男の利き手:黒田泰蔵インタビュー「白磁とは精神的なもの」
たくさんの物事を生み出し、行ってきた“男の利き手”。写真家・操上和美が撮り下ろす個性豊かな手の表情と、そこに刻まれたエピソードを通じて、これまで歩んできた歴史の一幕を振り返る。陶芸家、黒田泰蔵の“利き手”が語る人生の名場面とは? 10代で海外へ渡り、偶然に導かれるように器の世界へ飛び込んで50数年。これまでの陶芸の枠を超えた黒田泰蔵のクリエイションは国内外で高く評価されている。白磁に魅せられ、挑み続けるアーティストの軌跡。(「ヌメロ・トウキョウ」2014年3月号掲載)
──白磁という〝白い器〞を作りながら、いわゆる陶芸の世界に留まらず、近年はファインアートの世界でも作品を発表していますね。
「僕は常々、焼きものをアートとして認めてもらいたいと思ってきました。カナダで活動を始めた頃、『どうしてみんな焼きものに興味がないんだろう』とフラストレーションを感じる中で思い至ったのが、文化による焼きものに対する評価の違いです。ナイフとフォークの文化では、使い勝手の面で器はどうしても平たいものに限られる。一方、箸の文化でも、中国はレンゲを使うからか、あまり器の種類がない。韓国では茶碗を持つのはマナー違反にあたる。日本だけが、手に馴染む多種多様な器を受け容れる文化を育んできたのです。その文化が外国でも理解されるためには、〝文化の文明化〞をしなければならない。焼きものの場合、それはアートとして評価されるということなのかな、と思っています」
──ご自身の表現手段として焼きものを選んだ理由は?
「偶然です。工芸高校の図案科を中退して『これから何をしよう』と考えたとき、ちょうど海外旅行が自由化されて、あてもなく『とにかく外国に行きたい』と思った。そこで、外貨持ち出し上限額の500ドルを持ってパリに渡り、日本食レストランでウェイターとして働いていたところ、陶芸家の濱田庄司先生の一番弟子で、後に人間国宝になる島岡達三さんに声をかけられたんです。『オペラの切符を買うにはどうしたらいいかね』って。食事をご馳走になりながら『君はこの先どうするの』と聞かれて、『どうしたらいいかわからないけれど、アメリカに行きたいんです』と答えたら、『ニューヨークとカナダの陶芸家を紹介します』と言ってくださった。
その後、島岡先生から母と兄に『僕の面倒を見たい』という手紙が届いて。紹介していただいたニューヨークの人とは相性が合わなかったので半年後にカナダに行って、そこで焼きものがすごく好きになったんです。『はじめまして』と挨拶をしてからすぐにろくろを触らせてもらって夢中になり、気付いたら次の日の昼になっていました。生まれて初めて『これなら一生できるんじゃないか』と思いましたね」
──島岡先生は何故、黒田さんに声をかけたのでしょう。
「後で聞いてみたのですが、『あれは不思議だったね』と。それくらい、話しかけてほしいというオーラを僕が出していたのかもしれません。カナダの紹介先の方は学校で焼きものを教えている先生で、ろくろなどを自由に使っていいと言ってくれた。それから焼きものを続けて46年になりますから、不思議なご縁としか言いようがないんです」
──その後、日本に帰国されて、40代で白磁に専念することを決めたそうですが、そのきっかけについて教えてください。
「実は、濱田先生と島岡先生には『白磁は難しいぞ。若いときにするもんじゃない』と言われていました。でも、いろいろ作ってみても納得がいかず、もういいやと思って何の根拠もなく白磁を始めました。それで展覧会を開いたら、知り合いや兄(イラストレーターの黒田征太郎)の友人たちが来てくれて、全部売れちゃった。本当は50歳まで待つつもりだったんですが、娘の学費のために売れるものを作らなきゃいけなくなって、『どうせやるなら好きなことをやったほうがいいかな』と思ったんです。それで『単色で、ろくろ成形の、器』という三原則を決めたところ、すごく自由になることができた。それまでは焼きものであれば何をしてもよかったのに、それが逆に不自由だったんだなと気付きました」
──白磁が難しいと言われる理由ですが、白一色であるが故に、人生経験や人間的な深みが表れてしまうということでしょうか。
「確かに、昔の人にはそういう考え方があったようです。エネルギーを蓄えて爆発力を強くしてからやるべきもの、とでも言うのかな。ただ、僕は今でも白磁を作っているつもりはないんです。僕にとって白磁とは色とか形ではなく、精神的なもの、到達した位置のようなもの。そういう意味では悟りに近くて、今の自分にはまだできていないと思っています。
白磁を始めた頃に思い出したのは、カナダで生活費のために皿洗いのアルバイトをしていた時のこと。ウェイターが持ってくる皿を、まず石けん水の入ったシンクに入れて、次に火傷するくらい熱いお湯の入ったシンクですすいで、コックに渡す。その作業をしている間は何も考えず、自分が無になったような状態で気持ちがよかった。今も『僕はあの時が一番、白磁を作っていたな』と思います。
僕の考える白磁はそういうものだし、美しいものの最終形はそういうものだと思う。そして、それを追求するうちに器としては使えないものを作るようになってしまった。でも、それでいいと思っています」
──作陶という手法で、食事のための道具であることを越えて追求したい境地とはなんでしょうか。
「宇宙でしょうね。例えば、地球上に生命が誕生する遙か以前、岩石や塵などの無機物だった頃からの記憶が、人間には備わっていたはずなんです。制作中はいつも、そういう宇宙の成り立ちのようなことについて考えています。例えば、円筒は僕の中では宇宙のモデルで、曼荼羅のようなもの。焼きものを始めて1、2年経った頃に『なんだ、結局は円筒だな』と思ったんですよ。
そして、その感じはずっと自分の中にあったものの、円筒だけを追求する技術も度胸も、アーティストという感覚もまだなかった。これまでずっと焼きものをしながら『僕は何故ここに存在しているのか』ということを考えてきましたが、円筒こそがその最終地点なのかなと思っています」
──自分の手で作り出すことのでき、究極の境地ということですね。
「そうですね。コーヒーカップとかピッチャーとか、取っ手や口が付いているものは、ものすごくやりやすいんです。でも、それが小鉢などの抽象的な形態になるとちょっと苦しくなる。さらに円筒には、さっきの三原則で言えばこれ以上は削ぎ落とせないもの、ここから先へ行ったらもう何も作らないほかはなくなる、という確信みたいなものがある。でも生きている以上、何も作らないわけにはいかないとも思います。もし円筒を何かのためにどうしても使用するとすれば、この地球上のどこかに存在する、すごく透明感のある素晴らしい水を、自分が作った円筒で飲んでみるぐらいでしょうか」
「黒田泰蔵 白磁」展の情報はこちら
男の利き手のアーカイブ
Photo : Kazumi Kurigami Interview&Text:Keita Fukasawa Edit:Masumi Sasaki