イタリアの国民的俳優パオラ・コルテッレージにインタビュー「若い女の子に権利と想いをつないでいきたい」
イタリアで600万人を動員する大ヒットを記録、イタリア版アカデミー賞と言われるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を総なめにした話題の映画『ドマーニ! 愛のことづて』が2025年3月14日より日本で公開する。監督、主演を務めたパオラ・コルテッレージに本作に込めた想いを聞いた。
“女性の権利”を扱ってきたパオラの集大成
──初監督作品で描いたのは、戦後で荒廃したローマでたくましく生き、権利を渇望する女性たちの姿です。この時代の女性たちを描こうと思った理由を教えてください。
「舞台は1946年。まだ男女の不均衡さが如実に現れている時代でした。たとえば男性から殴られても、誰かに通報されたり、スキャンダルとして取り上げられるようなこともない。その時代を描くことで、私は現在も変わらぬイタリアの状況を指摘したかったのです。
女性に対する男性の暴力は、イタリアにおいて現在でもまだ大きな問題になっています。約3日に1人の女性が、男性によって殺害されているんです。その現状についても考えてほしいと思っていました。また、1946年は現代イタリア史における、ある一大イベントがあった年でもある。それについてはぜひ映画で確認していただきたいです。
私は俳優として、コメディエンヌとして、これまでも女性の権利についてはさまざまな形で扱ってきました。テーマとしてはずっと伝えてきたことで、今回はそのひとつの集大成のような映画になっています」
──家父長制的な価値観が強かった時代、女性が徹底的に男に支配されるシーンに胸が痛みました。描く際に心がけたことはありますか?
「暴力の場面は少し特別な形で描きました。観ていただくとわかるのですが、ダンスをモチーフにして描いたんです。理由は、暴力は一度きりの事件的なものではなく、まるで儀式のように何回も繰り返されていて、 主人公の生活に組み込まれていることを伝えたかったからです。
シーンの後ろでは『Nessuno』という、イタリアでは誰もが知っている曲を流しています。『誰も私たちを離せない、私たちの愛は永遠』だという、愛を宣言する歌です。でも、そのシーンでその音楽を聞くと、違う作用が起こる。あの男と離れられないなんて、それは終身刑をくらったようなものじゃないかと観る人は思うでしょう。そういう効果も考えました。
また、暴力的なシーンを描く上で、あざだらけの女性の顔のアップなどは使用しないよう意識しました。私たちはホラーやサスペンスのように恐ろしいものにも惹かれてしまう性質がありますが、それを見せようとした途端、気持ちが持っていかれすぎてしまう。描きたかった本質はそこにはないので、センセーショナルになりすぎないようにしました」
お互いに助け合う母と娘
──つらい状況下でも、ユーモアのある描写が多かったのが印象的でした。
「本作はむしろユーモアを交えたタッチで描いたほうが、問題の核心まで近づくことができると感じました。当時の現実を一色だけで描くのではなくて、さまざまな側面から、さまざまな色合いで描くことができたのはそのおかげだと思います」
──このテーマを描く際に、社会運動に邁進した女性の物語にすることもできたと思います。家父長的価値観のもとで生きた、一人の一般女性を主人公にした理由を教えてください。
「イタリアにも、女性の権利のために戦った活動家が何人かいます。そういう人たちの名前は記録されているので、私たちも知ることができました。だけど私はそうではなく、今はもう誰も語らない、沈黙の中にも埋もれてしまっているけれども、女性たちの権利の獲得のために多くの犠牲を払ってきた人たち、むしろそういうことを意識することなく戦わされてきた、普通の女性たちに対する賛辞として、この映画を作りたかった。
私の祖母もそんな一人だったと思います。デリアも、無知で、お前なんかには価値がないというふうに教え込まれ、それを信じて過ごしてきた女性です。そんな女性だって、あるときに目覚める瞬間がある。この主人公は政治的な覚醒をしたいわけではないですが、自分の娘が自分と同じような境遇に遭うかもしれない中で、それを食い止めようとする。家族に対する愛をきっかけとして、覚醒の芽が出ることがある。それを描きました」
──母と娘の関係性の描き方も絶妙でした。母親の存在は女性である娘の内側に深く浸透しているため、娘は父の言いなりになる母を蔑んで見ています。母デリアと娘マルチェッラの関係性はどう描こうと考えていましたか?
