浅野忠信×若木信吾 対談「もう全部に飽きている!」 | Numero TOKYO
Interview / Post

浅野忠信×若木信吾 対談「もう全部に飽きている!」

日本を代表する俳優として国内外で活躍する一方で、 音楽活動や絵画制作にも精力的な浅野忠信。今年2018年12月、彼が日々描き続けてきた膨大な数の作品を一冊にまとめた画集『蛇口の水が止まらない』をリリースする。浅野忠信にとって俳優、音楽、そして絵とは? 創作の原動力とは? 写真家、映画監督の若木信吾と語り合う。

日本を代表する俳優、浅野忠信。彼の活躍は役者だけにとどまらず、自身のバンド、SODA!で精力的にライブを行うなどの音楽活動、さらに、インスタグラムやフェイスブック上で日々発表しているドローイングやペインティング作品。そのどれもがエネルギーに満ち溢れ、パワフルだ。そして2018年12月、2013年の映画『羅曼蔕克消亡史』(2016年 中国で公開)での中国ロケから今夏まで、制作してきた絵画作品約3500点の中から、厳選し、まとめた画集『蛇口の水が止まらない』を刊行する。 今回、そんな浅野忠信に、写真家、映画監督、さらに自身の出版社、書店も手がけるなど多才なクリエイター若木信吾が斬り込む。絵を描くことにまつわるエピソードから、独自のフィロソフィ、俳優としての心境の変化、今の率直な心の内を、かなりぶっちゃけて語ってくれた。

コピー用紙とモンブランの万年筆から生まれる絵

若木信吾(以下、若木)「浅野君の絵はインスタグラムでいつも見ていて、超ファンなんです。それが一冊の本になると聞いて感激しました。3500点もの作品から選んだんですよね?」

浅野忠信(以下、浅野)「あとがきにも書きましたが、最初は1000枚くらいたまったら画集出してみたいと思ってたんですけど、2013年から描き始めて気づいたらもうかなりあったなみたいな」

若木「5年で3000枚描くって、1日何枚くらい描くの? インスタでもほぼ毎日上がってるときもあるから、いつ描いてんだろうなと思ってました」

浅野「昨夜だけでも、5、6枚描いてます。僕の性格的に、多分時間をかけると飽きるので。5分、10分で描いて時間がかかる時は途中でほったらかす。あとから見返して、良かったなというのが意外とあったり、また一週間後にやっぱりちゃんと描いてあげようみたいなものもあります」

若木「5年分の作品をどうやって保管してるんですか?すごい量でしょう」

浅野「いわゆるよくあるクリアファイルにだいたい50枚ずつくらい入れてます。さらにそれを衣装ケースに入れて(笑)」

若木「紙は何を使ってるの?コピー用紙みたいな?」

浅野「そうコピー用紙。安いからそれをいっぱい買っておいて、最初はボールペンで描いてたんですけど、いろいろ描いてるうちに、昔いただいたモンブランの万年筆が家にいっぱいあったんで。もらった当時は若かったから、モンブランってなんだろうって、よくわからずにずっと保管してて。今になってそれで描いてます」

@Tadanobu Asano
@Tadanobu Asano

──ところで絵のモチーフとかはどこから思いつくものですか?

浅野「作業してる人が描きたいなっていうのが、なぜか常に頭の中にあります。作業じゃないにしても、何か動きのある人を常に欲してるというか。それですぐに携帯で、“作業してる人”と画像検索をして、出てきた写真を描いたり」

──実際に見た人ではなく?

浅野「インターネットで探してるものがほとんどですね。あとは、不思議な街とか、そこに写り込んでる人が面白いんで。“不思議な街”って入力すると、本当に不思議な街が出てきちゃうんですけど、いやそういうことじゃないんだよなぁ、不思議に見えた瞬間の街がほしいんだけどみたいな(笑)。でも真似して描いても、だいたいその通りに描けないので、本当に不思議な街になっていくんですよ(笑)」

@Tadanobu Asano
@Tadanobu Asano

──写真を見て、スケッチのように描いてると。

浅野「まず見ながら、一回描いてみる。例えば、野球やってる人を描いてみると、だいたいうまくいかない。何度か描いてくうちにもうやめたって、自分の好きな野球をやってる人を描き出すとうまくいくんですよね(笑)。写真からヒントもらっているというか」

