パーティの達人!『プレイボーイ』創刊者ヒュー・ヘフナーが伝授する「パーティの極意」
91歳でこの世を去った、雑誌『プレイボーイ(PLAYBOY)』の創刊者ヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)。10年前の「Show Time」特集にて、パーティ・マスターの異名をとる彼のインタビューが実現。ハリウッドの豪邸で繰り広げられる噂のパーティとは一体…?(「ヌメロ・トウキョウ」2007年12月号掲載)
2006年ハロウィーン・パーティにて(ギャルはすべてヘフナー氏の取材当時の恋人。左からケンドラ、ブリジット、ヘフナー氏、ホリー)
ハリウッド一有名な巨大ホーム・パーティの仕掛け人
「パーティの帝王」の座に半世紀以上も君臨している人物、それは、『プレイボーイ』誌の創始者ヒュー・ヘフナーだ。数々のパーティを仕掛け、成功させてきた彼は、まさにパーティの達人(マスター)。世界で最も有名なパーティのメッカ、プレイボーイマンションこと、プレイボーイ邸で、トレードマークのパジャマ姿のヘフナー氏にパーティ・マスターの極意を聞いた!
パーティとは、”生きていることを祝う”こと
9月下旬(2007年の取材時)のある日の午後、数ヶ月に渡って交渉したヒュー・ヘフナーへの取材が実現した。有名な金持ち地区ベル・エアーのすぐ南に位置するプレイボーイ邸は、外からその屋敷を拝むことはできない。というのも、背の高い垣根が周囲を覆い、黒い鉄製の門は屋敷から急な坂をぐるりと下ったところにあるからだ。門柱の側にある巨石に空いたカメラの穴に向かって話しかけると、警戒するような声で返事をした。アポイントがある旨を伝えてから約30秒後、無言で門が開き、いよいよプレイボーイ邸内に足を踏み入れる。入り口すぐの書斎に通され、いよいよ御大の登場。予想以上に小柄な彼は、トレードマークのパジャマと短いガウンのようなデザインのサテン地のジャケット姿で現れた。
2006年「真夏の夜の夢パーティ」でライトアップされた屋敷の入口
「パーティの達人になるまでには本当に長い時間を要したよ。僕は、中西部の敬虔典型的メソジスト派ピューリタンの家庭に生まれ育った。宗教上、抱きしめたり、キスしたりするなんてことは、ある意味ご法度の家だった。だから、かなり早い段階で、映画や音楽から得たもので夢の世界に逃げ込むようになっていったんだ。そんな僕にとって、パーティとは、”生きていることを祝う”こと。プレイボーイ誌を始める前からそうだったんだよ。
そして、雑誌のテーマ自体も”パーティ”になった。それは、ピューリタンという家庭環境で抑圧されてきたものへの反動だったんだ。実は僕は、雑誌をプロモーションするのにテレビという媒体を使った最初の人間の一人。『プレイボーイ・ペントハウス』という場所を作り、そこで収録したバラエティ番組を1959年から1年間放送した。番組のコンセプトは、ズバリ!『パーティ』。僕が住んでいるペントハウスを舞台に、トークやバラエティのネタを盛り込み、それを番組として放送した。招待客がエレベーターで上がってくる時、カメラも客と一緒に上がる。カメラは、あたかもゲストの1人として入り口をくぐり、パーティの中に入っていく。だから、視聴者は、自分がそのパーティの招待客になったような感覚になる。また、カメラは、歌やコメディのパフォーマンスなども捉えるから、視聴者は実際にそれらをそこで見ているような気分になる。
2006年「真夏の夜の夢パーティ」ファンタジックというテーマに合わせた幻想的なデコレーション
番組がスタートして数ヶ月後、最初のプレイボーイ邸をシカゴで購入した。そうして、テレビのためにやっていたようなパーティをそのプレイボーイ邸で開くようになった。言って見れば、テレビ番組でやっていたことは、実際のパーティをやるためのシミュレーションだったんだよ。だから、シカゴのプレイボーイ邸でのパーティは、ヤラセではなく本物のパーティとして確立されていった。ロサンゼルスでプレイボーイ邸を購入し、ここでも同じことをやった。ロサンゼルスには、ハリウッドがあり、ハリウッドは、エンターテイメントの首都であると同時に、パーティの中心地でもある。僕がロスのプレイボーイ邸に引っ越して、ここでパーティを開催するようになったら、ここがハリウッドのパーティの中心地の中の中心地になった。
2007年「真夏の夜の夢パーティ」恋人3人一緒に
そして、僕はまた、以前と同じような番組を始めたんだ。それは、68年のこと。番組のタイトルは『Playboy After Dark』で、コンセプトは、変わらず”パーティ”だった。映画に影響を受けた僕にとって、映画の都ハリウッドで行うパーティは、まさに家に帰ったような気分を味わうことができた。そうして、このプレイボーイ邸でのパーティは、次第に儀式的行事となり、世界的にも有名になっていった。ここでは年間5つか6つの大きなパーティを開催している。一番有名なのが、『真夏の夜の夢パーティ』。このパーティのドレスコードは、“寝る時の服”。つまり、パジャマまたはネグリジェ、下着、人によってはそれよりも少ないものになる。このパーティでは、パンティだけを身につけ、あとはボディペイントをした女性がつまみや飲み物を運んでくる。このアイデアは、ものすごく有名になって、以来、僕が別のパーティに招待された時も、会場がクラブや自宅であろうと、ボディペイントした女性に出くわすようになった。さらにスポーツ誌の中には、水着特集の写真の中に、水着のように見えるペイントをほどこしたモデルが、ポーズを取っているものも登場するようになった。これこそ、まさに僕のパーティから有名になったアイデアの一つだよ!」
パーティ・マスターのライバルは?と聞くと、笑顔を向けて、「いないよ。僕がナンバーワンで、ナンバーツーに挙げられる名前は思いつかない」と言う。「やりたいと思ったテーマのパーティは全てやった」というのも、パーティ・マスターのトップを独走する彼らしい発言だ。
Coordination & Text : Izumi Hasegawa
Photos : Playboy
Edit:Masumi Sasaki