カリナや&TEAMのJO、HARUAら来場。現代における“女性らしさ”を再考「Prada」2025-26秋冬コレクション
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カリナや&TEAMのJO、HARUAらが来場。現代における“女性らしさ”を再考する「Prada」2025-26秋冬コレクション

プラダ(PRADA)は、2025-26年秋冬ウィメンズコレクションを現地時間の2月27日にミラノで発表。ランウェイ形式で行われたショーのフロントロウには、グローバルアンバサダーを務めるエスパ(aespa)のカリナを始め、ピョン・ウソク、&TEAMのJOとHARUAなど、多くのセレブリティが顔を揃えた。

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“生々しい魅力”。意訳するならば、“ありのままの美しさ”を意味する「RAW GLAMOUR」と題された本コレクション。ミウッチャ・プラダとラフ・シモンズが試みたのは、現代における女性らしさや、その定義を改めて問い直すこと。ただ、本コレクションを振り返ってみると、2人は安易にその答えを提示したり、ある方向に導くのではなく、当たり前のように理想として共有されていた女性らしさや美の概念についての認識を問いかけ、議論が活性化されることを望んでいるようだ。

プラダ財団内のスペースに設けられた会場には、工事現場のような鉄骨の足場が組まれており、キャサリン・マーティンによってデザインされたアールデコ調の絨毯がランウェイとなっている。武骨さと洗練という相反する要素を融合した設計は、今年1月に発表されたメンズコレクションと同様で、衣服ににまつわる意味の複雑さを、空間デザインからも補完している。

会場の雰囲気と呼応するダビーなインダストリアル・サウンドが印象的な、SENKING『Great Day』が流れるとショーがスタート。ファーストルックから、4番目まではレディースのワードローブの定番、リトルブラックドレスが続く。ただ、素材にはメンズのワークジャケットなどに用いられるタフなヘリンボーンが使われていたり、首元や裾部分には、切りっぱなしのような処理が施されている。また意図的に身体のラインを拾わないよう、硬いテクスチャーやブカっとしたサイジングで、従来のジェンダー規範における“女性らしさ”に抗う。

足元には、フェミニンなポインテッドトゥのパンプスを合わせているが、トゥを縦断する断ち切りのようなレザーが荒々しさを添える。ショーの終了後にラフ・シモンズは、「女性らしくて美しい」という常套句が当たり前のように使われていることに疑問を投げかけた上で、「(自分も含めて)多くの人が女性らしい美しさに関して、伝統的なイメージの中に沈んでいる。」と説く。つまり、ステレオタイプな女性らしさの象徴としてリトルブラックドレスを題材に、“フェミニティ”という枠組みを拡張しようと試みたのだ。モデルはほぼすっぴんのようなメイクで、セットされていないようなボサボサの髪型であったことも、その意図や狙いを視覚的に補強していた。

その直後に登場したのが、ウエストにリボンでニュアンスを付けたオーバーサイズのニットと(便宜的な呼び方をすると)ボーイフレンドデニム、さらにレザーの短靴を合わせたルックだ。一見メンズライクな着こなしだが、これもある種の限定された女性像を意図的に演出したようにも見える。何故なら、ラフ自身が「既存の女性らしさを批判したいわけではない。」と説明しているように、そもそも“女性らしさ”と何なのか? という立脚点から本コレクションは始まっている。ファッション史を紐解けば、リトルブラックドレスも喪服の色として元来タブー視されていた「黒」をガブリエル・シャネルがスタイルに採り入れたことから、女性たちは旧態依然とした装いのルールやマナーから解放されたのだ。今回のコレクションノートによると、美の概念についての一般的な認識がどのように変化し続けているのかについても、投げかけたとある。美の基準や女性性(もちろん男性性もしかり)が時代に合わせて変容していくことを、ショーを通して伝えたかったのだろう。

他にも、ファーをラミネート加工して押し潰したようなコートや、テーラードジャケットのラペルにシアリングを重ねたピース、さらにつま先が露わになったオープントゥのローファーやブーツなどからは、素材や意匠が有する本来の機能や言語からの解放が見て取れる。コレクションノートでは、再文脈化・脱文脈化と説明していたが、本来のコンテクストから逃れることでシルエットの変化など、新たな発見が見えてくる。

当たり前であるという前提に疑問を抱き、既存の定義を見直す試みは、ファッションにおける身体性にも及んだ。ベアトップやタイトなニットのトップスに合わせたスカートは、ウエスト部分が身体から浮くように成形されており、異形のバランスを創出。端正なチェスターコートはナローなレザーベルトでウエストをぎゅっと絞ったり、ジャケットやコートの背面には、切りっぱなしや縫い代を剥き出しにするなど、あえて全体のバランスを崩して構造を強調している。不完全性に見出す美しさとでも言おうか。それらの粗野なディテールは、却ってリボンや装飾に散りばめられた女性らしさとのコントラストを浮き彫りにするが、その多面性に現代の女性らしさを映し出していた。

また、ショーの中盤以降には、レトロな花柄プリントのワンピースがパターン違いで登場。ガーゼのような柔らかなテクスチャーとたっぷりとした生地感、アイキャッチーなリボンのあしらいは、幼少期の無邪気さを想起させる。ミウッチャは、人生の移ろいや個性の成長を描いた「Miu Miu」2024年秋冬コレクションにおいて、子供のお出掛け服を大人のスタイルに巧みに落とし込んだ。それは、“女の子らしさ”という言葉の意味を再定義するものであったが、前述のルックとも地続きであると感じた。ファッションを楽しむ上で、女性らしさと同様に年齢に見合った装いを求められることが多々ある。それもまた、“〜らしさ”という呪縛であり、花柄のワンピースは、「エイジズム」からの解放も意図したのではないだろうか。テクニックとしての置き換えや縮尺の変更は、今コレクションのキーワードに挙げられており、継続的な探求が今コレクションに奥行きをもたらしていたのは間違いない。

小物類に目を向けると、パティーヌのような風合いがプラダとしては新鮮なハンドバッグや、長いチェーンがアクセントを添える巾着型バッグ、ニットにビジューをあしらったネックレスなども気になったが、フットウェアの充実ぶりが目を引いた。とくにオープントゥのブーツやローファーは、斬新でありながらリアルクローズとして使えるさじ加減も絶妙で、どうやって合わせようかとあれこれ思案を巡らせる楽しさがある。

今回のコレクションも、テーマやコンセプトを消化したアウトプットへの落とし込みが出色で、鑑賞者に多くの気づきや示唆を与えてくれた。ともすれば、頭でっかちになりがちな社会性を伴ったテーマでも、必ずワクワクするような高揚感やときめきを享受できるのは、まさにプラダの真骨頂と言えよう。つい、先日発表されたばかりの業績報告でも、多くのラグジュアリーブランドが苦戦する中、プラダ・グループ全体で大きく数字を伸ばしたことが話題となったが、今回もミウッチャ&ラフ体制のクリエイションの成熟度が高みに達した素晴らしいコレクションであり、その人気にまだまだ翳りは見えそうにない。

PRADA
プラダ クライアントサービス
TEL/0120-45-1913
URL/www.prada.com

Text: Tetsuya Sato

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