若木「万年筆で描いたら、消せないし、余白もきれいだから、何の迷いもなく描いてる気がします」

浅野「そう、下書きなしでいきなり全部描くから、我ながらうまいなぁと思ってます(笑)。俺の中ではそれが普通だから、周りの人に言われたときに、え!そんなにみんな下書きする?って思ったんです。鉛筆とかで描きがちだから、消さなきゃいけないし、ものすごく面倒くさい。ならパソコンで描けばいいじゃんみたいな」

@Tadanobu Asano
@Tadanobu Asano

大袈裟な筋肉と強い影はアメコミ好きの影響

若木「モノクロですごく強い光が当たってる影の感じがかっこいいですよね。現実だとここまで強く光はなかなか当たらないから」

浅野「最初、影を描き出したときに面白いからめっちゃ描いたんです。写真見ながら描いたのに、プロが見たら、こんなふうに光当たらないし、こんなに影出ないよって言われるんじゃないかと、ビクビクしてた時期があって(笑)」

若木「ビクビク?(笑)それが特徴的だし、めっちゃかっこいいと思って。 今日の撮影を依頼されたときに、もしスタジオだったら、このライティングをどうやって作ろうかなって考えてました」

浅野「なるほどね。それはちょっとやってみたいことの一つです。いろんなポーズを、いろんな角度から写真で撮ってもらって、絵のモデルにしたい。この間、ジョジョの原画の展覧会(「荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋」)に行って。やっぱりポーズがすごいじゃないですか。だから、自分の描いた『ディグマン』というアメコミ風のシリーズがあって、ディグマンをジョジョっぽく描いたけど、全くうまくいかなかった。ただくねくねしちゃったおじさんみたいになっちゃって(笑)」

──実際に見て影響を受けた漫画は?

浅野「『北斗の拳』『キン肉マン』『ビー・バップ・ハイスクール』とかそういう世代ですね。アメコミにしても、古いタイプのものがやっぱり好きですね。それが結構参考になってます。大袈裟な筋肉で。強い影が出てるという」

若木「コマ割りしてちゃんとストーリーを作ってるものも、一瞬にして思いつくんですか?」

浅野「一瞬にですね、いわゆる起承転結で物語を作ると、面白いんですけど考えるのが大変じゃないですか。だからいきなり描く。例えば、太ってるやつが歩いてるみたいなとこから描いていって、この後どうしようか考えて、友達が来たみたいな感じで、なんとなく描いちゃうんですよね。それで後から合いそうなセリフを入れていく(笑)」

若木「完全に天才じゃないですか(笑)。撮影現場での影響ってやっぱりありますか?」

浅野「大きいと思います。直接的には現場と関係ないにしても、何かしらリンクしてるところがあるかも。中国で犬が歩いてるのを見たりして、そこから犬を助ける人とか思いついたり」

若木「一貫した何かがありますよね。浅野君感というのは、いったい何なのかという。 常に、こう爆発したい何かを感じるんですよ。それを絵でも爆発させてはいるけれど、ギリギリのところで止めてるところもあるような」

浅野「心当たりがあるとすれば、この時代になると、たぶん絵も音楽も映画も、何々っぽくなっちゃうじゃないですか。僕の絵も誰かから見れば、何々っぽいわけで。ただできる限り避けたいとは思います。だから同じような絵になっているんでしょうけど、それが自分の中でものすごい強烈に思い浮かんでる景色なら、どこかで僕のオリジナルが入るんじゃないかと。仮にピカソっぽい絵を描くと、やっぱり面白いんですよね実際。自分が見たことある景色に当てはまるから、ああいい絵が描けたなぐらいにはなるんだけど、完全にオリジナルで描こうとすると、やっぱ辛くなってくる」

オリジナルを上回るほどの、“ぽい”モノは面白い

浅野「何々っぽいといえば、僕は美術館によく行くんですが、一人でずっと喋ってるんですよ(笑)。悪い意味じゃなく、いろんな人の絵を見ながら、『出た!こいつピカソ描いちゃったよ』とか。無料で見られる展覧会に入っては、すごい一人で文句ばかり、ブツブツ言ってます。『この人の絵いいじゃん』『これはこうだよね』『ああいうのなんでみんな描かないのかな』とか。でもなかには発見もあります。昔は誰も前例がないなかで描いてるからオリジナルができたけど、これだけモデルがある中でオリジナルを描くって難しくて大変なのに、この人結構すごいなって人がやっぱいるんですよ」

