「いまを生きる」岸惠子に学べる時間 | Numero TOKYO
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「いまを生きる」岸惠子に学べる時間

現代よりも、圧倒的にメディアや娯楽が少なかった時代、多くの国民を魅了し、一世を風靡した映画スター。そして、軽やかにその座を離れ、まだ海外に自由に渡航できない時代に、フランス人監督イヴ・シアンピと結婚。海外の政治経済を生活者としての鋭い目線と示唆に富んだ言葉で日本に送るジャーナリスト。岸惠子は、驚くほど様々な顔を見せる女性の先駆者だ。

長い年月生きていれば、あるいは海外へ自由に渡航できれば、誰でもできることではない。新しい事への好奇心、理不尽への憤り、そして、弱い者、目の届かない人々への気持ち。そうしたものを若い頃から追いかけてきた生活が、90歳を目前にしてなお、岸惠子を突き動かすのだろう。

2020年から企画され、二度にわたる延期を経て、8月に行われる岸惠子スペシャルトークショー「いまを生きる」。その合同取材会場に、岸は黒いドレスにヒールのシューズで現れた。写真撮影のポーズを要求するメディアとも軽いジョークを含んだやり取り、寒いので、と断ってからサラッとショールを羽織る姿は、洗練された女性の理想だ。磨かれた美的感覚と真の知性とに裏打ちされた存在感は、重ねてきた年齢をより価値の高いものにしている。

「このトークショーを最後の舞台にするつもり」

 

「このトークショーを最後の舞台にするつもり」という一見ネガティブに聞こえる言葉とは裏腹に、口をついて出るのは、ウクライナ問題に日本がなぜ、何もしようとしないのか、という熱い憤りの言葉だ。「日本人は知識もあるし、報道もちゃんと敷いているし、世界事情がわかっている。分析力もある。でも、そこで終わってしまうんですよね。やっぱり、海に囲まれた安全地帯というのもあって、まだ鎖国してるのではないかと思うくらい外を見ない。見て、感覚ではわかっても、報道では出ない。トークショーではそんな話をしたいと思っています」

岸が、熱弁をふるうのは、単純に社会正義への気持ちだけではない。長くヨーロッパに暮らし、肌でその良さ、そして差別も含んだ社会構造や地続きの国同士のシビアなしのぎ合いを感じてきたからこそだ。特に、ロシアとウクライナの問題については、深い思い入れがある。夫であったフランス人の故イヴ・シアンピ監督と、ソ連のスパイであるリヒャルト・ゾルゲをテーマにした1961年公開の映画『スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜』を制作。この映画を高く評価したフルシチョフの招きで、ソ連を訪れているからだ。

「ウクライナ人てすごく強いと思って。国に対する愛と信仰であそこまで戦えるとは。あんなにめちゃくちゃに乱暴されながら。それもすごいと思うし、なんだかお笑い芸人だったとかいうゼレンスキー大統領、あの人、素晴らしいじゃないですか。けれど、私はロシア人もよく知ってるんですね。『ゾルゲ氏よ、あなたは誰』(『スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜』の原題)という映画で、その頃書記長だったフルシチョフさんに招かれて、夫と共に彼の専用機で、旧ソビエトの各地を回ったんです。その時に見たスラブ民族の優しさと明るさやユーモア、素朴さ。そんな人たちが何が何だかわからないうちに死んでいく空しさ」

強いまなざしで、居並ぶメディアを見つめながら「ウクライナ人も好きだし」と続けた後、ひときわ強く「私はロシア人の良いところをいっぱい知ってるんですよ」と語る岸の迫力に、その愛情の深さを垣間見る。

今、テレビや動画サイトなど情報を得るところはたくさんある。好むと好まざるとにかかわらず、好きなだけ残酷なシーンも同情すべきシーンも見放題だ。だが、私たちが本来見るべきなのは、その背後の歴史であり、文化であり、長い交流から培われた喜びと悲しみなのではないだろうか。

