渡辺直美が語る「本当の私」ロングインタビュー | Numero TOKYO
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渡辺直美が語る「本当の私」ロングインタビュー

お笑い芸人の枠を超え、目覚ましい活躍を見せる渡辺直美。そのクリエイティビティあふれる活動は、日本のみならず世界から注目されるほどに。輝やかしいスポットライトを浴び続けているかのように見えるが、その道は決して平坦ではなかった。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年1・2月合併号掲載

バッグ¥46,000/ Furla(フルラ ジャパン) 他すべて私物 中学の頃には将来芸人になると決めていました ──渡辺さんの子ども時代ってどんな感じでしたか? 「自分の意見を殺すタイプでしたね。言ったら怒られるんじゃないか? ダメなんじゃないか?って思っていて、結構まわりの言いなりに近い感じだったなと」 ──なるべく目立ちたくなかった? 「仲のいい友達の前とかで物まねとかはよくしてたんです。周りの目が気にならない小学生の頃は替え歌とかもみんなでやったり。でも、大きくなるにつれてそういうのがダメなんじゃないかって思うようになって――」 ──そう思うようになったきっかけが? 「後々わかったんですけど、NY留学でお休みする前に、普段出来ないような精神疾患を調べる診断を受けてみたんですよ。物忘れもひどいし、もしかしたらADHDかもしれないと思って──。かなり本格的な検査やテストをしたんですけど、結果は至って健康ですと(笑)。ただ、一つだけ気になったのは、IQが85と平均値よりも低めで、本来ならテレビの仕事をするのが難しい数値だと言われたこと。『直美さんは地頭がとにかくいいから今まで自力でやってこれたんだと思います』と──。というのも、私0歳から3歳までに覚えなきゃいけない言葉を覚えていないらしくて。それが顕著に表れたのが文章を作るテストで、内容はすごく面白いんだけど誤字脱字が多いのもその影響だと──。実際、私も学生時代は自分のことをバカだと思っていたんです。日本で育っているし、日本語はわかるんですけど、先生の言っていることが深く理解できなくて、質問と答えがまるで噛み合わなかったり。それを自覚していたし、友達から何言っちゃってるの?って顔されたり。それがトラウマになって勉強を避けるようにもなって──。音楽と体育と図工とかだけ5で、他は全滅みたいな」

──もしかして、そういう苦手意識が一歩引いちゃう性格につながっていった?

「それもあったと思います。感覚的に覚えることは得意だったり、笑いやふざけるっていうことは好きだったけど、大勢の前ではできなくて。そういう自分を出せるのは仲のいいコたちの前でだけ。いつか好きなことを仕事にできたらいいなって思っていたんですけど」

──帰国子女やハーフの方で同じような悩みを持ってる人も多いかもしれないですよね、今の時代。

「その診断を受けてから、自分でも結構調べたんですけど、意外と多いみたいですね、ダブルリミテッド(セミリンガル)という母語が確立できていない状態の人が。お医者さんからも、NYに行って英語覚える前に日本語覚えてくださいって(笑)。日本に住んでいながら日本語も台湾語も中途半端で、この世界に入ったのは18歳からですけど、そこから覚えた言葉が今の自分を支えている。それまでは日本語の引き出しが少なすぎて、自分の感情すら何て表現すればいいのかわからなかったり、思っていることを言葉で表現できなかった。自分のお子さんをバイリンガルやトリリンガルにしたいという人もいると思うんですけど、3歳から始めても遅くないんじゃないですかね。やっぱり母語って大事。私は本すら読めなかったんです。読んでるけど、中身が頭に入ってこなくて、だから読書が好きになれず──。ただ、文章を作るのは好きで、作文とかはスラスラ書けたんですよ。それはやっぱり自分の言葉で書けるからなんですよね。自分がこれは絶対に面白いと思ったことを、自分の言葉で表現できるから。勉強が苦手だった分、自分で何か作るってことは小さい頃から好きでしたね」

──高校に進学しなかったのも、それが理由で?