若木「だいたいそういう展覧会って、その場に作家の人いるでしょ。絶対本人聞いてるね(笑)。そういう絵のコンテストで必ず呼んでもらえるといいですよね」

浅野「だからいつも行って、なんで俺呼ばないんだって思いながらね」

若木「以前のインタビューで、『同じ映画っていうのは一つもない』みたいなことを言っていて、『例えば、アメリカの現場だと、みんな自分のオリジナルの映画をちゃんと作ろうとしてるけど、日本に帰ってくると、何かを引用したり、貼り合わせて合成して作ってる感じが強いから、その現場に慣れるのが辛かった』って。絵にもそういうフラストレーションはありますか?」

浅野「はい(笑)。僕がやるんだったら、もう思いっきり、ぽくやんないとなと思うんですよね。それを上回った、ぽいものは、面白くなってくると思うんで。逆にこの人本当にリスペクトあるなっていうぐらいに」

──上回った、ぽいものとは?

浅野「50sのロックンロールもブルースがベースになってるように、結局は何かの真似から始まって、やりすぎてオリジナルになったという世界。そこまでいけばいいんですけど、本当にぽいなってだけだと、それじゃ済まされないんだよなって思う(笑)」

若木「ただ上手なコピーになっちゃうとね」

4点全て@Tadanobu Asano

俺の絵は修復しないでくれって言い残したい

浅野「話が飛びますが、嫌いなのは、いわゆる修復。絵を修復する時点でもうオリジナルじゃないじゃんっていう(笑)。あのジレンマが半端ないんですよ、見てて」

若木「違う人が、手を入れるっていうこと自体が違うと」

浅野「そう。じゃあ、レオナルド・ダ・ヴィンチでもなんでも、なぜ、一筆、絶対に修復するなと、朽ち果てる姿が俺の絵のあるべき姿だってことを書いておかなかったんだろうって。僕だったら絶対に、修復しないでくれって言うと思うんですよね」

──書いてあるんですか?

浅野「書いてないんですけど。このインタビューが最初のアピールです。 太字とかで書いておいてください(笑)。だって修復されたら、複雑な気持ちじゃないですか。モナリザいいなと思って5分くらいじっくり見てたのに、でも誰かこれ直したんでしょってなると、なんか拍子抜けというか。もし本当に朽ち果ててたら、すごい悲しいんだろうなとか、想像するじゃないですか。そっちバージョンを見たい」

若木「でも何百年も、さすがに修復しないと持たないものって多いから、だからこそ見たい、見せたいっていう欲望もあるんじゃないですか。引き継いでいくというか」

浅野「もしそれがあるんだとすれば、この家系の代々伝わる修復法があって、こいつに任せるみたいな話で、俺の作品は共同作業だからって言ってくれればいいんですけど」

若木「確かに。実際に数百年も昔の日本画とか、狩野派とかみんな共同作業だから。本人が描いてる部分は本当にちょっとだけだったりするよね。それに、映画って一人のものじゃないから、やっぱり絵も一つの、浅野君の巨大なイメージをいろんな人に頼んでみんなで作っていこうみたいな。本づくりも、そうだけど」

浅野「(ジョゼフ・マロード・ウィリアム)ターナーというアーティストが好きで、絵によってはターナーを真似た絵があるぐらいなんですけど、そのターナーの版画が、まさに共同作業。ターナーは、絵を忠実に版画作家に作ってもらうんですが、何度もやり直しさせて、ものすごく厳しかったらしい。それが、とても理想的だと思ったんですよね。やっぱりやりたいことだけど、僕にはできないことがある。自分で彫れないなら、この彫り方で俺の絵を彫ってくれって信頼できる人にやってほしい」

若木「ありますよね。写真にとってのプリンターさんみたいな」

二代目浅野忠信がほしい

浅野「それでいうと俳優も。歌舞伎俳優さんでいう襲名のように、二代目浅野忠信やっぱほしいですもん。なんで一代で終わらせなきゃいけないんだと。『007』シリーズのジェームズ・ボンドをいろんな人がやるように、二代目浅野忠信がいてくれてもいいじゃないかと。バンドもそうで、もうあの高い声出ないから、二代目に歌ってもらいたいみたいに(笑)」

若木「それ面白いですね」

浅野「絶対あったほうがいいと思う。いちいちオリジナルを作りたくない人もいるし、『俺はもうローリングストーンズのミック・ジャガーの曲を完璧に歌える、二代目でいきたい』みたいな」

