KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017ジャダ・リパが往還させた日本の過去と現在
アートと深い関わりを持つシャンパーニュメゾン「ルイナール(Ruinart)」が、「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2017」にてフィーチャーした、イタリア人女性写真家ジャダ・リパにインタビュー。
世界最古のシャンパーニュメゾン「ルイナール」とアートとの関わりは、創業した18世紀にすでに始まっていた。当時から気鋭のアーティストとのコラボレーションに意欲的に取り組み、共通する美学を見出しながら、アートフェアへの参加・支援も行ってきた。京都で2012年に始動した「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」への参加は、今年で2回目になる。
今回コラボレーションしたアーティストは、社会的・文化的背景を織り交ぜたドキュメンタリー作品やアートワークに定評のあるイタリア人写真家のジャダ・リパ。彼女は1867年に「ルイナール」をフランスから横浜に船で輸入したマティルド・ルイナールの曾孫にあたり、メゾンと縁の深い人物でもある。ある日、生家の屋根裏部屋で偶然見つけた曽祖母マティルドによる日本滞在記と、ヨーロッパにおける報道写真家の先駆者フェリーチェ・ベアトが19世紀中頃の日本を撮影した二冊のアルバムにインスパイアされ、彼らの軌跡をたどりながら日本各地で撮影を行なった。マティルドとフェリーチェ、ジャダによる三者の150年の時を超えた対話“「The Yokohama Project 1867–2016」presented by Ruinart”を、ギャラリー素形で発表。彼女がインスタレーションを通して伝えたかった思いとは。
実家で思いがけず見つけた貴重な歴史資料
──屋根裏部屋で作品を見つけた時、どんな気持ちでしたか?
「家宝を発見した!と思ったわ。最初は53点にも及ぶモノクロ写真が何を写しているのか、そして続いて見つけた旅行日記が誰によるものだったのかわからなかったから、片っ端から親戚に聞いたりして情報を集めることから始めたの。そしたら写真はフェリーチェによるものだということ、そして手記は同時期に曾祖母がしたためたものだということがわかった。その頃の日本は鎖国だったから、フェリーチェとマティルドが当時の日本社会を最初にヨーロッパに伝えたことになる。やっぱり宝物だった!そこでこのプロジェクトを始めようと思いついたの。彼女はいつか誰かがこれを発見して、世の中にお披露目してくれることを望んでいたのかもしれない」
──150年の時を超えた三者の対話は、どのようなプロセスで描いたのですか?
「制作には2段階の工程を踏んだの。まずはフェリーチェとマティルドがたどった足取りに沿って、日本各地を巡った。二人が感じたであろうイメージとピタリと重なるものもあれば、そうでない写真も撮ったわ。次の段階は、当時の西洋人が抱く日本人のイメージはどんなものだったか、掘り下げる作業。そうして出来上がった鼎談は、三者の思いが伝わるように三次元でディスプレーしている。窓や壁に沿って会場を囲むようにフェリーチェの写真を。その手前に私の作品を呼応させた。そして会場の中央には、マティルドの手紙や写真、本などの所蔵品を並べて、相関性を伝えるレイアウトにしたの。ポートレートと風景写真をミックスしたことで、新しい空間になった。全国各地を巡っているけれどタイトルを横浜にしたのは、横浜が当時の日本の玄関口だったから。どの外国人もまずはここに寄港しなければ他の都市には行けなかった、とても重要な街よ」
クセのある人選が目を引くポートレート
Photos:Makoto Ebisu
Interview & Text:Chikako Ichinoi
Edit:Masumi Sasaki