どこまで行くのか変身願望。究極の整形を求めて/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.5
エコと嘘のアンチエイジング
──整形とまではいかないですが、まつげエクステなんかはもう当たり前ですよね。
K「エコと長寿との兼ね合いもあるんじゃない? 変なもん塗ったら顔が荒れるからヒアルロン酸は塗りたい、整形したいわっていう二律背反があるわけじゃない? だからエコ、アンチエイジングっていうのと、整形してどこまでもきれいになるんだっていうもののバランスを、女性たちがまずどうとるのかっていうことを見守る形になっちゃいますよね。男はまだアンチエイジングくらいはいるのかもしれないけど。日常的には眉毛のトリミングくらいで、お出かけ前に1時間半っていうメイク男子はまだいないでしょ」
I「整形する人って自分がどんどん老化していくことをどう考えてるんですかね。結局、整形したての状態って続かないでしょ」
──エイジングを気にするから整形しているようにも思います。
K「リフトアップに代表されるような整形っていうのは、エコじゃない嘘のアンチエイジング。あれはやっぱり怪物のイメージとくっついちゃってるんだよ。例えば「吉永さゆりいつまでも若いよね。あれって化け物じゃない」とか言うじゃない? その時の化け物はイイ化け物であるのに対して、マイケル・ジャクソンなんかが一時期その対象にされちゃったけど、どんどん整形を重ねて若づくりをしていくっていうことは、最終的には怪物のイメージ。『顔のない眼』という映画がありますけど、そういった年齢も性別も超えたような顔になっちゃって。最終的にはそれはモンスターであるっていう、とても不気味なものなんだっていうイメージがありますよね」
I「そうだよね」
K「叶姉妹なんかはその中間の存在ですよね。すべてが虚偽であるというエクストリーマーとして愛されるという」
I「彼女たちのような人を女性はどう思っているんでしょうね? うらやましいと思っているんですか?」
K「キッチュもしくは殉教者みたいな感じですかね。美輪明宏さんみたいな。でも叶姉妹って一番最初の読者モデル、読者コスメ批評家だったんですよね。『25ans』のね」
──美しいままでいるということに憧れて狂信的に追っている人たちは、整形してメンテナンスバッチリというよりは、たいてい至って普通で。自分にないものを偶像崇拝するというか。
K「なるほど教祖化するっていうね。あの人たち、不景気をバックに出て来たゴージャスの戯画化じゃないですか、好景気に出て来たら絶対にモダンアート化したと思いますよ」
I「シンディ・シャーマンっていうアーティストがいて、彼女は75年くらいからずっと自分をモデルにして作品を作ってきているんだけど、昨年発表した新作は、叶姉妹みたいなゴージャス系になってた。功成り名を遂げたお金持ちの女性に扮して、いろんな化粧をして豪華なコスチュームを着て、背景も凝って撮影しているセレブのシリーズなんですね。彼女はここ10年くらい『オフィス・キラー』とかホラー映画作ったり、サーカスの道化師をテーマに作品作ったり、ラディカルなことをやっていて、21世紀に入ってからは女優として映画に出たりと結構活動してるんだけど、日本には情報が入ってこない。新作では、石油王の女社長に扮したり、大金持ちの侯爵夫人になったりっていうことをやってるんですよ。背景も今まではリアスクリーンプロジェクションとか、その時代時代のメディアに合わせて作ってたんだけど、今回はフルCGで遠近感きかせて精密に作ってる。彼女が発表し始めた70年代の最初の作品って、自分をモデルにニュージャージーの田舎娘が娼婦に変わっていく32枚の連続身分証明書写真なんですよね。化粧してどんどん変わっていくんだけど」
K「元祖コスプレですね」
I「コスプレを最初にやったアメリカの女の子で、その彼女が35年間一貫して自分をくるくる変えながら作品を作り続けてる。『アンタイトルド』シリーズの作品なんか3億で売れたりしてるんですよ。それだけセレブになった自分をもう一度客観視しているのかもしれないんだけど。よく35年もやってるなーと感心してしまう。変身願望っていうのはやはり女の性(さが)なんですね」
K「そうですよね、辛酸なめ子さんと一緒ですよね。あの人も自分がセレブだっていう本(『セレブマニア』)を出して(笑)。パリス・ヒルトンと対談したっていう一種のゴシップフェチというか。セレブっていうのはコンビニで読める神話の世界というか。アートは随分と素材の備蓄が高まってきていると思うんですよね」
I「セレブと整形の神話構造って分析しがいがありそう(笑)」
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