岸惠子は、そうしたものを伝える役割を持って生まれた人間なのかもしれない。

「私はそういう事件にすごく出会ってるんですね。人間の一生にはアレッ? と思うほど日常とは違う出来事が起こると思うんですよ。それが起こらない人もいるし、起こっても見過ごしてしまう人もいるんでしょうけど、私はほんの些細な違いにも気を取られて、それに向かって生きてきたわけです」というように、岸はフランスの五月革命を間近にし、プラハの春に参加した学生と生活を共にするなど、世界の転換期をその人生の中に織り込んできた。

2019年から続くコロナ禍ももちろん、その別ではない。岸の娘や孫は、パリ在住だが、もう3年以上会えていないという。その裏には、かつて、日本国籍は父親が日本人である場合にのみ与えられるという条件から、娘がフランス国籍で過ごさざるを得なかったこと。昨年12月に娘が渡航を計画したもののビザの取得にひどく手間取った末、飛行機搭乗の3時間前に外国人の渡航全面禁止が発表されたことなど、様々なエピソードが隠されている。その一つ一つを単に個人的なエピソードとするのではなく、国の制度やシステムへの違和感などを敏感に感じ取って、発信していくバイタリティには敬意しかない。

フルシチョフのプライベートジェットでソ連にわたり、各地を見た岸から、ウクライナとロシアの問題がどう見えるのか。日本のメディアや政府のとる様々な政策はどう感じるのか。(傍からはそう見えなくても)コロナ禍の行動制限で自らの衰えを口にする岸から学べる時間は貴重だ。

8月のトークイベントのギャランティはウクライナの難民への寄付にされるという。自分たちの知識を深め、その対価がウクライナの人々の支援に使われるとしたら、岸の言う「行動しない日本人」から一歩進むきっかけにはならないだろうか。

岸惠子 スペシャルトークショー「いまを生きる」
企画・構成・出演/岸惠子 司会/松本志のぶ

<公演日程>

2022年8月12日(金)開場 12:15   開演 13:00 神奈川 県立 音楽堂
2022年8月30日(火)開場 12:15  開演 13:00  新宿文化センター大ホール
※開場は開演の45分前
料金:6500円(全席指定・税込)
※未就学児入場不可
※会場内ではマスクの着用を必須とさせていただきます。必ずご持参ください。

一般発売/2022年6月25日(土) 10:00
販売所/チケットぴあ https://w.pia.jp/t/kishikeiko2022/ P コード 648 056 ※神奈川 ・新宿 公演 共通
イープラス https://eplus.jp/kishikeiko2022/
ローソンチケット https://l tike.com/kishikeiko2022/ L コード: 32064 ※神奈川 ・新宿 公演 共通
公式サイト/https://kishikeiko2022.wixsite.com/imawoikiru
主催/サンライズプロモーション東京 / MY Promotion
制作/スペースポンド
協力/MY Promotion
お問い合せ/サンライズプロモーション東京 0570-00-3337 (平日12:00~15:00)

Text:Reiko Nakamura

Profile

岸惠子Keiko Kishi 女優・作家。横浜市出身。1951 年公開の「我が家は楽し」で映画デビュー。「女の園」、「君の名は」三部作が大ヒットし、「亡命記」で東南アジア映画祭最優秀女優主演賞を受賞した。
24歳で結婚のため渡仏し、仏語・仏文化の専門校「アリアンス・フランセーズ」卒業後、ソルボンヌ大學にも進学している。その後、「おとうと」(ブルーリボン主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞受賞)「黒い10人の女」「約束」「細雪」「かあちゃん」(日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞)など、多数の映画に出演している。
「細雪」撮影の合間に書いた初めてのエッセイ『巴里の空はあかね雲』(文芸大賞エッセイ賞受賞)を皮切りに、NHK衛星放送初代キャスターでイスラエルのシャミール首相インタビューなどの体験から『ベラルーシの林檎』を執筆(日本エッセイストクラブ賞受賞)。その後も数々のエッセイを出版している。また、小説『風が見ていた』『わりなき恋』『愛のかたち』を発表し、作家としても活躍している。近著はエッセイ集『孤独という道づれ』。さらに 2019 年に日本経済新聞に連載された『私の履歴書』は多くの読者の感動を呼んだ 。 2004 年旭日小綬 章、2011 年にはフランス共和国政府より芸術文化勲章コマンドールを受章している。 2021 年、『岸惠子 自伝』を上梓、話題となった。

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