勝手にデパート文化論[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.6
I「もともとアジアには夜市文化というのがあって、移動夜市なんか街の中をぐるぐる移り回っていく。屋台がバーッと並んでいて真ん中に座るところがあって、隣の店から持って来たモノを食べても構わない。みんなシャッフルされてるんですよ。そういう根強い食に対する姿勢があるから、日本だって当然そうだと思ってるんでしょうね」
K「日本はテーマパークのフードコート以降からああいうの知ったんで、夜市感覚はあまりないですよね。どっちかっていうとバル的な、どんどん店を移って行くという。デパートの売り上げ成績が、コンビニより落ちたとか、ユニクロ突っ込まなきゃやっていけないとか、急速に何とかしなきゃっていう時代ですけど。だから、僕にとってということになりますが、例えば、伊勢丹の1階の靴売り場は、ハロッズとサマリテーヌのディスプレイを参考にしてるなとか、オタク的な楽しみはありますね」
I「百貨店は万博とかパノラマとかに近いって言ったけど、昔はデパートに行けば、すべてのものが一望に見渡せたし、まあ世界や時代の現在を把握できたんですよね。だけど、それに代わる機能が、今は他にたくさんできちゃったし、商品流通のシステムや業態が完全に変わってしまったんで、冬の時代に入ってしまった。でも、確かにまだまだ可能性はあると思いますね。例えば、そういうフードコートなんかを地下大夜市みたいにして、中国の人たちが来ても対応できるようにしたら、それなりにイケるかもしれない。多分アジアの街だと、どこへ行っても一番賑やかなのは市場とか夜市でしょ。それが日本の場合ないから。デパ地下とかが代用の役を果たしているんでしょうか」
K「デパ地下が夜市化するのは難しい。東南アジアもしくは中南米の人たちは当たり前で、ル・クレジオなんかは、夜市の都市性こそが文化だ。とまで言っていますが、何れにせよ北東アジア圏でさえも日本以外には夜市がある。日本は潔癖すぎるんですよ。清潔なガラパゴスです。大陸や半島の富裕層の人々が、お国平均で不潔性を持ち込むのか、トウキョウ化して異様なまでの清潔さをスノビズムに含めるのかが非常に注目されますが、例えば沖縄に行ったら絶対行くんですが、公設市場ね。デジタルカメラ振り回しても誰も文句いわないから、撮り放題で、もう既に映画みたいになってるんですけど(笑)。要するに東京の清潔さは明らかに必要以上であり、観念的だと言うことで、東京以外が不潔なのではない。むしろ狭さと関係があります。当たり前ですが米軍のある地域は、バンコクもそうですけど、フードコートのあるデカいモールが発達する。体育館みたいな」
I「水族館があったりしてスケール感が違うよね」
K「デパートは狭い敷地面積を広く見せるパノラマ感のテクニックが発達したでしょ。花園神社の敷地面積ってそんなに広くないのに、酉の市の時は入り組んだ経路をつくることで広く見せる、本来狭いところを広く見せるっていう。まあ、胎内感ですけどね。 パリ式はパリ万博のいわゆるエキゾチズムもあるし、胎内的なパノラマ感はあるわで、デパートマニアっちゅうか、デパートという全体像の中にフェティシズムという細部が発生しているというか、エレベーターだけ研究して、ついに本出した人とか。エスカレーターのメーカーや音だけチェックしてるヤツとか。制服フェチもデパガ派と美容部員派に別れてたりして。新宿の高島屋は交差形のエスカレーターをパリのサマリテーヌみたいに取り入れましたけど。イトーヨーカドーでは起き得ないですよ。デパートのトイレだけの写真集だったら、僕、明日にでも出せます(笑)」
I「サマリテーヌもボン・マルシェもアールデコの建物ですね。ちょうどデパートが高層化する時代で、エスカレーターやエレベーターとか考案していった。建築デザイン的にもデパートって独特の展開をしてて、百貨店建築って特別な領域がある。ルーヴルの側にあるサマリテーヌの2号館はアンリ・ソヴァージュが改修した1928年のアールデコ建築の名作ですが、ル・コルビュジェにも大きな影響を与えています」
K「赤瀬川原平さんたちがやっておられた「路上観察学会」などの都市考現学の対象の60%ぐらいはデパートだったと思いますが、デパート建築だけは、単なるレトロビルとは違う、歌舞伎的なフェティシズムに溢れている」
I「ロンドンのナイトブリッジのハロッズの肉屋売り場は、19世紀タイル工芸の粋を極めた美しい空間で、いろんな名作建築本に載ってるんだけど。作られのはたぶん1900年代とかですが、当時のデパートの建築って最新技術や最新デザインの場だった」
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