勝手にデパート文化論[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.6
東京のカルチャーはデパートが発信していた!?
I「今の時代からは想像もできないでしょうけど、かつてはデパートが文化の最先端の発信地だった時代がありましたね」
K「西武とパルコ。なんたってパルコがヨゼフ・ボイスとか呼んでたんだからね。要するにデパート資本。伊藤先生、そのころの話だけで一冊書いて下さいよ(笑)」
I「80年代から90年代前半くらいまで、一時期東京の文化はデパートが主導していた時代があったんですよね。池袋も、渋谷も、銀座も最先端の文化を紹介していた」
K「そのころ伊藤先生はどういう形で関わってたんですか?」
I「例えば、パルコ・ギャラリーのディレクションとか、有楽町西武での「東京/TOKYO」展の企画とか、池袋西武のコミュニティ・カレッジの講座とか、思えばいろいろやってましたね。なんのかんの言っても当時の西武(セゾン)文化の影響力はとても大きなものがありましたね」
K「西武が一番具体的に持ってましたね。で、当時は広告代理店カルチャーで、要するにコピーライターブームみたいなのがあった中で、具体的に音楽も映画も西武が持っていた。実際に西武百貨店の中にあれなんだったかな、Studio 2000とかライブスペースもあって、そこで、ポストモダンの音楽とかすごい紹介されてたの。ジョン・ゾーンの来日とかアレがなかったらなかった。こんなことをやるのかって、要するに完全なトンガリ(笑)、エッジィなものをやってたんですね。昨今のエッジとは、切れ味も振り回され方も全然違います」
I「たぶん音楽関係は秋山(邦晴)さんていう現代音楽やってる有名な方がアドバイスしてたと思うんですけど、例えば、僕らは1980年代に、何か海外の新しい文化動向を知ろうとするとき、池袋のアール・ヴィヴァンや西武美術館へ行ったり、そのあとパルコとかシードとかいろいろあったけど、当時、良質なセレクションで同時代の文化状況をエッセンシャルに見たり、触れたりする場というのは、西武系しかなかったですね。その頃、西武の文化系にいた人には、作家になった阿部和重さんとか、直木賞とった車谷長吉さん、ポケモンの石原恒和さんとか、芥川賞とった保坂和志さんとか。保坂さんはコミュニティカレッジをやってたときの僕の担当だけど。その百貨店文化も90年代以降の情報化の流れの中で大きく変化していった。結局西武も今みたいになって、その後のバブルの時代で物流のシステムが大きく変わっちゃったから、いろんな業態がいっぱいでてきたし。変化の波に一番さらされたのが百貨店だったと思いますね」
K「おっしゃる通りです。まあその80’sのひとつの消費社会ね。あそこから段差があって90’sになってくんだけど。これは当たり前の話ですが70’sの人の出目は60’sにあって、80’sの人の出目は70’sにあって、で、90’sのは80’sにあるわけだよね。けど、それは活躍しちゃうと隠れちゃう。今あれやこれややってた人が、80年代にこういうふうなことやってたというのは。だけど実際、そうやって、出目が80’sって人はいっぱいいますよね。「80年代に何してた?」っていう本が読みたいですよ。公私ともにデパートに一切関わってなかった人って、今一緒に仕事してないような気がする(笑)。さっきル・クレジオだのの話をしましたが、要するに彼等は夜市とか、公園に一年中、夜中にたくさん人が集まるといった遺伝子があって、それが文化の基盤になっている。西欧とか南欧とか言われても結局ヨーロッパは全部北部であって、西欧文化史というのは、夜市と毎夜の公園の熱気。という遺伝子がなかったパリが生み出したデパート史でもあります。日本が複雑にその遺伝子を受け継いでいるのは確かですよね。今日はマルキューの話が出来ませんでしたが(笑)」
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