幼稚化された時代が求める「いい女」とは?[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.10 | Numero TOKYO - Part 2
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幼稚化された時代が求める「いい女」とは?[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.10

恋愛はよりフェティッシュに
 
──恋愛観はどんな風に変わってきているのでしょうか?
 
K「フランスの元大統領夫人カーラ・ブルーニが、ウディ・アレンの映画『ミッドナイト・イン・パリ』に出演して話題になったじゃないですか。イタリアのセクシーアイコンだったカーラ・ブルーニに、ウディ・アレンがどんな役を与えたかと言うと、白いシャツにブルージーンズを履いている美術館の解説員。全くエロくない。化粧も薄くて、そしてちょっと馬鹿だという設定。これは驚きです。カーラ・ブルーニがエロ要員だったと言いましたが、元々のウディ・アレンというのは大スケベですよ。それが80歳になるとこうも変わるという事。この作品では、カーラ・ブルーニをエロく扱わないということがちょっとしたスパイスになっている。そもそもエロい女性とは何か? 大人の女性とは何か? グラマラスな体だけが大人を象徴するものじゃないってところに来ていますよね。カーラ・ブルーニがグラマーだからエロかったというのを、今回の作品でウディ・アレンはひっくり返してしまった。老人の性欲の見方というか」
 
I「老人性欲って特殊ですよね。フランシス・フォード・コッポラも最新作『ヴァージニア』ではゴス・ロリ少女エル・ファニングにメロメロだし。『ミッドナイト・イン・パリ』には、ウディ・アレンが80歳になって結局少女趣味を抜けきれないという印象も受けました。元を正すと1979年、アレン扮する中年男の恋人役に高校生のマリエル・へミングウェイが登場している『マンハッタン』。『ミッドナイト・イン・パリ』はアーネスト・ヘミングウェイに捧げるような映画なんだけど、やっぱり最後に若い少女と主人公を引き合わせるあたり、変わっていないなと。実は繋がっている気がしました」
 
K「『ミッドナイト・イン・パリ』はそこからさらに、具体的な本人の性欲が抜け、油の抜けた作品だという感じがします。それがいつ頃からだったのかと思い返すと、一時期イギリスで、スカーレット・ヨハンソンで3作くらい映画を撮っていて、水着のシーンとかも撮っているけど、ゴシップにはならなかった。ここでウディ・アレンの老人としての意識は決まったんじゃないかな。かといって、じゃあ恋愛のフィールドからいなくなるわけではない。そんな彼も性的な目にさらされるのが現代の凄み。どういう事かと言うと、ウディ・アレンがおじいちゃんになってこそ自分の恋愛対象に仲間入りしたという“老け専”がいるわけです。タモリがいいとか、テリー伊藤くらいのナチュラルなおじいさんがいいなんて言っているグルメ老け専のブログを読むと、若い頃のウディ・アレンは大嫌いだけど、最近は大好きだと書いてある。今の恋愛は特に、フェティッシュだからといってセックスを介在するかと言ったらそうではなくて、頭が興奮すればフェティッシュ。老人の世話がしたいとか、側にいたいとか、添い寝したいとか。それが母性ではなく、恋愛感情として成立している。加藤茶さんも若い奥さんと結婚されましたが、これが昭和だったら「金目当ての悪い女だ」と思われたわけです。でも今は誰もそうは思わない。財産目当てでも、ドリフ時代の加藤茶をリスペクトしている訳でもなく、今の加藤茶が好みのタイプだったんですねと、すんなり受け入れられる。だから、フェチなんだなと感じますよね。加藤茶さんが若い人を好きだというのもまたフェティッシュ。情報が複雑化して、日本人なら全員山口百恵が好きでしょ、というような国民的な総合意見がなくなった反面、自由になりました」
 
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