若木「それは確かに(笑)」

浅野「そしたら歌舞伎と同じように、いろんな人がその役者さんを演れるわけですよ。あとはピカソが認めた二代目ピカソがいたら、そいつは真似じゃなくなるし」

若木「ちょっと話はずれるかもしれないけど、『ルパン三世』の声とかも。声優はそうなっていかざるを得ないじゃないですか。『サザエさん』もずいぶん入れ替わってるし」

浅野「『ドラえもん』はすごい変わっちゃいましたけど」

──大山のぶ代さんロスみたいなところはありますよね(笑)。仮に二代目浅野忠信が登場するとして、継がせたいという人がいたらの話ですよね。

浅野「そうなったら、継がせたい人を作るしかないですよね」

──それは息子さんとは違うんですか?

浅野「まあ息子がやってくれるんだったら、それでもいいんですけど(笑)。二代目を襲名してくれるのは憧れますね」

全てに飽きている!何もかも捨ててリセットしたい

若木「以前、写真を撮った時に、若い時は、若さという強みで、座るだけで自分を出せたというか、フレッシュな気持ちで現場にいられたんだけど、いろいろ慣れてくると、ある程度自分の中で、シチュエーションなり、配役なりを考えて、その気持ちになって座っている、言ってました。そういう意味で、やっぱり絵もどんどん同じことを描いてると、何か新しいインプットを求める。それとなんかリンクしてるというか、現場でもそうだし、絵を描いたり音楽をやったりしながら、俳優業へのモチベーションにしてるのかなと。実際のところは、もう飽きちゃってたりしてるのかなと」

浅野「もう、かなり飽きてますよ(笑)。しいたけ占いが好きで、そこに『あなたは昨年の終わりにもうやり終えてます』というようなことが書いてあったんですよ。まぁ、あまり言えないけど、昨年いろいろあって、ある種、僕の中でもう終わった感はあったんです。当時、信吾さんとそうやって話した時にはがむしゃらにやってきたものが、リセットされてしまったんです。そこからもうポッカリと空っぽになった気がして、ものすごいフラットに自分の何かを考えられるようになった。だから、まさに飽きてたんですよ。もう俳優も、音楽も絵も」

──絵も音楽もですか。

浅野「全部飽きてる。全部捨ててもいい。一回何もかもなくなってもいい。今日のインタビューでも好き放題言って、二度とこの世界で絵を描かせないって言われてもいいんだって気持ちになった。もちろん無理矢理やることではないけど、恐れずに何かを発言したり、やった時に失うものは、むしろ今もう全部そぎ落としたほうがいいんだと。いろいろかき集めちゃったから、どこかでは手放したくないって状態になってたと思うんですが、一度リセットしないともう無理だなぁと。極端に言ったら、四畳一間の部屋で一人で暮らしていてもいいぐらいの。でないともう次にいけないかもと、結局はそうならないですけど。そのほうが、僕は今楽かもしれないというか」

若木「そういう意味では画集を出し、展覧会(12月7日より、東京・ワタリウム美術館にて開催中)を行うというのは、本当に良い方法ですよね」

浅野「この展覧会をすることや、新しいアルバムを製作中のバンド活動もそうですが、そういうことで自分の中に違う力が芽生える気がして、もしかしたら俳優としても良い意味でリセットされるかもしれないと。結局やってるのは全部僕で、それがどっちの方向にいくかってことなだけ。でも、こっちに力を注いでたものが違う方向に働いた時に、ものすごく楽に俳優のことが考えられるようになる気がするんです」

若木「一回ひっくり返すみたいな感じですね」

演技へのフラストレーションが絵を生んだ

若木「以前したインタビューで、30代の俳優の人たちもほぼみんな飽きてたんですよ。自分のビジネスをやりたいって言っていて。だけど、みんな始められてない。浅野君はちょっと兄貴分だから(笑)、当時でも、彼らの言ってたことは、ほぼ先にやってましたが、さらに今回、改めて話をして、またちょっと先に走ってくれてたなっていう感じがありますね」

