燃え殻×Lily対談「90年代とはどんな時代だったのか」
90年代を舞台にした小説で多くの人の心を掴んだ燃え殻と、彼の大ファンで当時は多感な10代だったLily。二人が未来へとつなぐ90年代トーク。「ヌメロ・トウキョウ」2018年3月号掲載記事の加筆拡大版!
リミックスカルチャーから自由が生まれた90年代
燃え殻「90年代は、社会に出て少し世間を見渡せる余裕が生まれて、やっと東京を楽しめるようになった時期。自分にとって遅れてきた青春でした。六本木WAVE(※1)があり、裏原勢が台頭し、小説(※2)にも書いたけれどラフォーレ原宿で横尾忠則さんの個展が開催されたり、東京の至るところが騒がしくて、何か新しいものが生まれる予感に満ちていました。既成のものじゃない、自分たちのカルチャーをつくろうという勢いが街にあふれていました」
(※1)六本木WAVE/CD・レコードショップや映画館の入ったカルチャーに特化したビル。六本木再開発に伴い、99年に閉店。
(※2)小説/燃え殻による初めての小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)。
LiLy「私は12歳までNYで過ごし、帰国して茨城県つくば市の中高一貫校に“閉じ込められていた”感覚だったので、東京に憧れ抜いていました。10代を丸ごと使って90年代カルチャーを享受した世代です。だから燃え殻さんの小説は、WAVEの袋を持ってラフォーレ原宿で待ち合わせするところとか、本当に細部までリアルに感じて、『キタ! これは私の物語だ』と自分の青春と重ね合わせて読みました。当時、私はアムロちゃんに憧れたギャル系で、でもサイババ(※3)好きでチチカカに通う友達とも仲良しで」
(※3)サイババ/インドの霊的指導者。日本のテレビ番組などで大きく紹介され、ブームとなった。
燃え殻「テイストがまったく違う二人が友達だったんですね」
Lily「二人で机を並べて、油絵を描いてました。CHARAとUAを聴きながら」
燃え殻「うわ、その感じ、すごくわかる! 僕が恋をして小説に書いた女の子は、サイババ系のタイプの子です」
Lily「当時は雑誌でいうと『CUTiE』や『Zipper』を読む原宿系と『egg』『東京ストリートニュース!』やを読む渋谷系など、カルチャーが細分化し始めた時期ですよね」
燃え殻「それが自然に共存していて、裏原でも系統の違うお店が普通に並んでましたし、シネマライズも一つの映画館で是枝裕和作品もコーエン兄弟作品も上映していた。ボーダレスでテイストが異なるものが同時に存在し得た、小さい水槽の中でも呼吸しやすい時代だったと思います」
Lily「燃え殻さんの小説には、映画名などがたくさん出てくるので、読みながら当時の自分が小説の中を歩いていました。それが不思議な感覚で。ツイッター時代から燃え殻さんのつぶやきが大好きだったんですが、小説を読み終えた直後、25人くらいの友人に絶賛メールを送ったんですよ。『お願いだから読んで!』と。燃え殻さんの小説を一つの“インデックス”として、この頃どんな風に過ごしていたのか、友達と語り合いたい。素敵な作品を友達と共有して、語り合うために私は生きているのかもしれません」
燃え殻「読んでくださった方々が、その時代に自分はどう過ごしていたか話をしてくださるんですね。あの頃のことを思い出す、一つのきっかけになれたことが素直に嬉しいです」
Lily「90年代をリアルに体験していない20代の友達にも勧めたんですが、彼らは『何者でもない自分と東京』というテーマに共感していました。社会にまだカウントされない透明人間のような自分と、だからこそ素敵に見える東京。いつの時代も若者が感じる普遍的なテーマなのかも。それを素敵な恋愛とともに描き切った。最高です!」
(※4)『KIDS』/95年のアメリカ映画。クロエ・セヴィニーのデビュー作。監督はラリー・クラーク。©︎AFLO
二度と戻れないからこそ、光り輝く青春のきらめき
燃え殻「当時、LiLyさんは、渋谷109をメインとするギャル側にもいたんですね」
Lily「ファッションは渋谷系、カルチャーは原宿系と行き来しながら育って。109 VSラフォーレでしたね。渋谷のエロさVS原宿のオシャレで友達とバトってました(笑)。燃え殻さんの作品にも登場するけれど、ミニシアター系のフライヤーをもらってきて、誰が一番オシャレなコラージュを作れるか競っていました。『KIDS』(※4)は鉄板だし、『ガンモ』(※5)のウサギを貼ってると絶対オシャレとか(笑)。『KIDS』は自分たちと同じ10代がNYではこんなエロい日常を…と、大衝撃と大興奮で」
