Art / Feature

【バスキア展 メイド・イン・ジャパン】NYのアーティスト、ホセ・パルラにインタビュー

満を持して開催されたジャン=ミシェル・バスキア日本初の大規模個展「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」。これまで多くの人に愛されながらも、日本では直接見る機会のなかった約130点の作品が、11月17日まで森アーツセンターギャラリーに集合している。今回は展示に合わせて、バスキアと同じ系譜であるキューバ系アメリカ人の現代ストリートアーティスト、ホセ・パルラのインタビューをお届け。

プエルトリコ、NY、そしてストリート・アートをルーツに持つこと、「言葉」の断片を作品に残していること、鮮やかな色彩感覚など、バスキアとホセ・パルラの共通点は語り尽くせない。彼の目に映る“バスキア”はどんなものだったのか。ホセが案内してくれたブルックリンにある美しいアトリエの数ブロック先は、バスキアが育った場所だ。今回はそのアトリエの中で、80〜90年代のNYにまつわるエピソードや、スタジオ内外での自身の創作における表現方法とその過程など、貴重なストーリーを語ってもらった。

──バスキアの作品を最初に見たときの印象を覚えていますか?

「最初に見たのはSAMO(バスキアとアル・ディアスによるグラフィティアートのユニット)のタッグで、はじめはライターか何かだと思ったよ。まず、彼の作品はとても読みやすくて理解しやすいものだった。抽象的なカムフラージュをする多くのライターの中で、バスキアは突出していたんだ。そして、彼の作品にはカリブの多彩な色を見ることができた。僕はキューバ人の両親のもとでプエルトリコで育ったから、プエルトリコ人の両親を持つ彼のエネルギーや感情に繋がりを感じたんだ。スプレーや筆で作品にマークを取り入れたり、身の回りの物を使用したり、キース・へリングや他のNYアーティストのように靴磨きに使う黒のマーカーを使っていたり、技術的な部分でも彼との共通点は多い」

──あなたにとってバスキアの作品の魅力は?

「力強い方法で、たくさんの情報を凝縮しているところ。政治や社会で何が起きているか、人種の摩擦や歴史を吸収してさまざまな作品で表現している。そういった聡明さを持ちながら、子供のような無邪気で強い線を描くことができるんだ。教育を受けて成長していくと自然と失っていくものを、彼はずっと持ち続けていた。例えば僕の場合は、書道のような文字をよりなめらかに、より美しくと考えるけれど、彼は子供のまま、子供がやっているようなことを楽しめるんだ」

──バスキアの作品はなぜ人々の関心を集めるのでしょうか。

「人がなぜアートやアーティストに惹かれるのか、それにはたくさんの視点があり、理由があるからひとつには絞れない。でも、バスキアはNYという街のひとつの歴史を象徴しているからだと思うよ。ベトナム戦争のあとの混乱、そしてヒップホップの誕生、経済の衰退や破産、ビルの放火などのカオス。カオスがアートを生み出すんだ。ダンス、ミュージック、スタイル、70年代〜80年代に一種のアメリカのルネッサンスがNYで生まれ、彼はその時代を代表する存在。この時代を生きた当時の人々が僕らの時代にも大きな影響を与えている。それが幅広い世代から支持を集める、大きな理由じゃないかな」

──あなたがバスキアから受けた影響はどのようなものですか?

「僕はグラフィティアートのライティングからスタートして、無造作な言葉とワイルドなスタイルをそこに取り入れていた。バスキアやキース・ヘリングが多くの影響を与えてくれるのは、僕らの“言葉”を代表していたから。さっきも言ったように、地下鉄や壁に生み出されるライターたちの作品には、色々な情報がカモフラージュされているんだ。僕らは反システム的で、誰にも所有されていない、所有しないというパンクロックのような要素を持っている。バスキアは美術館などで展示をして僕らの言葉を人々に通訳しながらも、ストリート出身という土台やエネルギーを失わなかった。場所、伝統、政治、階級などを超えた文化を自分で作り上げたんだ。昨今のグローバルに見て取れる、若者文化を体現したアーティストなんだよ」

──80年代〜90年代のNYについて覚えていることは?

