追悼企画 大杉 漣インタビュー「フラフラしているほうが僕らしい」 | Numero TOKYO
Interview / Post

追悼企画 大杉 漣インタビュー「フラフラしているほうが僕らしい」

北野武監督作品をはじめ、多くの映画、ドラマに出演し、名脇役として唯一無二の存在感を放ってきた俳優、大杉漣。『ヌメロ・トウキョウ』2016年5月号にて、写真家・操上和美氏による連載「男の利き手」に登場した彼の迫力の「手」の写真とインタビューを紹介。

たくさんの物事を生み出し、行ってきた“男の利き手”。個性豊かな表情とそこに刻まれたエピソードを通じて、これまで歩んできた歴史の一幕を振り返る。俳優、大杉 漣の“利き手”が語る人生の名場面。(「ヌメロ・トウキョウ(Numéro TOKYO)」2016年5月号掲載))

──手だけの撮影でしたが、手を意識して演技することはありますか。

「北野武監督作品『ソナチネ』で片桐というヤクザを演じました。その時に監督から「ポケットに手を入れないで」という演出がありました。鋭い目つきとポケットに手を入れることは、ヤクザ物の定番です。形から入ると安心するのですが、逆に手をぶらりとした無表情のヤクザの姿は大きなやりがいと新鮮さを感じました。―脚本はなかったのですか。ペラ数枚にあらすじとロケの流れについてだけ。台詞は撮影前日か当日に助監督から教えてもらい、その時に覚えました。またその場で起きていることを自分の言葉でしゃべることもありました。そもそも僕が俳優を始めたのは転形劇場の沈黙劇。台詞のない芝居をやっていましたから、黙っていることの怖さ、難しさをわかりつつ、存在することができる。台詞をしゃべることも大切ですが、沈黙の力を感じました。『ソナチネ』は23年前の作品ですが、いまだに僕の中では大きな支えになっています」


『蜜のあわれ』(2016)©︎2015「蜜のあわれ」製作委員会

──映画『蜜のあわれ』は情緒たっぷりで官能的でした。女性から見ると、男性の妄想の世界のように思えます。

「老作家の妄想は可愛いですよね。飼っている金魚を少女に擬人化して愛でる。そこには老いゆく悲しさ、切なさ、哀れさなどが含まれています。僕も似たような妄想をします。共感できるところが多々ありましたね」

──金魚を少女に見立てる妄想も?

「さすがに金魚を見て発情はないけれど、精神的な勃起についてはいつも考えます(笑)。男の象徴の一つとして絶対にあると思う。それを室生犀星さんが70歳にして正直に書いていることは素敵だなと思います。あの人間くささは室生犀星さんのイメージからはほど遠くて驚きました」

──とても美しい映像でしたが、撮影はどんな様子でしたか。

「去年1カ月、暑い時期に加賀や金沢、富山で撮影しました。フィルムでの撮影で、デジタルと違い、何度も撮影できない緊張感があり、フィルムの回る音も含めて、映画独特の現場が心地よかったです。初日のワンカット目、冒頭の書斎のシーンで二階堂さんが現れたとき、赤子がいる!金魚だ!と思いました。真紅の衣装と動きが金魚そのもの。その瞬間から彼女はずっと金魚でしたね(笑)。最後のシーンは本当に悲しくて」



『HANABI』(1997)©️1997 バンダイビジュアル・テレビ東京・TOKYO FM/オフィス北野
DVD¥3,800 販売元/バンダイビジュアル

──ところでこの仕事で食べていけると確信したのはいつ頃でしたか。

「映画デビューは、高橋伴明監督のロマンポルノでした。映画で初めてギャラを頂き、うれしかったですね。しかし、当時の僕は暇さえあればパチンコをやっていました。稼ぎのほとんどはそこで消えました。無頼気取りで、いい気なもんです。当然カミさんにも厄介をかけました。37歳の時に劇団が解散になり、本格的に映像の世界に移行しました。当時はVシネマ全盛期で、日々ヤクザを演じてましたね(笑)。そんな時に初めて映画のオーディションを受けたのです。それが北野武監督の『ソナチネ』でした」

──俳優業一筋で食べてこられたと。

「一筋ではありませんが、やはり〝俳優で食う〞ということにこだわりはありました。ただ、銭がないことが苦労とは思わない、だって自分が選んだ道ですからね。『大杉さん、昔は苦労されましたね』なんて言われることがありますが、苦労と思う場所がどこにあるかで、ずいぶん印象も変わります。長く俳優として過ごしていますが、基本の場所というか、生きている感覚は若い頃とそれほど変化はないと感じているのです。安定を目指してはいないのです」

──俳優を続けてこられた理由は?