(※5)『ガンモ』/97年のアメリカ映画。19歳で『KIDS』の脚本を手がけたハーモニー・コリンの初監督作。©︎AFLO
燃え殻「雑誌『H』でも『KIDS』の特集が組まれていましたよね。作品全体に流れる乾いた空気に憧れたし、渋谷のミニシアターで『KIDS』を観ていること自体に興奮していたなぁ(笑)。それから、オシャレによって性欲が肯定される流れもありましたね。『smart girls』などのオシャレヌード(※6)が生まれて、これはあくまでもオシャレなんだと自分に言い訳しながら見てました」
(※6)『smart girls』などのオシャレヌード/『smart girls』(01号/宝島社)などの米原康正らが撮った可愛いヌードや、メンズファッション誌『smart』(96年創刊)の人気連載「ちんかめ」が元祖とされる、ファッション性のあるヌード写真。
Lily「私、実は『KIDS』を見て、心底NYに戻りたくなって。こっちはつくばで男女交際禁止という色気もなにもない場所でモヤモヤしているのに、アメリカでは10代がスケボーしながらセックスしてるよ!って。もちろん、映画の内容はエイズに対する問題提起でしたが」
燃え殻「そういえば、小説が出た後、燃え殻はサブカルをわかってないと指摘されたことがあったんです。サブカル知識が90年代で止まってる、と。確かに、僕はサブカル好きの女の子に恋をしただけ。さらに言えば、自分の知らないことを知っている人が好きだった。僕が憧れたサブカルの人たちは、決してアンダーグラウンドで満足せずに、いつかカウンターに出てやろうと虎視眈々と狙っていて、それもカッコよかったなぁ。何者でもない僕を、どこかへ連れいってくれるんじゃないかと勝手に期待してました」
Lily「わかります。何かカッコイイことが待っているという期待感! 留学を計画しながら週末は電車を乗り継いで渋谷だし、大忙し(笑)。私にとって90年代は10代の青春そのもの。青春が美化されるのと同じように、二度とやって来ない90年代が輝いて見えるんですよね」
燃え殻「当時、自分には何もないと思っていました。でも、振り返ると、正直あの頃は面白かったし、周りにはたくさんの自由があふれていました。みんなが大きすぎる夢や憧れを抱いて、好き勝手に大口を叩いていて。小説を書きながら、みんなにもう一度会って、あの頃について語り合いたいなあと思ったんです。でも、ある程度の時間が経過して自分の中で整理がついて、戻れないからこそ輝くのかもしれない」
Lily「『青春、残り5分です。』という漫画の原作を手がけているのですが、私たちは、二度と戻れないと知っているから、過去に恋焦がれる。私が青春の終わりを実感した瞬間は、出産してノーメイクのまま赤ちゃんを抱っこしていたとき。突然、ライターとして月に何度も海外出張に出ていた、忙しい20代がフラッシュバック。それから、時間の流れそのものが愛おしくなりました。こうしている今も過去になるんですよね。それを意識の片隅に置くことで、“今を生きる”喜びが増しました」
世界の終わりを感じながら、忘れられない恋をした
燃え殻「90年代の象徴的な出来事といえば、7月の年に人類が滅亡するという『ノストラダムスの大予言』もありましたね。誰もがそんなことは起きないだろうと思いながら、漠然と世界の終わりも感じていました」
Lily「燃え殻さんの小説には、地球が滅亡すると予言された日に渋谷のラブホで過ごしたことが描かれていましたが、偶然、その日、私も大好きだった6歳年上の人と初めてセックスしたんです。場所もラブホ。幸せ過ぎて、もう世界は終わってもいいと思った。でも朝は来て、彼には予定があって。こんな素敵な余韻のまま家にいられないと、オシャレして渋谷に出て、パルコのシネクイントで『バッファロー‘66』(※7)を一人で観たんです。しかも満員で立ち見。ギャル、冒頭から無駄に感動して大号泣(笑)」
(※7)『バッファロー’66』/98年のアメリカ映画。監督・主演はヴィンセント・ギャロ。©︎AFLO
燃え殻「そんな日に一人で『バッファロー‘66』を観るなんてセンスがいい! 僕ら絶対に渋谷のどこかですれ違ってますね(笑)」
Lily「ニアミスしてますよね! 99年の夏の恋は私にとってビッグイベントで、その時のあふれる想いをノート20冊に綴ったんです。振り返ると、それが私の小説家としての原点でした」
燃え殻「LiLyさんには以前もお伝えしたんですが、小説に登場するもうひとりのヒロイン“スー”のモデルになった子が、聖書のように大切にしていたのがLiLyさんの本だったんです。バブル経済は90年代初頭に終わっても、その残骸のような世界はまだ存在していて、そこに生きるキレイな女の子にポッカリ空いた穴をLiLyさんの小説が埋めていた。そういう意味でも、LiLyさんには並々ならぬ縁を感じています(笑)」
