ってないんですよ。実際、会社員として働きながら書いていたときと比べたら、今は全然余裕がありますし。

オフのとき、何をしているだろう? 料理をして……あ、料理と同じくらいスーパーでの買いものが好きです。原稿が進んでないときや『今日はあまり良くない一日だな』と思ったら、とりあえずスーパーに行きます。あと、どんなに原稿が書けなかった一日でも、その日にでっかい鍋でおでんを仕込みさえすれば、『原稿が書けなかった最悪な日』ではなく『おでんパーティーの日』にできるのがうれしいから、夕飯をがんばることが多いですね。うまくいかない日ほど、その日を料理の日、ごはんの日にしたいというか」

──やっぱり書くことと食は切り離せないんですね。

「食べることと、書くことしか考えていないのかもしれない。あまりにも食い気があるとか、食べものが好きということを、自分のキャラクターであるとか売りだとか言いたくないし思っていないんですけど、自分で考えているよりはそうなんだと自覚しなきゃいけないっていう感覚はありますね」

いい作品を見ると悔しくなる

──あとくどうさんのTwitterを見ると、よく美術館に行かれていますよね?

「確かに美術館に行くことはオフだし、かなり観ていますね。けど、展示されている作品が良すぎると『キーッ、悔しい!!』となって3分くらい興奮状態になってしまうんですよ、どれだけすごい人のことも『なれたかもしれない自分』として見てしまうから。オフのつもりで美術館に行って、すごい嫉妬心というか『チクショー! 書いて見返すしかない!!』という気持ちで帰ってきて原稿が捗るという意味では、荒治療的なオフかもしれませんが。

なんかジャンルが違う人の場合は諦めがわりと早いけど、年齢ややろうと思っていたことが近い人ほど悔しくなりますね。自分より先に生まれているものに対しては、がぜん悔しいけど、あとからのものは最近ちょっと諦めはじめていて。あと10年、15年とか経っていけば、まだ諦めきれない人たちと、もう諦めがついた人たちが半々くらいになるかもしれないです」

──エッセイのほかにも、小説、絵本、短歌と多方面で活躍されていますが、今後新たに挑戦してみたいことは何かありますか? 個人的には、ぜひ句集を出していただきたいところですが。

「出したいとは思っているんですけど、もう何年も俳句をちゃんとやれていないくて。もう少しゆとりができて、3〜4年くらいきちんと俳句をやってからじゃないと、句集はわたしが出したくないですね。いま出したら売れるのは理解できるけど、それはダメだなって。俳句にたずさわっている人たちへの仁義が通っていない」

──仁義!

「仁義で動いているところがあるので。もう正直、これ以上新しいものとか、いろんなジャンルに挑戦するという気持ちがなくて。私、編集者さんたちのことものすごい好きなんです、仕事相手としても、人間としても、大好きで。今、この時点でわたしを見つけてくれて、一緒にお茶をしてくれたりする編集者さんたちをできるだけ長く楽しませたり、びっくりさせたい気持ちはあります。いまから何か奇抜なことをして『こっちのジャンルもやるんですか?!』とかではなく『まだ上手くなるんですか?!』と言われたい。だから今後どうなりたいかと聞かれたら『上手くなりたい』と答えますね。

ただ、ありがたいことにいま、お仕事をたくさんいただきつつあって。わたしが『この人と面白い本を作りたいな』とか『この人に認められたいな』と思っている編集者さん一人ひとりのことを気にしたり、それぞれの方がつくったものを見たり、関係性を大事にできる幅をちょっと超えつつあるんですよ。だから感覚としては、今すでに仲良くしてくれている編集者さんたちと80歳まで原稿をやりとりをできるようにありたいという感じです」

『桃を煮るひと』
著者/くどうれいん
発行/ミシマ社
詳細はこちらから。

Photos:Takehiro Goto Inetrview & Text:Miki Hayashi Edit:Mariko Kimbara

Profile

くどうれいんRain Kudo 作家。1994年生まれ。2018年に俳句をタイトルにした食にまつわるエッセイ集 『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』を岩手の書店BOOKNERDより出版し、リトルプレスとしては異例の1万部を売り上げ話題に。21年、初の中編小説『氷柱の声』(講談社)で第165回芥川賞候補にノミネートされた。近著に『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)ほか。俳句、短歌は工藤玲音名義で活動し、歌集に『水中で口笛』(左右社)がある。 rainkudo.com

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