「進学も考えていたんですけど、全部落ちてしまって。中学時代に芸人になることは決めていたので、養成所の授業料を貯めるためにも、中学卒業した翌日にファミレスの面接に行ったんです」

──それもすごい行動力ですよね。

「とにかく仕事がしたかったんです。お小遣いももらっていなかったし、お金を稼ぎたくて──。ファミレスに3年勤めたんです。時給700円で月給12万円くらい超働いて、1年後には高校3年の先輩がいなくなり、私が必然的にバイトリーダーになって。いま思うと、当時学んだことが今すごく役立っているんですよ」

──例えば?

「どうしたら伝わるかとか、この人はこういう人だからこういう伝え方がいいとか。平日は自分より下の年の子が多いけど、土日になると上の方もいて、16歳の私が20代の人にどう教えたらいいか。その他の時間帯の主婦バイトさんの意見も取り入れながら、どうやって人に対して指示を出すかってことをその3年で学びましたね」

──学生バイトじゃ普通そこまで考えたりしないですよね。そのモチベーションは何だったのでしょう?

「自分を高めたいとかじゃなくて、今を良くしたいという気持ちだった。どうしたら仕事がしやすくなるだろうとか。でも、根本がまじめじゃないので、暇なときはホールの通路をランウェイに見立てて、みんなで列になって歩いたり(笑)。私の場合は、とにかく怒らないで笑うっていうのが基本だったんです。一人ぜんぜん仕事をしない子がいて、彼女には言葉よりも行動で見せるほうが効果あると思ったので、その子よりも早くレジに行く、オーダーを取りに行く。本当は後輩にやらせたほうが仕事を覚えるんですけど、とにかく1カ月間、全部私が先にやったんです。そうしたら、ガラッと変わって『私、目標が見えました。直美さんです。半年後に東京に行ったあとは私に任せてください』と。そのとき思いは人に伝わるんだなと思った。育てるのも大変だし、長年やってる人たちの意見をまとめるのも大変。でも、意見を聞いてほしいならみんなからの信頼・信用が必要だし、みんなの声を聞くことも大事──。要するにチーム戦なんですよね。それに気づかせてくれたのがあのバイト時代でした」

──いま洋服のブランドもプロデュースされていますけど、そのチーム戦を実践されています?

「そうですね。目標に近づくための一番わかりやすい結果って数字なんですよ。内容や時期も大事だけど、最終的に数字だから。で、あるとき、実際に売り上げは徐々に上がってはいたけど、目標を具体的な数字に変えたんです。2カ月後からはこの売り上げでいきましょうと。そうしたら全員が「無理です」と。でも、私は譲らずに、達成するためにはどうすればいいか。ブランドを海外にも広めたいからSNSに力を入れよう。フォロワーを増やすためには毎日アップして、見せ方も工夫しようとか。そうしたら、一度ハッキングされて2万人に減っていたフォロワーが数か月後には目標の10万人を超えたんです」

──恐るべしチーム力と数字の効果ですね!

「私も自分の目標は必ず書き出すんですよ。留学に行くときも、当初の熱い気持ちを忘れないようにノートに書いて、ボーっとしてるときにそれを見返して『ダメじゃん』って(笑)。それがあったので、スタッフの子たちにもノートに書いてもらって──。一流の人の哲学をマネしたところでその人になれるわけじゃない。何事も自分やそのチームに合った進み方がある。私はそういう考え方かな」

失敗したらどうしようってことより、挑戦することが先

──話を戻しますけど、バイトで貯めたお金で18歳のときに吉本のスクールに入るために上京。NSC時代はどんな感じでしたか?

