ジュスティーヌ・トリエ監督インタビュー「法廷はフィクションがつくり上げられる場」
第76回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞、日本でも公開初日から満席回が続出する大ヒットとなった映画『落下の解剖学』。舞台はフランスの人里離れた山荘。夫の転落死により妻に殺人容疑が向けられるが、現場に居合わせた視覚障がいのある11歳の息子だけ。裁判が幕を開けると登場人物の数だけそれぞれに説得力のある真実が現れ、片時も目が離せない。
監督を務めたのは、本作が⻑編映画 4 作目となるジュスティーヌ・トリエ。彼女の実生活でのパートナーでもあり、監督・脚本家・俳優としてマルチに活躍するアルチュール・アラリとともに、第96回アカデミー賞脚本賞を受賞した本作について、ジュスティーヌ・トリエ監督にインタビュー。
──現実の出来事は、裁判の場のようにどちらの言い分が正しいか白黒つけられないものですが、事実はどうであれ、登場人物たちそれぞれの感情が本当だと思える、人間や関係の複雑さに共感できる素晴らしい作品だと思いました。主演のザンドラ・ヒュラーの捉えどころのなさ、ミステリアスさは、夫の殺人疑惑の目が向けられるベストセラー作家サンドラの役どころに適任だと感じましたが、監督として思う俳優ザンドラ・ヒュラーの魅力とは?
「確かに彼女は一体何者なのか、どう表現したらいいのかわからない人ですよね。ザンドラは今となっては友人ですけれど、次の瞬間、彼女がどういう行動を取るのかが読めないようなところがある。もちろん、この映画のサンドラという役とプライベートの彼女は全く違いますし、役柄ほど複雑な人物ではないけれど、彼女自身からインスパイアされた部分もあるんですよね。サンドラという女性には二面性があり、とてもエモーショナルに人々に寄り添う能力があり、私たちは似ていると言いたくなるような話し方をします。でも、同時に、女性として、作家として、母親として、自分が望んだことを譲歩しません。だから、完璧な母親を演じることもなければ、涙を流す被害者を装うこともない。そういう意味で、ザンドラは、サンドラという役を作ろうとはしてない、という点が興味深かったですね」
──サンドラがグレイのスーツを着て法廷に立つシーンがありますが、スーツに身を包んでいる姿が、感情を抑えるための武装のようでマスキュリンに映りました。
「面白いですね。確かに、スーツという衣装は、鎧のような効果がありますよね。一般的に、女性の被告人を思い返すと、ファム・ファタールのような女性像として描かれることが多いですし。ビリー・ワイルダーの『情婦』(58)におけるマレーネ・デートリッヒのように。でも、サンドラはもっと現代的で、私自身は男性的な武装とは感じませんでしたが、戦いに挑む兵隊のような気持ちでいることの表れだとは思います。そして逆説的に、彼女のことは私たちにはわからないのだと主張している気もしますね。サンドラは時々、自分にとって不利なことを言ったりもするので、本当に計算高い人物なのかはわからないんです。できるだけ誠実であろうとしていると感じますし、非常に複雑な状況に直面していることもわかる。なぜなら、被疑者である彼女が何を言ったとしても、その言葉を解剖され、変形・歪曲されてしまうんですから」
──家庭やカップルの関係は他人にはわからないことでも、法廷という場を離れても、正義の名の下に公開裁判にかけられ、擁護されたり、誹謗中傷したりと見せ物として面白がる社会についても考えさせられる作品です。そういう風潮に対する考えがあれば、聞いてもいいでしょうか。
「法廷の場はやっぱり魅力的で、最後には正義が勝つ、真実が明らかになるものだと幼い頃は信じていました。でも、大人になって気がついたのは、法廷は一つの物語が、フィクションがつくり上げられる場なのであるということです。そして、傍聴席も陪審員も、直接的な証拠がない場合、被告がどんな態度を取るかを分析し、道徳的にそれを正義感で判断しようとする。それは、どの時代でも繰り返されてきたことだと思います」
──とはいえ、今はメディアリテラシーの有無に関わらず、誰にでも開かれたインターネットが存在します。
「そうですね。発言の正当性を示すことなく、匿名で憂さ晴らしをするように、誰かに唾を吐きかけたり、攻撃できてしまう。この作品は明らかにそのことについて描いていますし、また、女性が男性よりも権力のある立場にいるとき、通常より厳しくジャッジされる現実についても描いています。つまり、サンドラは単なる被害者ではなく、自分の人生を切り開いているパワフルな女性で、一般的に既得権益を持つ男性側の立場にいるということです」
──確かにそうですね。そういう意味でも、本作は女性の語りがリアルに映し出される作品だと思いました。映画業界で働きながら、どんなときに女性監督であることを意識させられ、生きづらさを感じますか?
