戦前と戦後でエンターテインメントはこんなに違う[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.11 | Numero TOKYO - Part 4
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戦前と戦後でエンターテインメントはこんなに違う[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.11

「静かなけんか」勃発中、指先で暴力を振るう時代
 
I「今って、どんどん内向化してゆく風潮にあるから、特に若い人たちがものすごくストレスを抱えている感じがする。爆発寸前のエネルギーみたいなものを感じるときがあります。驚くのは、自分の中にある不安、時代とか世相に対しての不満をインターネットを使って訴えている若者の量。それも、普通の男の子たちでしょう。憲法を変えたほうがいいというのが7割近い世論になっているのにもびっくりしました。10年前じゃありえないですよね」
 
K「構造的にとらえて、戦争がない時代は長く続くと喝が入るってことでしょう。これはあくまで図式で大ざっぱな考え方ですが。大正時代にモボモガと言って遊んでいた世代がいて、大正10年から13年あたり、彼らは20~30代。まだ軍靴の響きが聞こえてくる前の状況下だったので、都市文化を楽しんでいました。アメリカ的なものも敵性じゃなかったから。そういう人たちが年取って50代になる昭和20年に向けて、若い世代では軍靴の響きが高まってくるわけです。そこで、若い時に遊んで楽しく暮らしていた人達は、若者たちのストレスによる暴走を止められなかったというのが第二次世界大戦なのかもしれない。今のような平和って、非常に透明感のある平和で、非常に不条理な平和なんですよ。なぜ平和かといえば、第二次世界大戦があってベトナム戦争があって、戦争はもう嫌だという歴史の流れがあった。いや、「どうやらあったらしい」。そのリアリティーが今となってはどこにもなくて、ただ透明に平和というしか無い。さっきモダンボーイ、モダンガールの話をしましたが、まさにそれと同じようなのが僕らの世代なんじゃないかなと思うんです。バブル真っただ中の80年代に20歳やそこらで、コムデギャルソンとか着て、ナイトクラビングなんていって遊びまくっていたわけ。実はその84年にはすでに「不条理な平和」という問題は予期的に充満していて、でもあまりに予期的だったので、すぐにどうこうはならなかった。そのまま90年代に突入するんだけど、不景気が来たからここでは一度休息、そこからカフェブームやら渋谷系やら楽しいこともあったので、予見していたものは抑圧され、一度忘れるんです。こうして来たものが、00年代あたりから急激に再浮上してくる。で、ここまで溜まりに溜まったストレスを、今の若者たちは背負っていて、いま爆発寸前なのかもしれません。そして今の大人、すなわち昔遊んで暮らしていた僕らの世代が、それを止められるのか?というね」(続く)
 

 

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伊藤俊治(いとう・としはる)

1953年秋田県生まれ。美術史家。東京芸術大学先端芸術表現科教授。東京大学大学院修士課程修了(西洋美術史)。美術史、写真史、美術評論、メディア論などを中軸にしつつ、建築デザインから身体表現まで、19世紀~20世紀文化全般にわたって評論活動を展開。展覧会のディレクション、美術館構想、都市計画なども行う。主な著書に、『裸体の森へ』『20世紀写真史』(筑摩書房)、『20世紀イメージ考古学』(朝日新聞社)、『バリ島芸術をつくった男』(平凡社)、『唐草抄』(牛若丸)などがある。

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菊地成孔(きくち・なるよし)

1963年千葉県生まれ。音楽家、文筆家、音楽講師。85年音楽家としてデビュー以来、ジャズを基本に、ジャンル横断的な音楽活動、執筆活動を幅広く展開。批評家としての主な対象は、映画、音楽、料理、服飾、格闘技。代表的な音楽作品に『デギュスタシオン・ア・ジャズ』『南米のエリザベス・テイラー』『CURE JAZZ』、『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』(ewe)などがある。著書に、『スペインの宇宙食』(小学館)、共著『アフロ・ディズニー』(文藝春秋)、『ユングのサウンドトラック』(イーストプレス)など。映画美学校・音楽美学講座、国立音楽大学非常勤講師として教鞭もとる。PELISSE www.kikuchinaruyoshi.net/

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