「節目節目で面白い作品、面白い人に会うからです。それしか言いようがない。20代で劇団に入った頃と映像を始めた後、自分の中で大きな変化はないです。もし転形劇場が解散していなれば、おそらく今も舞台をやっていたと思います。一生沈黙劇俳優として、こんなふうにペラペラしゃべらないで(笑)」


転形劇場『水の駅』(1981)

──ほかにも劇団が多数あるなかで転形劇場を選ばれたのはなぜですか。

「当時は唐十郎さんや寺山修司さんが大きな存在でしたが、たまたま転形劇場の太田省吾さんの書かれたエッセーに触れたことがきっかけで劇団の門を叩きました。あの時に太田さんの言葉や存在に出会わなければ、おそらく俳優になっていなかったと思います。僕にとって東京で〝行きたい場所〞ができたわけですから」

──それからずっと俳優人生ですね。

「その時々にやりたいことが出てくるので。僕、64歳になって、まだまだだと思っています。それは欲望か、希望か。『蜜のあわれ』を撮影した少しあとに、『劇場版 仮面ライダー』の地獄大使を演じて。地獄大使と室生犀星、ほぼ同時期にやるって、面白いじゃないですか。自分の体には室生犀星が住み着いたり、いいお父さんやエキセントリックな人物がいたり、重ねて重ねて今ここにいる。これから、どんな役が体と記憶に住み着いてくれるのか、楽しみなんですよ」

──さまざまな役が宿ってるんですね。お仕事は台本で決めるのですか。

「台本を読まず、監督や共演者で即、決める時もあります。考えることがいいとは思わない。直感も信じて、面白そうと思ったら出かけます。しかし、大切なことが一つ、僕らは選ばれる仕事なんです。選んでいただいた以上は、いい感じで遊びたいのです」

──演じるのは遊びと同じだと?

「大杉漣は現場で遊んでいると思われると困りますが(笑)。『遊ぶ』って意味が深いですね。本当に仕事として遊べるというのは、なかなかできないと思う。いつでも必死です」


バンドでのライブの様子。

──俳優業以外での関心事は?

「エレファントカシマシさんや斉藤和義さんなど音楽の世界、また絵画や写真、文章に触れることを大事にしています。あと、ぶらぶらすること。いろんな所を歩きますね。最近は欲が出て、歩きながら台詞を覚えています。朝、マスクして山手通りをブツブツ言いながら歩いているおじさん、ちょっと不気味です。俳優の仕事も一生ぶらつく感じがするんです。普段も落ち着かないで、フラフラしているほうが僕らしいなと」

──ぶらぶら、フラフラが大杉流なんですね。趣味も多いと伺いました。

「趣味はサッカーと音楽。サッカーは四十数年やっています。バンドは40歳後半から。ギターを買って、Fの壁を越えて。今はバンド4人で日本のフォーク、ロック系をやっています。今年、3カ所でライブやります。もう、はしゃぎ倒します(笑)」

──では、もし生まれ変わったら、次はミュージシャンでしょうか。

「いや、どうかな? 僕はスペイン人になりたいです。リーガ・エスパニョーラのサッカー選手になって、メッシかロナウドと出会いたい。そして、もう一つの夢がフラメンコダンサー(笑)。静と動、言葉と踊りとギター、大好きです。しかし、サッカー選手もフラメンコもやはり全て表現の世界ですね」


テレビ番組『大杉漣の漣ぽっ』(2012〜/BSフジ)

【あとがき】
この「男の利き手」の取材が行われたのは、2016年の映画『蜜のあわれ』の公開に合わせてのタイミングでした。操上さんとの手の撮影では、手でエロさを表現しようとああだこうだと一生懸命に試みていらっしゃいました。コワモテや演じている役のせいもあって、ちょっと怖い方なのかと心してのぞみましたが、拍子抜けするほど、温かで気さくなお人柄で、ユーモアたっぷりに、男のエロや妄想から、役者人生のきっかけや転機、趣味の音楽やサッカーの話題と、真摯に、時に(いや、かなり)ジョークを交えながら面白おかしく語ってくれた姿が印象的でした。そして、もし生まれ変わったら…という、最後の質問に、スペイン人になりたいと真面目に答えてくださった大杉さんの少年のような笑顔がすごく素敵でした。今思えば、そうやってこちらの緊張をほぐしてくださったようにも思えます。最後に、個人的に、放送中の『バイプレイヤーズ』楽しみにしておりました(予定通り、最終回まで放送されるそうです)。
心よりご冥福をお祈りいたします。

Photo:Kazumi Kurigami  Interview&Text:Maki Miura Edit:Masumi Sasaki

Magazine

MAY 2024 N°176

2024.3.28 発売

Black&White

白と黒

オンライン書店で購入する