「同年代の子とは話が合わなくて。高校卒業して学校の延長線上で集まって鍋パーティしようとか。入学はゴールじゃない。そこから戦場じゃないですか。自分が本当にお笑いに向いてるのか、仕事としてやっていけるのか──。お笑いをやりたい、面白いことしたいと言いながらみんな逃げているようにしか見えなくて、結局、大学を卒業したばかりの20代のチームとつるんだり、私と同じような高校に行ってない18歳の子と一緒にいましたけど、結局、多くは辞めちゃいましたね」

──渡辺さんが辞めなかった理由というか、戦場に向かう原動力って好きという理由以外にもありました?

「お笑いが好きなことはもちろん一番でしたけど、働くことは私にとっては“今、生きるため”でもあった──。当時本当にお金がなかったので。親もお金がなかったし、頼りたくもなくて。バイト時代も、本当にいま死ぬか生きるかだったので、少しでも稼ぐ必要があった──。そもそも、芸人を目指してる子はみんな本気なんです。ただ、NSCに入っても卒業する1年後には1000人が200人になって、さらにふるいにかけられて数組くらいしかいなくなっちゃう──。だけど、そうして本気で向かってみた結果、自分の実力の足りなさや、向いてないと納得して次に向かってる人ってスゴイなって思うんです。私も11年やってますけど、もしかしたらもっと他に向いてる仕事があるかもしれない。仮に私が芸人を辞めたら『もったいない、何で辞めるの?』ってなりますよね。でも、それは第三者の価値観でしかない。私も、本当にやる気があるのに諦めちゃう人とかは絶対に止めるんですよ。逆にやる気がない人は止めても意味がない。次に新しいことに取り組むことだって挑戦だし、別にそれでよくない?って思う。むしろ、挑戦することって大事だし難しいこと。なのに叩かれたりもする。絶対に成功しないよ、失敗するよって言うのはめちゃくちゃ簡単。それよりも、新しく変わろうとしている人のことは応援してあげようという環境の中で私は今まで前進してこれたので、そういうふうに見てほしいなって思いますね。特に今の時代は」

──応援してもらったっていうのは在学中?

「在学中もそうですし、卒業してからもそう。本当に人って、自分の魅力を自分ではわからないんですよね。私の歯並びがいいことも人が気づかせてくれたり(笑)。他にも、おまえはこういうことが得意だよなとか、他人しかわからならいことがあるから、自分で自分の限界やゴールを決めてほしくないなって思うんです。私も勝手にここまでだと思ったことも、おまえのゴールはまだまだ先だぞって周りの人に教えてもらってきたので」

──それがなかったら辞めていたかもしれない?

「辞めていたと思いますね。そもそも、周りはグングン前に出ていくけど、私は自分から前に出るタイプではなかったので。とはいえ、それが正解か不正解かはいまだにわからない──。やっぱり何事もチーム戦なんですよね。会社でもそうで、自分だけがガンガンやっても周りは引いちゃうし」

──渡辺さんって基本、ポジティブなほうですか?

「ネガティブな部分も全然ありますよ! むしろ、ネガティブな部分がないと、人って這い上がったり前進していけないと思うし。ポジティブにしても、ただ元気出して行こう!みたいなのは好きじゃない(笑)。私はポジティブ=自信だと思っていて、自分が何かの問題を抱えてネガティブになったときに、怖いけどあれができたんだから次はこっちを試してみようっていう思考の変換ができるかどうか──。それでいい結果が出たらまた前進できるし、ダメだったら消去法でやり方を変えていけばいい。立ち止まってるだけじゃ何も起きないし、失敗=挫折じゃないし、同じ失敗を繰り返さなきゃいいだけ」

──確かに。そういう思考が渡辺さんのスピード感というか、止まるところを知らない急成長感にもきっとつながっているんでしょうね。ちなみになんですけど、疲れることってあります?

