菊地成孔が仕掛ける「HOT HOUSE」とは/対談連載 vol.8
再び踊るジャズへ、ジャズの変遷 ──会場には若い人からご年配の方まで幅広い世代の方がいて、しかも若い人の中にはソロダンスを披露する人も見られました。 K「ソロダンスにも半分開放しているので。曲の速度と演奏時間で、カップルダンサーが踊れるジャストなものと、ソロダンサーが踊れるジャストなものがあって、それぞれのカルチャーとマナーというのが決まっているんです。それを生演奏のビーバップっていうことで皆集められるし、曲によって踊り、フロアの取り合いができるし、場合によっては、カップルダンサーにもソロを踊れるスキルがあるし、ソロダンサーも即興でカップルダンスをできるスキルがあったりしてせめぎ合うんです。その状態を見せているという意味では、ラテン系というか雑食的なパーティなんです。ああいうふうにざっと見ちゃうと、ジャズで踊っているので、モノトーンに見えるかもしれませんが、実際にあそこでやっていることは無国籍料理屋みたいな、ちゃんぽんですね」 I「通常、ビーバップというと、モダンジャズの起源で、楽しみ踊るためのスウィング・ジャズのマンネリ化を抜け出し、インプロヴィゼーション主体の表現し、聴くための音楽へ移行したものというのが、通説ですよね。それをもう一度「楽しむジャズ」というか、「踊るジャズ」に戻すということをやろうとしているわけですよね。21世紀に入って、もう一回ジャズがダンスミュージック化して、ジャズメンも踊り出すみたいな。日本にはあまりそうした楽しみの場が少ないですよね。特に最近は社会全体がぎすぎすして、何か心身にしっくりこない状況が続いています。こうした試みはそうした場の柔らげる役目も果たすような気がします」 K「昨年の9月に「ピットイン」(新宿)で行ったのが最初ですが、そこにはジャズ史的な意味合いが強くて、ある時からジャズは踊る音楽をロックに譲ってしまって、ジャズ聴く人は、座って実存主義的な思考に耽りながら聴くのだというスタイルが定着して、以降「踊らない音楽」になっていたんですよ。座って痙攣して聴く特別な…ひざがガクガクする座りダンスだったんですけど。まぁジャズ喫茶みたいなものは日本にしかないので、変わったものですね。ライブステージやバーがあるジャズクラブならあるけど、おじさんがコーヒーを入れてくれて、レコードをかけて、私語禁止のジャズ喫茶っていうのはないです」 I「僕は70年に東京に出てきて、すぐジャズにはまってしまいましたけど、当時はジャズ喫茶全盛の時代で、そこで座禅の修行みたいにじっと構えて、ジャズを拝聴するっていうのが、ジャズとの関係性の一番ベーシックな形でした」 K「いろんなジャズの輸入のされ方があったんですよね、マルキシズムとか。ジャズ喫茶っていうのは学生運動的なところと結びついて。左翼だったんですよね」 I「たまに話してると「うるさい!」とかってマスターに文句言われたりね(笑)。静聴しないといけないのがジャズ喫茶の掟だったんです。だから僕は1973年にNYに行ったんですけど、そこでジャズクラブやホールで、ざわめきの中、みんな騒いだり、踊ったりしながら、聴いていて、ショックを受けました。もともとはこうした場からジャズは生まれてきたんだと」 K「本道というか、ビーバップ自体はアメリカ人も立って聴かなくなったので、リンディホップの先生は”Be-Bop killed a dance.” と言ってhateしてるぐらいですし。ビーバップからダンスミュージックではなく、アートになったんですね。もともとジャズっていうのは半ばクラシックで、ブラックミュージックの中でも一番白い。それがファンク以降、どんどん真っ黒けっけになっていって、ヒップホップになると完全に黒いっていう。要するに、白さが抜けていくわけですけど。だから、スィングジャズで踊るということから、ビーバップは座って聴くということになって、それからファンクがきて、公民権運動以降のものはみんなロックとかパンク。踊る音楽はみんなそっちに持っていかれるわけなんです。 そんな中、だからこそ敢えてビーバップで踊ろうという動きが70年代からあったんですよ。それがレア・グル―ヴの動きで、ロンドンのシーンでは、比較的早くから、DJがビーバップを回すと客が普通に踊れるということがわかって、ファンクだとかロックンロールは子どもっぽい、ビーバッパーのほうがかっこいい、クールだということでどんどん戻っていったんです。要するに、ロンドンでは70年代の真ん中から、クラブカルチャー、ディスコカルチャーとしてモッズみたいなものから本当のビーバップのレコード回すのがさかんになって、ソロダンスを踊る人たちと、カップルダンスを踊る人たちも出てきたんです。 ただ、実際のジャズ・シーンと、クラブで踊るシーンっていうのにはものすごくかい離があって。ビーバップを演奏する人と、ビーバップのレコードを聴いて踊る人たちが一緒になるということは今までなかった。要するに、生演奏というステージ上のスキルと、フロアのスキルが同じ人間同士のスキルとして拮抗するということがなかったんです。こっちは機械、レコードの再生で。もしバンドがあったとしても、これはただ踊るための道具みたいなもので、脇役的というか。どっちもすごい、という感じはなかったですね。オーセンティックなメインストリーマーも、普段は当たり前だけど、お客さんが座って聴いているってことしか経験していないジャズミュージシャンが、ダンスの伴奏のために演奏するっていうのはないわけで、彼らにとっても新鮮だし、ダンサーもレコードでしか踊ったことがないから、生のビーバップの演奏で踊るっていうのは新鮮だっていう、言っちゃシンプルって話なんですけど。そういう部分と、やっぱりカップルダンスですよね。男尊女卑の世界の中で組み上げられた、マッチョでホモソーシャルだった文化をもう一度取り戻して、今までタブーとされてきた女性が男性を誘うっていうのは、今はもう当然の話で、逆にそこを前提にしないと何も進まないわけですし。昨年の「ピットイン」では、新宿2丁目という場所柄、ゲイやレズビアンの方がたくさん来ました。その場合は、作法として片方が男装していないといけないんですね。スカート同士で踊られるとまずいというか、スカート同士で踊られると成り立たないんです」 ▶続きを読む/現在のダンスシーンの原型は、ヒップホップにあり