古舘伊知郎インタビュー
「つくづく欲深い男だなと思います」
自分自身の今に影響を与えた人物や、ターニングポイントとなった出来事、モノ、場所との出合い。それをきっかけに変化し成長した自分を振り返る。古舘伊知郎のビフォー&アフター。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年1・2月合併号掲載)
──古舘さんの座右の銘は「成長したいなら必殺技を捨てろ」だとか。
「竹原ピストルさんの『オールドルーキー』という曲にあるように、積み上げてきたもの“で”ではなく、積み上げてきたもの“と”勝負しないといけない。まさに、それです。多少の得意技も使いながら、自分が新たに勉強したものを乗っけていく。今まではデコラティブに言葉を装飾してウケてきたので、今度は短いセンテンスで勝負するとか。華美な生け花もいいけれど、一輪挿しの技も学びたいという欲望も湧いてきています」
──1997年に入社したテレビ朝日でアナウンサーになられて。最初の欲望を覚えていらっしゃいますか?
「新人の頃、プロレスの実況をやったあと放送を見たら、僕の顔が半分切れていたんですよ。忘れもしない東京は蔵前国技館。それで思いっ切り『顔を出したい』と思うようになった。つまりは『売れたい』という欲望が湧き出てきたんですね。それで入社5年目の頃アドリブ半分で言った『闘いのワンダーランド』などの表現が評判になってきて。じゃあ工夫して、また面白いことを言ってやろうと。皆さんがおっしゃってくださる、いわゆる“古舘節”が生まれていったんです」
──古舘さんの大きな転機は、フリーとなったときとよくいわれますが、精神的なところで独立の背中を押したきっかけはあったんでしょうか?
「フリーになる前だから82年か83年。放送作家で直木賞も受けられた故・景山民夫さんが『月刊宝島』という雑誌で『古舘伊知郎はド天才である』と、8ページブチ抜きで書いてくださったんです。読んで、思わず身をよじりましたね。人間あまりにうれしいと涙が出ないんですよ。“身をよじる”とはこういうことかと初めて知りました。その『宝島』は擦り切れるまで読んで、お守り代わりに持ち歩いていたくらい。思えば、勉強ができるわけでもない。スポーツ万能でもない。絵や音楽の才能もない。モテるわけでもない。ずっと自信のないままきましたから、景山さんの言葉にはすいぶん励まされました」
──お会いにはなったんですか?
「(番組の構成を手がけていた)景山さんのご縁で『タモリ倶楽部』に呼ばれたことがありました。もう、全力でお仕事をしようと思いました。タモリさんと東京・麻布を練り歩きながら、目に留まったものを実況、解説していくという企画で…(突然「おーっと!」と、古舘節で当時の実況を再現)、これが大ウケしたことがフリーになる直接のきっかけでした。売れてはきたけれど自分に自信がないため、一度は収まったと思った欲望がまた湧き出したんです」
──古舘さんについて調べていたら面白いことに気づいたんですけど、不思議と“4”と“7”の付く年に人生の転機が訪れているんですよ。お生まれが54年。テレ朝入社が77年で、フリーになられたのが84年。そして87年にはご結婚をされて…。
「しかも、結婚したのは7月7日!」
──94年には念願だった『NHK紅白歌合戦』で司会。2004年4月4日より『報道ステーション』がスタート。
「なるほど、4と7が絡んでる。もうすぐ誕生日なんですけど、12月7日生まれだし、近々何か起こるかもしれませんね」
──今後やってみたいこと、挑戦したいことはありますか?
「12月で63歳になりますが、幸い元気ですし、『もうひと花咲かせたい』という欲望はあります。40年間やれた、やらせてもらえたわけですから、何か社会貢献しなきゃと。僕がしゃべることで誰かを楽しませたりホッとさせたり、これから旅立つ人の心を少しでも楽にできないかとか、ね。僕自身も近しい最愛の人を亡くしたときにちゃんとした言葉を掛けられずにきたので、何かしら社会に奉仕して還元して、しゃべり手人生を閉じていかなきゃいけないだろうという思いが日増しに強まっています」
──次に4の付く年は24年です。さらには70歳。7も付きますね。
「それまで生きているかわからないですが、東京五輪の開会式の実況や、また『紅白歌合戦』の司会をやりたいという夢はあります。『二度と報道はやりたくないのか?』と、よく聞かれますが、もう一度元気なうちに、報道的要素が入っている、ニュースのサイドストーリーを扱ったような生番組をやりたいという欲求もありますし、ほかにもまだいっぱいやりたいことがある。自分でも、つくづく欲深い男だなと思います」
Photo:Makoto Okuguchi Stying:Yoshiaki Takami Hair & Makeup:Yoshikazu Shoji Interview & Text:Tatsunori Hashimoto Edit:Saori Asaka