Lily「小説に登場する女の子が、私の読者だったと著者に聞く衝撃! 2017年トップ5に入る嬉しい出来事です。こんなふうに痺れるような感覚をくらうために、私は生きているのかも。大人になると、恋愛も仕事もある程度パターン化しますよね。でも、私自身はすべてが未知数だった90年代から変わっていない。先ほど、青春は終わったと体感した瞬間があったと言ったのですが、実はその数年後にまた“わ、今、青春だ”とクラッた瞬間があって。自分の予想を現実は超えてくる。最高の感覚です。だから、今も予定調和でないものに惹かれてしまうんです。将来が見えると、途端に色褪せる。安定が苦手で、未知なる余白のワクワクに魅せられます」
燃え殻「90年代に青春を過ごした人が大人になり、ある程度未来の予測がついてしまうから、自ら混沌を取り入れたくなっているのかもしれない。それに、正しいことに対して世間が純化していくほど、反動で混沌を欲するのかもれません」
Lily「メディアで90年代がフィーチャーされるようになり、最初に感じたのは、自分は大人になったんだということ。私が20歳で作家志望の女の子だった頃、周りにいた大人たちは30〜40代で、70年代はよかったと口を揃えて言っていました。それは彼らの青春時代だったから。今、私が30代後半になり、90年代を振り返る時代が来たんだなと」
燃え殻「その頃の大人たちは、知りたいなら教えてやるよという上から目線でしたよね。それで、雑誌で知識を蓄えて、いざ会話に参加すると、わかってねえなと言われる。90年代を体験した者としては、90年代に憧れてくれる若い人には優しくしたい(笑)」
Lily「私も大人から相当叩かれました。帰国子女で上昇志向のある、自称音楽好きの女子大生なんて叩きやすい対象。70sおっさんウゼェな、と思っていました(笑)」
燃え殻「90年代は『リミックス文化』と言われ、音楽も洋楽をアレンジしながら自分たちの音楽に取り入れていたけれど、僕らはその感覚がまだある気がするんですよ。僕らなりの感覚に、20代の新しいカルチャーや考え方をアレンジして取り入れて、次の時代を生きようとする。それが90年代を生きた人間のやるべきことのような気がしています」
混沌とした90年代のように、変わりゆく現代を生きる
燃え殻「90年代は、携帯やコンピュータ、インターネットが普及し始めた頃で、すべてがグラデーションに変化した過渡期でした。それを経験できたのはある意味ラッキーでした」
Lily「ポケベルの時代もたった数年でしたよね。好きな人に“すき”と伝えるためだけに何時間も公衆電話に並んだり、テレカの予備もたくさん揃えたり。テレホンカードの存在を、現在8歳と6歳の我が子たちは知りません。あ、教えなきゃ(笑)」
燃え殻「物心ついたときには携帯ですもんね。今でこそ90年代が注目されていますが、バブル時代があまりに強烈すぎて忘れ去られていた時代だったような気がします。バブル時代、僕はただの学生で、実家で親に隠れて『トゥナイト2』(※8)を観ると、裸同然の女性がお立ち台で踊っていて、社会というものはエロ過ぎる!とドキドキしてました。それで、社会に出てみたらすべてが終わっていて。でも、バブルという大木が倒れたことによって、インディペンデントが生まれやすい土壌ができて、今のメインストリームに繋がるカルチャーが、そこから芽生えました。そして今も、その雰囲気に近いものを感じています。大企業が衰退したり、鉄板だったルールでは対応できないことが増えたり。例えば芸能界も変化の兆しがありますよね。これから良くなるのか悪化するのか予測できないけれど、ワクワクとハラハラがない交ぜになっている感覚がありませんか?」
(※8)『トゥナイト2』/時事的な話題から風俗情報までを伝える深夜の情報エンタメ番組(テレビ朝日系列で94〜02年に放送)。
Lily「予定調和じゃないところは90年代と似ているかも。音楽でいうと、90年代後半に日本のヒップホップやR&Bがピークを迎えて、Dragon Ashの『Grateful Days』(※9)以降どんどん低迷するんだけど、それが、今、再び盛り上がりを見せています。曖昧な感覚をひとつずつ言葉にしていく流れが再び来ている。トレンドは景気と連鎖するから、今は90年代に近いのかもしれません。権威主義じゃない、ストリートから面白いものが出てくる感じも」
(※9)Dragon Ashの「Grateful Days」/彼らの5枚目となるシングル。99年に発売し、大ヒット。
