戦前と戦後でエンターテインメントはこんなに違う[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.11
菊地成孔(以下K)「そういえば先日、京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで日本の戦争を振り返るという企画に参加しました。いろんな文化人があるひとつの時代を振り返り、膨大な資料から映画を1本ずつ選んで解説するっていう。僕の番が来たんですが、84年を振り返ろうか、’67年を振り返ろうかすごい悩んで。84年だったら森田芳光さんの『ときめきに死す』っていう映画を紹介して、若い人たちに「日本はこんな感じだったんだ」っていうのをあらためて見せようかなと思っていたんですけど、直前でやめて、67年の『クレージー黄金作戦』にしたんです。67年はまさに戦後といわれる状況だから選んで。言うまでもないのですが、全編にわたってあふれているのはバイタリティー。その根拠は戦争トラウマっていう。クレージー・キャッツがはじめてラスベガスに行くというシンプルな話なんですが、あの頃のクレージー・キャッツの娯楽喜劇に「亡き英霊たちのために日本を立て直す」という気持ちが横溢(おういつ)しているんですね。今と全く違う。ちなみにこの作品にはジャニーズ事務所の最初のアーティスト「ジャニーズ」っていうグループも出てる。今じゃ考えられないんだけど、まだその頃は渡辺プロの中にジャニーズがあったんだよね。それも含めて、引っ張ってきた渡辺晋さんはまさに戦後の男というわけだから、当時の作品は渡辺プロによる「アメリカに対して日本がここまで戦後頑張ったんだ」っていうひとつの執念にも近い映画だといえる」
──67年と84年で悩んだ理由は?
K「67年の作品はまさに国民的映画で、作り手も見ていた人たちも戦争経験者ですからね。ニクソン・ショックも経験して、オイル・ショックも始まってという時代を生きている人たち」
I「クレージー・キャッツって、それこそ少し軍隊っぽい。米軍で演奏したりしてましたよね」
K「ミュージシャンとしてはエリートなんですけど、喜劇をやるようになって日劇で人気が出て、テレビというニューメディアに進出した大スター。スーツを着て出てきたジャズバンドだから、クレージー・キャッツはモダンですね。そしてその後、具体的に軍服を着てそれをファンキーにやったのはドリフターズですかね。アーミーコントとかやっていましたから。ドリフターズの頃はもう、戦後も生々しくなくなって来たんでしょうね。シニカルな笑いに戯画化できる状態まで。クレージー・キャッツの頃はまだ、戦争を戯画化は出来なかった。それゆえのあのバイタリティーだと思うんですよね。それが67年。で、84年はとにかく面白い年ですよ」
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