「あの二人はちゃんとお互いに助け合っているんです。マルチェッラは、最初は母親の虐げられたままの境遇に不満をもち、母親のようにはなりたくないと思っています。でも自分も実は気づかぬうちに同じ罠にハマろうとしていた。母は母で、娘からの批判が自分のおかしさに気づくきっかけ、考えるための刺激になった。そして今度、娘が同じ恐怖に陥りそうになったところでは、なんとか救おうと行動する。教える人と学ぶ人の一方通行の関係ではなく、2人はお互いに助け合うような関係になっているんです。これは人間の関係における理想形だと思います」
前の世代が勝ち得てきた女性の権利を守り、つないでいきたい
──パオラさんご自身のジェンダー意識がしっかり反映された作品だと思います。撮影時、スタッフのジェンダーバランスなども意識されたのでしょうか。
「ジェンダーバランスは半々ぐらいです。ただ最初からそこを意識しようと計画したわけではなく、私は俳優として30年くらい仕事をしてきた中で、自分が気持ちよく仕事をできる人、自分が一番優秀だと思える人たちに声を掛けたら、結果的にそうなりました。男性ばかりで固めていたらうまくいかなかったと思います」
──パラオさんからみた、現在のイタリアについて思うことを改めて伺いたいです。
「先ほど話したように、本作を通して本当に伝えたいことは、今の問題です。たしかに今は映画で描いた時代とはずいぶん違いますし、法律上でも女性は以前よりずっと守られ、権利も増えています。だけど、法律はどんどん増えても、各人のメンタリティがそれにまだ追いついてはいないです。それを変えるには、やはり何世紀もかかるでしょう。それゆえにまだまだ、悲劇が起こってしまう。悲しいことに、若い世代の中にも古い価値観を内在化している人はいます。時間がかかるけれど、やはり少しずつ根こそぎにしていかなくてはいけないのでしょうね」
──日本も家父長制の意識がまだまだ強く、ジェンダー平等に向けた法整備もまだまだ不十分で、生きづらさを感じる女性が多くいます。
「私が映画を撮ったもうひとつの理由は、若い女の子へ想いをつないでいくこと。今、私たちが享受している女性の権利は、前の世代の人たちが勝ち得てきたもの。その価値を認めて、これからもそれを守っていくために戦わなくてはいけないし、さらにもっと多くの権利や多くの保護を獲得しなければいけないことを伝えたいんです。
アフガニスタンやイランの例は極端かもしれないですが、得ていた今ある権利が永遠に続くとは限りません。いつの間にか奪われてしまうこともある。今ある権利を守り、それからさらに拡張していくために、しっかりした意識を特に若い世代には持ってほしいなと思います」
──日本のジェンダーギャップ指数が低い要因の一つに、女性政治家の少なさも指摘されています。イタリアでは初の女性首相が誕生しましたが、それによってなにか変化はありましたか?
「女性の問題を解決するためには、首相が女性になったくらいでは全然ダメです。それでも、女性としてはじめて首相が誕生したという事実は喜ばしいことです。そのうちアメリカでも女性大統領が誕生したらいいなと思います」
──トランプ大統領再選の影響か、Googleカレンダーから女性史月間の表示が削除されたことも記憶に新しいです。
「3月8日は国際女性デー、そして3月は女性史月間であることに変わりはありません。このタイミングで、本作が日本で封切られることを、本当に光栄に思っています。作品という小さい種が広く蒔かれていくことで、次の世代の子たちがより自分の価値で、自分の存在を自覚して、自由に生きていくことにつながればいいなと思います」
ドマーニ! 愛のことづて
1946年5月、戦後まもないローマ。デリア(パオラ・コルテッレージ)は家族と一緒に半地下の家で暮らしている。夫イヴァーノはことあるごとにデリアに手を上げ、意地悪な義父オットリーノは寝たきりで介護しなければならない。夫の暴力に悩みながらも家事をこなし、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を助けている。多忙で過酷な生活ではあるが、市場で青果店を営む友人のマリーザや、デリアに好意を寄せる自動車工のニーノと過ごす時間が唯一の心休まるとき。母の生き方に不満を感じている長女マルチェッラは裕福な家の息子ジュリオからプロポーズされ、彼の家族を貧しい我が家に招いて昼食会を開くことになる。そんなデリアのもとに1通の謎めいた手紙が届き、彼女は「まだ明日がある」と新たな旅立ちを決意する―。
監督/パオラ・コルテッレージ
脚本/フリオ・アンドレオッティ、ジュリア・カレンダ、パオラ・コルテッレージ
出演/パオラ・コルテッレージ、ヴァレリオ・マスタンドレア、ジョルジョ・コランジェリ、ヴィニーチオ・マルキオーニ
2025年3月14日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開
www.sumomo-inc.com/domani
Photos:Michi Nakano Interview & Text:Daisuke Watanuki Edit:Mariko KImbara
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