「1986年にNYに来たとき、僕はまだティーンエイジャーで、地下鉄の駅はボロボロで落書きだらけ、どこも荒んでいてひどく危険だった。強盗に会うこともしょっちゅう。ビルも荒廃し、ホームレスがいっぱいいたんだ。有名になる前の多くのアーティストの部屋にはヒーターがなかったし、バスキアもそんなライフスタイルのなかにいたんだ。その後、1996年に僕はブロンクスに住んでいた。ブロンクスのエネルギーは凄まじいものがあり、インスピレーションが溢れていたよ。そして今住んでいるブルックリンも、90年代はアーティストがロウアー・イースト・サイドからブルックリンに移ってきた時代。当時はあらゆるアートの中心だったし、スタジオとして使えそうな寂れたビルなんかも簡単に探すことができたんだ」

──キューバ、プエルトリコ、NYといったルーツはあなたにどう影響していますか?

「僕はプエルトリコとマイアミで育ったので、そういった移動による変化にはたくさんのことを感じていたと思う。英語を学ぶ前に、ブレイクダンスやグラフィティといったアメリカの文化を最初に学んだんだ。そして今拠点としているNYは、いつも僕の夢だった。NYは人々の人生に大きな絵を描かせてくれる。そこには壁があってグラフィティがあって、ストリートや地下鉄があり、若い頃から自分の作品に刺激を与えてくれる人々やムーブメントがあった。それはキューバでも同じで、ハバナのストリートには情熱が溢れている。そういう場所を通り過ぎていく人たち、それが僕の作品そのもの。人が残していく過去、現在、未来の結びつきを描いているんだ」

──何かを創造するということにおいて、あなたが大切にしていることは?

「創作の過程においては、その都市を取り巻いているもの、そこで起きていることが重要なんだ。例えば東京を旅行していて中目黒や上野に行ったら、普通は旅行者が行かないような場所に行って、そこにある壁やさまざまなものを写真に撮る。そこにマークや言葉があれば、自分にとってどんな意味があるのか、他の人にとってはどんな意味があるのかを考える。それはただ通訳するのではなく、壁に描かれたメッセージを通して人々の潜在意識を感じるようなイメージだ。そして、撮影した写真やストリートで拾ったポスターの破片なんかをアトリエに持ち込んで、作品を作りはじめる。こういった過程はとても大切で、僕が10歳の頃からやっていることなんだ。新しい世代が外で何をやっているのか理解することが大切で、そうすれば自分自身が作品の声となり、それは作品のなかで匿名の言葉になっていく」 

──バスキアの作品が普遍的に愛されるのはどうしてだと思いますか?

「彼の作品には、今でも伝える必要のあるメッセージが含まれているからだと思う。そのメッセージは、“平等と愛”。社会や人々が良くなるように、彼はいつも挑戦していた。そして、政治、アートのマーケット、アート界の観念にも同じように挑戦していた。バスキアはアーティスト志望の若者をそうやって励ましていたんだ。だからこそ彼の作品は重要で、そして彼のメッセージは今も力強く語りかけてくるんだ」

 

Text: Mayu Sakazaki Edit: Yukiko Shinto

Profile

ホセ・パルラJosé Parlá 1973年マイアミ生まれ、サバンナ美術大学とニューワールド・スクール・オブ・アーツでペインティングを学び、現在はNYブルックリンにアトリエを持つアーティスト。ジャクソン・ポロックやジョアン・ミッチェルのようなアメリカの抽象表現主義の系譜を引き継ぐ作家として世界的な注目を集めており、アイデンティ、マイグレーション、イマジネーションなどをテーマにした大型作品を中心に活動している。最近ではNYのワン・ワールド・センターのロビーに設置された約27メートルの大規模な壁画や、バークレーセンター(ブルックリン)の壁画、第11回ハバナ・ビエンナーレでのフランス人アーティストJRとのコラボレーションプロジェクトなどが話題となり、日本では2016年に東雲の「YUKA TSURUNO GALLERY」にて3ヶ月にわたる個展が開催された。2020年にはブロンクス美術館での個展も控えている。 www.joseparla.com

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