「フランスは女性監督がのびのびと映画を撮っているように思われがちですが、同じ監督であっても、女性が持つことができるバジェットは男性に比べると低いという現実があります。そして、女性監督の場合、特に撮影現場で上から目線的な言い方はしてはいけないとか、細かい制約は色々と感じますね。MeToo運動以降、少しずつ進化はしていますが、特に予算の問題や、女性に自己肯定感を育てる環境についてはまだ解決はしていないと感じます。例えば、『落下の解剖学』の資金調達のためのプリセールス(映画の完成前に配給権を販売すること)でも、「この映画は高すぎる」とか「予算を理解していない」と言われ続けましたから。この映画の製作費が約600万ドルであり、そして2億ドルの価値がある映画と一緒にアカデミー賞に参加していることを考えると、女性である場合、さらに自分を正当化し、自分の才能や仕事上のタフさを証明しなければならないと思い知らされます」
──映画音楽についても聞きたいのですが、本作は50 Centの「P.I.M.P」とジェーン・バーキンの「ジェーンB.~私という女」の2曲をとても効果的に使っているなと感じました。ショパンの「24の前奏曲作品28 第4番 ホ短調」の旋律を元にした「Jane B」は、行方不明で亡くなった女性の身体的特徴を語る歌ですよね。息子ダニエルが母という存在を掴もうと、ピアノを弾いているように思えたのが印象的でした。
「確かにこの曲は、死んだ女性の特徴を綿密に解剖していく歌詞です。1年間、世界でプロモーションをしてきましたが、「Jane B」について聞かれたのは初めてなので、歌詞と物語を結びつけてくれて嬉しいです。ショパンの前奏曲を選んだのは、クラシックのアイコン的な存在としてよく知られているからでもあります。そして、「P.I.M.P」については、私は今45歳ですが、20代の頃、夜パーティに行くとよくかかっていた曲で、映画の中ではスティールパンバージョンを使っているから歌詞は聞こえてきませんが、知ってる人ならミソジニー的な歌だと想起されて、面白いのではないかと思ったんです。エキゾチックで少し奇妙なバージョンを使うことで、パリのような大都会ではなく、人里離れた山奥に住むカップルにはすごくハマったというか。このアイコニックな2曲に関しては、いわゆるとってつけたような映画音楽ではなく、映画から浮かび上がってくるような音楽にしたかったんですよね」
──ちなみに、ダニエルの愛犬の名前スヌープは、50 CentつながりでSnoop Doggに由来していたりするんですか?
「そうだったら面白いですが、全然違います(笑)。HBOのドラマ『THE WIRE/ザ・ワイヤー』のシリーズから取ったものです。殺し屋のスヌープという女の子がいたんです。現代的でとても興味深いキャラクターとして印象に残っていたので、彼女の名前をつけました」
──最後に、スヌープを演じた俳優犬メッシは、カンヌ映画祭でパルム・ドッグ賞も受賞しましたね。あまりの名演でしたが、メッシの演出の秘訣について教えてください。
「彼の演出はですね、プロセスとしてはそこそこ大変でした。キャスティングも、どちらかというと、パフォーマンス性の高さを重視していたので難航したんですね。ローラ・マーティンというドッグ・トレーナーがいまして、3カ月前から、死んだようにぐったりする演技を綿密に準備してもらいました。そもそも私はノンプロと俳優や、子どもと大人とか、動物も混ぜるのが好きで。組み合わせが複雑になればなるほど、滑らかではないごつごつした空気感が生まれ、想定外のことが起きるから、異物っぽいものを合わせたくなってしまうんですよね」
『落下の解剖学』
監督/ジュスティーヌ・トリエ
脚本/ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
出演/ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツほか
人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。はじめは事故と思われたが、次第にベストセラー作家である妻サンドラに殺人容疑が向けられる。現場に居合わせたのは、視覚障がいのある11歳の息子だけ。証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ<真実>が現れるが──。
https://gaga.ne.jp/anatomy/
全国公開中
Interview & Text:Tomoko Ogawa Edit:Chiho Inoue