ちょっとだけ立ち寄ったNYで。vol.2 | Numero TOKYO editor
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ちょっとだけ立ち寄ったNYで。vol.2

6年続けた編集の仕事をちょっとだけお休みし、私は20代最後の2年間、グラフィックデザインを学ぶためにロンドンで過ごしました。自分なりのスタイルがようやく見え始めた頃、その後の私のデザインと人生に大きな影響をもたらしてくれた2人の偉大なデザイナーの作品に出合いました。Alexey BrodovitchとGeorge Loisです。

ブラジル出張のトランジットで立ち寄ったニューヨークで「George Lois The ESQUIRE COVERS」展が開催されていましたので、皆様にご紹介します。1962-72の10年間、ESQUIRE MAGAZINEのADを務めたのがGeorge Lois。なんでも、前年の61年、雑誌の売れ行きが好ましい状況ではなく、ESQUIREは深刻な危機に陥っていたそう。当時の編集長のHarold Hayesが、広告界で売れっ子デザイナーであったGeorgeに白羽の矢を立てて、出版界に「革命」を起こした。結果、ESQUIREが「売れに売れた」黄金時代が到来。ひとりのデザイナーの情熱が、雑誌の未来を変えたのです。60年代の雑誌の表紙には、イラストを起用することが多かったのですが、彼は別の手法でマスに届くコミュニケーションを果敢に試みた。

その方法とは、、、論争を起こしかねない挑発的なビジュアルとキャッチーな言葉の組み合わせ。 例えば、誰もが一度は見た事あるこの表紙!

“the decline of American avant-garde”(アメリカ・アヴァンギャルドの衰退)と謳われた表紙には、ポップアートの寵児 アンディ・ウォーホールがキャンベルスープの中に沈没。アヴァンギャルド、上昇気流ですよ*))

そして興味深いのが、このビジュアルを作るプロセス。

スープとウォーホールを同じカメラのアングルで、別々に撮影。スープの液体にアンディが飲み込まれていくスペースを作るため、撮影中に小さなボールを中央めがけてポンッと落としたそう。アンディには「溺れたフリしてね!」と頼んだとか。この表紙をウォーホールはえらく気に入って、彼のキャンベルスープの作品をこの表紙のオリジナルと「交換したいな~」って言ってきたのですって! こちらは1969年の作品です。

もうひとつ有名なのが1968年4月に発刊されたこの表紙。

左はGeorge自身なのでしょうか? デザインコンセプトを作るためのテストシューティング。ポジの上から赤いダーマトで実際にアリの体につける矢の位置と、ロゴの位置を描き込んでいます。

表紙に謳われたメッセージは” the passion of Muhamad Ali “。元ボクシング ヘビー級チャンピオンだったムハマド・アリは、当時、ヴェトナム戦争への兵役を宗教上の理由で拒否。徴兵忌避の罪に問われ、5年間の刑を与えられボクシングの王座も剥奪されてしまいます。この撮影が行われた1968年は、まさにアリが最高裁判所への控訴を待っていた時期。Georgeはそんなアリに「キリスト教の殉教者(Saint Sebastian)のポーズをしてくれないか?」とお願いした訳です。時の有名人を起用するだけでなく、そこにはしっかり政治的、社会的なメッセージがシニカルなビジュアルに込められています。アスリートとしての彼の苦悶も、この写真から読み取れますよね。

仕事はもちろん「結果」が大切。けれども結果へ辿り着くまでの「プロセス」も大切だな、とこの展覧会を見て思った次第。仕事でも料理でも、アイロン掛けでも、お好み焼きを作るときだって……些細な「プロセス」を大切な人たちとどれだけ楽しめるか?が、結果を左右するキーになる気がしました。う~ん、そう考えると、私は恵まれてるみたい♬

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