「自分のやりたいことに対する疲れって嫌な疲れじゃないから──。あ、でも、私って勘が良くて、あの人ってこういう人だよね、みたいなことが、初めての挨拶だけでわかっちゃうことが今いちばん、疲れちゃうかも(笑)」

──でも、人は好きでしょ? いいところを見つけたり、育ててあげられる人ですもんね。

「好きですね。噂好きで人の悪口を言ってるような子も、なぜこの人はこういうことしちゃうんだろう?と理由を見つけるのが好きというか。その人も本当は変わりたいんだよなってわかると助けたくもなっちゃうし。人を切るってことが好きじゃないんですよね。ダメなところがあっても、即切るとかじゃなく本人と話し合う。そういう子は辞めてくから、そこまでしなくていいって言われるけど、性格が悪くてもやる気があるとしたら、そこを改善させればいい。性格はいいけど、やる気がないなら、これはやる気を出させるようにどうもっていくか。それはそれで大変だったりするんですけど、それが結果、自分のチームのためでもあるし。先輩たちにそうやって私もサポートされてきたと思うんですよね」


ミニショルダーバッグ¥49,000/Furla(フルラ ジャパン)他すべて私物

自分にしかできないことをやっていく。それが自分の生き方かなと

──今の渡辺さんは夢見ていた自分に近づけている?

「昔から本当に自分がしたいことが何個かあって──。でも、今はそれが昔ほどは輝いて感じないのは、一つ一つ夢が叶ってきて、大きい夢がより具体的に現実的になってきた結果であって──。だからこそ、自分が頑張ってきたことが全て無駄じゃないと思える。大変だし、つらかったり、キツかったこともあるし、なんでこんなことしちゃったんだろうってこともあるんですけど、結局それで今お仕事をもらっていて、10年前の自分よりは人を楽しませられているのかなって」

──人を楽しませたいっていうことがやっぱり全ての原点?

「そうですね。やっぱり面白い人はいっぱいいて、尊敬する人もたくさんいる。だけど、それと同じことをしても意味なくて、なぜなら絶対に越えられないから──。だとしたら自分にしかできないことをやっていく。それが自分の生き方かなと」

──自分にしかできないことを見つけるっていうのも簡単ではないですよね。でも、ビヨンセネタでブレイクしたのも、NSCを卒業してすぐじゃなかったですか?

「NSCの頃は自分の魅力もわかってなくて、ただ自分のやりたいことや思っていることをネタにして発表して、本当にありがたいことにたくさん選抜に入れたんです。先輩や同期も本当に面白いって言ってくれて、でも何が面白くて何がスゴイのかも全くわからないし、とにかく今持っているものを出すしかなかった。ビヨンセのネタは卒業後からやっていたんですけど、幸運にもムゲンダイの公開オーディションに出させてもらえて、それを今田(耕司)さんが見に来ていて、年始の『さんまのまんま』の特番に出る4人の中に選ばれたんです」


「ヌメロ・トウキョウ」2017年9月号での渡辺直美のファッション撮影舞台裏スペシャルムービー。

──それが19歳のとき?

「ですね。あの番組をきっかけにテレビの仕事がものすごく増えて、その年の3月からいいとも少女隊を2年続けて──。でも、いま思うと、卒業からのその3年が一番地獄でしたね」

──どういうこと?すごくラッキーなことだったのでは?

「ラッキーって思ったことは一度もなかったんですよ。私には無理、できないって思ってたし、失敗したらどうしようどころか、むしろ失敗してましたし。バラエティに出ても先輩方は私のことを知らないからビヨンセネタを振ることしかできない。だからといって、自らガンガン前に出るわけでもなく、ひと言も話さないで終わってしまったこともあったり。本当にどうしていいかわからなかった──。そもそもはコント番組をやりたくて、この世界に入ったんですけど、コントをやりたいと言ってもその場もない。ビヨンセでデビューしたことも一発屋といわれて、焦りもあったり。ただ、どれだけ忙しくても若手の舞台には全て出続けていたんです。さらにコントをやるチームも組んで毎月ライブもしていたので、本当に寝る時間がなくて──。テレビの仕事の後に、深夜から朝まで稽古して、先輩たちが帰るまで残って片付けをして、そのまま『笑っていいとも!(以下いいとも)』に行く日々──。その3年間が地獄っていうのは、もらっている仕事はありがたいし、毎日タモリさんと一緒にいて学ぶことも本当にたくさんあったんですけど、芸人としては、自分は何もできていないという思いですよね。22歳くらいまでは本当に苦しかった──」

──そこから這い上がるきっかけって何でした?