浅野「続けてれば、自分なりには前に進めるわけです。俳優においては、メソッド演技みたいな。この間、若い子がイギリスに行った時に、パントマイム的なオーバーな演技が逆に流行ってると言ってて。それが僕の中ですごい腑に落ちたんです。なぜならやっぱりメソッドの行き着いた先がパントマイムになったわけで、自然とどこか無意識に喉が渇いたから水を飲む、このメソッドがあって成立する。でもこれを繰り返してくると、これはもうパントマイムですよね。喉渇いたら水を飲む、自然に見えるようにやるというパントマイム。昔は、喉の渇きは、(大きく口を開けてオーバーに)はぁーっ!はーっ!言う、パントマイムだったんだけど。でもそれも重要じゃないですか。映画によっては、喉を鳴らしながら大げさに水を飲む動作を一回入れた方が喉の渇きが伝わる。この両極端なメソッドとパントマイムが、演技においては地続きなんだと。でも監督がそこで今メソッドにこだわってんの?ってなっちゃうと、演じ手はこんなに進んでんのに、撮り手がまったく追いついてくれないとなったら飽きちゃうし。それに、日本では映像主体の映画が撮られるから、俳優さんはどこかつまらない。だから余計に飽きてしまう。まあそのおかげで、この絵が生まれたんですけどね(笑)。ふざけんじゃねえって」

目指すは、絶対的な決定権を持つプロデューサー

若木「絵の中の、ポージングとか、アクションは、たぶん自分のやりたい動きなんだと思うんですよ。ダンスの舞台でもない限りは、役者にこのポーズをさせてくれないけど、直感的にビジュアルとしてインパクトのあるものをわかっているから、自分の動きでもできることを絵で表現して。だんだん全てをディレクションしたくなるんじゃないですか?」

浅野「ものすごいわがままな環境でプロデュースをやってみたいですね。そしてディレクターも選びたい。ただもう絶対的な決定権を持ちたいだけなんですよね。というのも、俺の決定権ってすごい単純だからなんです。俺は面白くないって思ってても、現場が盛り上がってるからこっち!という決定権。だから現場がもう死んでると感じたら、『ちょっと君、監督なんだから何とかして』とか、『俳優なんだから盛り上げて』とか。年齢も年齢だし、どこかしら図々しさは持っていたいなというか(笑)」

若木「そういう現場やるんだったらだったらぜひドキュメンタリー撮らせてください、一番面白そう(笑)」

浅野「ドキュメンタリーにも興味があって。ドキュメンタリーって面白いものとそうでないものにはっきり分かれるじゃないですか。僕がもし作るなら、脚本を書きたいですね。もちろん、その通りには絶対ならないし、そうすべきではないんですけど。もちろんこの人を徹底的に僕が知る必要があるし、その先に、この人が何を目指してるのか、インタビューしているうちに自ずと気づくわけです。それを脚本にして、できる限りそのストーリーを、ドラマチックに撮って構築していきたい。もっと言うと、全部“やらせ”でやってほしい。絶対にその方が面白いから!もし俺のドキュメンタリーに出るなら、『うわーっ!』て朝から水浴びてるとか、やっぱ浅野忠信ってすげーな、みたいにしたいですし」

──パブリックイメージを裏切らない!やっぱり激しい、みたいな。

浅野「もちろん全くの嘘は嫌だけど、毎朝うがいして、顔洗ってます、という事実があるなら、もうバケツで顔洗ってるとか、なんかわかんないけど、なんでっていう要素があった方がね」

若木「(笑)確かに、その方が断然面白い」

浅野「もし本当に嘘みたいにドラマチックに進んでくれたら、もう俺の脚本無視しても、この人やっぱすごい人だっていう絵が撮れるんだけど、そうじゃないなら、いっそバケツをかぶってほしいんですよ。撮れるまで追っかけたいっていうか、なんなら最終的には本人に怒られたい。そうじゃねえよ、みたいな」

──あえて挑発的に。

浅野「ほら良いとこ撮れた!ってなるじゃないですか」

若木「やっぱりものを作る人なんでしょうね。裏まで全部見たいじゃないですか」

浅野「シド・ヴィシャス(セックス・ピストルズのベース)がヘロインでヘロヘロの状態で、ナンシーと肩組んでチューってやってるのとか見ると、何これみたいな。ライブではすげえかっこいいのに、すげえダメなやつじゃん(笑)。そういうのを見てみたいですね。そこも含めて表現して欲しい。いつでもいけるよっていう俳優でいてほしいなって思うわけですよね」

段取り嫌い。現場が面白いのが一番

若木「浅野君は、プライベートも役者の部分も割と透明度高いように見えるけど、実はあんまりよくみんな知らないと思うんですよね。そこがすごい面白くて。そういうところも、実は意図的にやってることなのか、ちょっと気になる」

──ドキュメンタリーについての考え方からすると、意図的に演じてる部分もある気がします(笑)

