勝手にデパート文化論[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.6 | Numero TOKYO
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勝手にデパート文化論[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.6

多彩な肩書きを持ち、音楽、映画、グルメ、ファッション、格闘技などボーダレスな見識を披露するアーティスト菊地成孔と
写真、先端芸術からバリ島文化まで幅広く専門とする、美術史家にして東京芸術大学美術学部教授の伊藤俊治。
アカデミックな2人が、世の中のニュースや日常の出来事、氷山のほんの一角の話題をダイナミックに切り崩し
ディープに展開する、かなり知的な四方山話。

 

vol.6 勝手にデパート文化論 前編
デパート通としても知られる菊地成孔のマニアック、オタク的デパート偏愛記から、建築、デザイン史におけるデパート、東京のカルチャー発信地としてのデパートまで、その黎明期から繁栄、衰退、そしてこれからの姿とともに、デパート栄枯盛衰のドラマをひも解く。

 

デパート文化はどのように生まれ発展してきたか
 
伊藤俊治(以下I)「デパートといえば近代経済の象徴とも言うべき形式で、パリのボン・マルシェとか19世紀のパノラマ文化の産物のひとつですよね。ボン・マルシェは1852年に誕生して、19世紀末にプランタンとかサマリテーヌとか次々とできていった。イギリスだとハロッズやセルフリッジ、近年だとハーヴェイ・ニコルズとかマーク&スペンサーとか。なんかフランスとイギリスだとデパートのイメージがかなり違いますね。僕自身の記憶というと、古い人間なので、昭和30年代にデパートに連れって行ってもらって、食堂でランチ食べて、屋上の遊園地へ行くみたいな習慣があり、それがすごい楽しみだった。デパートで売られているものっていうよりも、デパートの雰囲気全体が好きでしたね。当時はデパートの屋上には子ども向けの遊園地があったりしたけど、今は取り壊されて、ビヤガーデンもあまり流行らなくなってしまった。そういったかつてのデパート・カルチャーがスーパーとかアウトレットに押されて大きく変質して、それこそ100円ショップや無印良品が1フロア全部占めるとかいう時代になりつつありますよね。デパ屋の廃墟化とデパートの衰退が連動しているのかな」
 
菊地成孔(以下K)「いやいやデパートはゾンビみたいなところがあって、確かにおっしゃる通り、一時期死にかけましたが(笑)、中韓国の富裕層による大きな売り上げと、格差社会がある意味定着したことで、誰でも入れる場所から会員制みたいな明確な客層区分ができて、このところ急激に息を吹き返してますよ(笑)。屋上のビヤガーデンもどんどん復活してますから、伊藤先生も是非行ってみてください」
 
I「そうなんですか(笑)」
 
K「僕は子どもの頃から、東京に来る目的はただひとつデパートだけだという子どもで、東京のデパートシーン黄金期を小学生の頃に経験しているので。デパートでパリ感覚を最初に経験したような順ですね。映画を通じて現代音楽やラテンを知るようなのと同じようなメカニズムですが。ご存知の通り、デパートは大雑把にパリ型、ロンドン型、アメリカ型とあって、パリが発祥で、その名もグランバザールというのが1825年に所謂「デパート建築」の最初として記録されているのですが、25年というと、ボンマルシェやサマリテーヌやプランタンやルーヴルといった神々たちよりも約50年早いです。パノラマやパッサージュが発達的にデパートになっていくんですよね。それこそ、この連載一回目で、どのぐらいまだパリに霊力があるのかって話しましたけど、要するに、インターネットなき世に世界中にパリの遺伝子というか、アンテナショップみたいなものが飛び散ってたわけで、それが僕にとってはフレンチポップでもフランス料理でもなくて、デパートだったんです。実際パリには高島屋とかもありますが、でもそういうことではなくて、老舗デパート、グラン・マガザンがいっぱいあるわけじゃないですか。で、後に実際パリに行った時、子どもの頃、伊勢丹に行った記憶と繋がるわけです。伊勢丹は大雑把にパリ型ですが、簡単にいうとパリ型は敷地面積が狭くて、売り場をパノラマ化したり、箱庭化したりしないといけないのに対して、英米型は敷地面積すごいデカくて、やがてモールに発展していく可能性を持った感じがあります。とにかく世界中どこに行ってもデパート行きますね。それで社食(社員食堂)に入るんですよ。僕、ボン・マルシェの社食に入りましたからね。ボン・マルシェの社食はうまくてビックリですよね。まあ、ボン・マルシェは第三共和制期のパリで、最初に労働条件を飛躍的に挙げた事で有名で、それが「社員寮が清潔で社員食堂が贅沢で旨い」という点に代表される様な場所だった訳ですが」
 
I「アジア的なデパートの特性ってのもありますよね。地下はだいたいフードコートになっていて、周りのいろんな店から適当に買ってきて真ん中で食べるというスタイルで、あれは観光客にはすごく便利なんですよ」
 
K「地下と最上階じゃないですか。食べ物は。最上階のほうの話なんですけど、新宿の伊勢丹の8階は「星岡茶寮」っていう北大路魯山人と関係あるんだかないんだか微妙な(笑)名前の、とても素晴らしい大食堂を中心にレストランフロアになっていて、僕らが小さい頃、そこに行くと、鰻屋があって串打ってて、寿司のカウンターがあって、中華も洋食もあってていうね。それが今はファミレスになってる。一時代おわった感じがするわけです。今はほとんど客が中韓国の人でね、伊藤先生がおっしゃる通りで、まず第一には、デパ地下で買った物を、そこらに座って食っちゃうんですよ(笑)。さすがにそれはおさまったんだけど、このあいだ僕が昼に8階でそば食べてると、韓国人のお客さんが、寿司も食いたいから、隣の寿司屋から寿司もって来いって言うわけ(笑)。それで小一時間もめてるの(笑)。本当に韓国の人の粘りがすごいんですよ。フードコートだと思ってるし。なんで、日本人が謝ってるわけ。もっとこう毅然たる口調で、「ここは寿司屋じゃない。食ってから行け」ってできないんですよね。いかに日本人が泣き寝入りの国民で、北東アジアの他の国の人たちが強いっていうことを、伊勢丹の8階で知る訳ですけど(笑)」
 
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