「大阪で『よしもと新喜劇』にレギュラーで1年間出させていただいて小藪(一豊)さんと一緒にお仕事をさせていただいたことや、平成ノブシコブシさん、ピースさんと一緒に、又吉さんの脚本で舞台を経験させていただいたり、新たな経験の場を与えていただけたことで本当に多くのことを学ばせてもらいましたね。その後にずっと憧れだった『ピカルの定理』(以下『ピカル』)のお仕事が決まって、そこでコントができるようになったことが私の中では第二の人生のスタートだった。それと同時に『いいとも』にもレギュラーで戻ってこれて──。私の芸人人生の中では『いいとも』が大半で、次が『ピカル』なんです。それまで女芸人がメインになるコントがあまりなかったのが不思議で、それを目標に頑張ってきたことが叶いました。自分がこうしたい、こうなりたいということが叶えられたというか。コントをやりたくて、いいともに出たくて、吉本に入りたくてというもの全て、中学の時の夢として書き残していたものだったんです」

──それって本当にスゴイことですよね。

「ビヨンセのマネして踊るだけしかできない人っていうイメージを払拭することができたのは『ピカル』のお陰だし、自分のやりたいことが表現できる場ができて本当に充実していたんですけど、ちょっと待てよ──と。この2年後、3年後、自分は何をしてる?と思ったんですよ。私は常に思いっきりやる人なんですけど、現状の私は自分のカードを全て使い尽くしてしまってる。ここからまた新たなカードを作らなきゃいけない。また何か学ばないと3年後の自分には何もないぞ──と思ったのと『いいとも』と『ピカル』が終わるタイミングと重なって、留学するなら今だなと」

──なるほど。でもなぜ留学だったの?

「もともと興味はあったんですけど、オリエンタルラジオの中田さんに仕事の相談をしたときに、人には得意不得意があって、おまえには長所がいっぱいあるんだから、短所をどうにかするんじゃなくて長所を誰も追いつけないほど伸ばせと言われて──。そのときに、自分の武器は表現力だなと。コントもそうだしパフォーマンスもそうだし。そうなると、表現力が一番学べるのはNYだなって」

──同時に、ワールドツアーのこともその頃から視野に入っていた?

「はい。そこは考えていたというより決めていました。面白い経験ができそうだしエピソードトークを増やす目的もあったんですけど、一番はやっぱり“行ってどうするの”っていう“その先”が大事じゃないですか。NYから帰国してすぐにみんなから何したの?とか、行って変わりました?って聞かれたんですけど、それがよかったかどうかわかるのは2年後じゃないですか?って答えていて、3年たった今は、本当に行ってよかったって思ってます。やっぱり今やりたいことは今やらないとダメだなって思いましたね」

──お話してて思うんですけど、精神年齢が40代、50代って言われませんか?

「あはは。ただ、どの現場に行っても、バイトの頃もNSCの頃も年上の人といることが多かったので、そういう人たちから学んだんだと思います」

──これから夢を叶えたいという人がいたらどんなアドバイスをしますか?