燃え殻「だから今ふたたび、90年代が注目されてるのかもしれませんね。リアルタイムで経験した世代にとっては、一定の時間が経過したからこそ、ある種の懐かしさを込めて振り返ることができるし、90年代を知らない若い世代には新鮮に映るし、現代との共通項も感じる。僕は、当時を経験していない若い人から、90年代が面白いと言われると、すごく嬉しいんですよ。優しくしたくなる。70sおっさんのような“かわいがり”じゃなくて、僕も一緒に楽しみたい」
Lily「最近、ミュージックビデオを監督して、私が『KIDS』を観ていた90年代前半に生まれた世代と一緒に、渋谷で映像を撮っているんですが、すごく話が合うんですよ。彼らよりすこし上の“ゆとり世代”の反動なのか、時代を変えてやろうという野心家が多い気がする。私はデビューしたのが23歳で、ずっと若者を代弁してきたつもりでいたけれど、もう36歳。大人の感覚もリアルに描きたいし、新しい感覚にも興味がある。その両方に足を突っ込みながら、いい意味で俯瞰できる位置にいたいと考えるのは、それも90年代らしい感覚なのかもしれません」
ミレニアムを過ぎて、予想もつかない2010年代
Lily「ところで、2000年に変わる瞬間はどう過ごしました?」
燃え殻「仕事をしていたんじゃないかな。あの時、コンピュータの2000年問題が話題になりましたよね」
Lily「私は当時、高3で、フロリダに留学していて、初めてセックスした彼とは遠距離恋愛。NYでミレニアムを過ごそうと、NY在住の幼馴染のところに遊びに行ったら、彼女はNYにすっかり飽きていて日本人の男の子と合コンして雑魚寝。なんで私NYまで来てギャル男と過ごさなきゃいけないの、最悪! っていう予想とはまったく違うミレニアムでした(笑)」
燃え殻「それもある意味2000年問題ですね」
Lily「2000年代、燃え殻さんはテレビ業界のお仕事でずっと忙しかったわけですけど、ツイッターで注目されて、昨年は小説を出して。大きな変化は感じました?」
燃え殻「僕は“何者でもない”期間が長く続いたので、ツイッターのフォロワーが増えたのは純粋に嬉しくて。その分、叩かれることもあるけれど、世の中には僕よりもずっとすごい人たちがいるから、僕なんかを叩いても何も起きないよというところもあって」
Lily「私も、ものすごく“何者か”になりたかった時期がありました。エッセイや小説を書いたり、『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系列)で審査員をしたり、メディアに顔を出したりしている今ですが、実は自己顕示欲がとても減りました。有名になりたい、という欲よりも、自由でいたい気持ちの方がずっと強い。私の人生の第一目的が愛を求めることなので、知名度は自由気ままに生きることをある意味では制限するな、嫌だな、と」
燃え殻「僕が“何者”でもなかった頃、円山町の窓もないラブホテルで、海外旅行を一度もしたことのない彼女と『パリに行きたいね』『スペインもいいな』『ロンドンも行かなきゃ』と話したことがあって。お金もなかったし、具体的に実行に移すわけでもなかったけど、自由だけはあった。遠い将来、年老いて病気になるかもしれないとか、目の前の人がいつか死ぬかもしれないなんて微塵も考えず、ただ好きな人が隣にいる“今”という時間だけ。あの頃、頭の中で思い描いたパリはすごく華やかでした」
Lily「私は、モメンタリアン(=長期的な視点ではなく、短期的な視点、瞬間を愛し生きる人)なのかなと思っていて。10代の頃から母親になることが最大の夢だったので、恋愛をしながらも結婚や出産の人生設計を建てていたんです。でも、今は子どもが2人いて、結婚した元夫とは恋愛が終わったことで籍を抜いて、近所に住んで一緒に育児をしているんですね。再婚や子どもを今は求めていないので、人生計画と恋愛が混じらないため、もう一度子どもの頃みたいなピュアさが自分にあるのを感じます。まっさらな気持ちで、人を好きになることができる。そういう意味でも、90年代のような気持ちが戻っています。私はコントロールフリークな部分があったんだけど、結局、ベストを尽くしても最後は神様ジャッジ。自分の力が及ばないことはある。最近はそれに身を委ねようという気持ちの余裕が生まれました」
燃え殻「僕も90年代リバイバルが来ています。小説を出したことで、90年代に大好きだった人に会えたり、素敵な人との出会いがあったり。一期一会で、次に会える確約はないし、来週は何が起こるか予想もつかない。2年前の自分には予想できなかったことだけど、今この瞬間がすごく楽しい。この感覚は90年代に似ています」
Photo:Kiichi Fukuda Text:Miho Matsuda Hair&Makeup:Yuka Ito(Lily) Edit:Sayaka ito