「皆さん、それぞれにすごく魅力を持っていると思うんですけど、夢ってそれ一つとかではないので──。やってみなきゃ自分にそれが向いているかどうかもわからない。やってみて、向いてないことがわかって、別の夢ってなっても、それは夢を諦めたことにはならない。なぜなら自分が選択したことだから。やらずに諦めるのは夢破れたってことになるけど、やってみて違うとわかったことは新たな自分の第一歩──。だから失敗したらどうしようってことより、挑戦することに先があるって思ってほしいなって思う。向いてるかも成功するかもやってみないとわからないから、そこから悩んでほしいなって──」

日本を拠点にいろいろ発信していきたいし、まだまだやりたいことがたくさんある

──渡辺さん自身が思う強みってなんですか?

「私は得意なものだけをやってるわけでもないんです。洋服を作ることはやっぱり難しいし──。私の場合は人を喜ばせたり、人を笑わせたりってことが全てのテーマになっていて、芸人仕事をやっている。何より日本の皆さんに喜んでもらいたくて、そのための武者修行なので、成果や結果の部分は日本で出していきたいんですよね。いろんな仕事をしていても日本の芸人として日本で仕事をしていたい。私のボーダーラインはそこなんです」

──これからどんな渡辺さんが見られるのか、ますます楽しみですね。

「日本を拠点にいろいろ発信していきたいし、まだまだやりたいことがたくさんある。20代は突っ走ってきたので、30代はそれをおさらいしながら一つ一つ深めていきたいなと──。たぶん私から仕掛けることはもうないかな。散々やって種をまいてきたつもりなので、それがどう咲くか咲かないかによって、今後の活動が決まってくるんだと思う。今後2年間で何も咲かなかった場合は2年後また種まきをすると思うんですけど」


すべて私物

──具体的には何か決まってる?

「全国を回りながら舞台をやっていこうとは思ってます。もう5年くらい単独ライブをやってないので、海外でワールドツアーなどをやって培ってきたものを、どう皆さんに返せるか。いわば舞台はその結果発表の場ですね」

――ワールドツアーが結果だと思っていたんですけど、違うんですね

「違うんです。ワールドツアーはあくまでも第一歩──。舞台に関しては友近さんのライブにも参加させていただき勉強させてもらってるので、それを私なりにどうカタチにできるかだなと──。前に進むことだけが大事なことじゃないと思うんですよ。田植えじゃないけど、しっかり根を張って、こういうことをやりたいんだってことを重複してやっていかないと、たぶん伝わらないし、分の中にも入ってこない。そこを意識しつつ、ワールドツアーも2年以内にもう一度やろうと思っているので、来年はまた英語をさらに勉強したり、自分のための時間を大切にしながらやっていこうと思っています」

──自分のため=仕事なんですね

「ですね(笑)。暇なときに考えることも、何か新しいことできないかな?ってことだったり。でも、一人でいる時ってわりと考えすぎちゃったり、人と話さないと生まれないモノもあるので、そういう時間は意識的につくりつつ──。私には仕事しかないから。今までプライベートとかもいらないと思って生きてきたし、まだまだ仕事第一ですね、やっぱり」

──今って持ってるポテンシャルのどのくらいを見せてると思う?

「私は100%出してるつもりだけど、私に興味がない人たちとかは過去の私で止まっていたりもするので──。だからもっと発信していかなきゃいけないなって思うし、発信するためにもちゃんとしたものを見せなきゃいけない。私の100%を伝えていくためにも、“常に勝負”──。来年もそんな感じですね!」

Photos : Frederic Aranda Styling:Ayano Otaki Hair&Makeup:Ayako Shimotake Coordinator:Studio Sakamoto  Interview & Text : Takako Tsuriya Edit:Michie Mito

Profile

渡辺直美(Naomi Watanbe)1987年10月23日、茨城県生まれ。お笑い芸人としてデビュー。2016年個展『渡辺直美展Naomi’s Party』の全国巡業やワールドツアーを開催し話題を呼んだ。2017年写真集『NAOMI』を発売、またドラマ『かんなさーん!』(TBS系)では主演を務める。10月スタートの『世界くらべてみたら』(TBS 系)に出演中。「PUNYUS」プロデューサーなど多方面で活躍中。

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