浅野「たまにありますよ、現場でも感情的に演じる時もあるんだけど、途中から『すっげーみんな、顔変わったじゃんみたいな。これ続けたらどうなるんだろう』とか。 あとは、“段取り”って言葉が嫌いなんで、もう最初からめちゃくちゃやってやろうと。でも日本の俳優さんって本当に良い子だから、じゃあここに座ってインタビューのシーンです、となって、インタビュアーが質問したら、「僕はそんなに考えてないっすかね」みたいな芝居が始まっちゃうじゃないですか。これは本当に良い子だなって思うんですよ。でもそこでコップの水をこぼしたりすると慌てるし、やっぱり混乱するし。そういう俳優は求めてないけど、でもみんな笑ったじゃんってなる。なのにそういうのはなぜ撮らないのかっていう」

──とは言っても、でも実際にはやらないですよね?

浅野「だから、たまにやります。ふざけた意味ではやんないですけど、絶対こっちの方が面白いって時は、台本に書いてなくても。例えば、セットで毎回美術さんがチョコレートを置いているとする。ということはこの人、俺がチョコレートを食う役だと思ったんだなと、食わなかったら嘘になると思うから、食うわけです。僕の中では、イラついた時にチョコ食う人というイメージにすればいいって思ってやるわけで、ちゃんと意味がある。しかも視聴者ほど見てるんですよね。チョコ食った!みたいな」

──ツイートされてる。

浅野「そうツイッターでエゴサーチすると、この人きっとこうなんだみたいなことを書き込まれてて。その通り、まさに俺の意図を汲み取ってくれて。そうすると次は、もう美術さんの方から『チョコありまっせ』みたいに渡す。『いやいや今のシーンじゃないよ、 次のイラつきのシーンでいくから』みたいなやり取りがあって。で、ちょっとかけさせときました!と、食いやすいようにしといてくれたから、バクバク食って、またやっぱりあいつイラつくとチョコ食うんだ、と。で、最終的には主人公も『チョコ食えよ』と言ってくる。『うわっこの人もノッてきた!』みたいな」

──すごいですね。チョコにおいて主導権を握り始めますね。

浅野「いたずらをやっぱり意図的に仕掛けていく。俺たちが映画やドラマ見る時って、そういうとこを見てるんですよね。例えば、ブルース・リーの黄色いジャージを見てるわけじゃないですか。どこにあれ売ってんだ!みたいな。キャラクターと自分に共通点があると勘違いしてるわけで、『俺もあいつと同じで焦るとチョコ食っちゃうんだよ』とか、それこそが一番ほしい要素だなって僕は思ってるから」

若木「そういうものって断片的じゃないですか。それを組み合わせて一つのストーリーにしていくっていうのが、今言ったような、もともと決まってるというよりはだんだん広げていながら、ストーリーに展開していく。それが絵にすごく似てるところではあるんですけど(笑)。この後どこに行くのか、続けていくものなのか」

浅野「自分の中で、絵を描くんだったらもう潔くコピー用紙だけでいいやと。その後カラーを使ったり、ペンキ使ったりするかもしれないけど、一番やるべきことはこれだし、これ以外は別にもう捨ててもいいことだと思ってるんで。まあ一番長く、子どもの頃から続けてきたスタイルなんですよね。そういう意味では、絵がつまらなかろうが、何しようがたぶん癖としてやっていくと思います」

紙とペンしか使わないのと音楽も同じ

──今回の画集には、CDも付きますが、自分の中で、音楽はどういう位置付けなんですか?

浅野「まあ最初は音楽がヒントをくれたんです、そぎ落とすということを。今回付いてる音楽は、言ったらものすごい単純なループなんです。この繰り返すリズムやメロディが、たまらなく自分をキープさせてくれる。もう紙とペンしか使わないっていうのと同じように、自分はループが大好きで、それがやりたいことだって気付いたから、最終的にはそれだけやっていればいいや、となって。多分俺はものすごく好きだけど、聴く人にとってはものすごく退屈なアルバムです(笑)」

──SODA!のバンド活動とは別でミニマルなループ的音楽も好きなんですか?

浅野「バンドはバンドで面白い、やっぱりメンバーがいるんで。それもだいたい単純なフレーズをループさせてもらうことが多いんですけど、メンバーが演奏してくれるから、僕は歌ってる時以外は聴いてるだけなんで(笑)。やべー、みんなすげーなみたいな(笑)。僕がバンマスみたいな感じでやってるから、合図出したりして、歌わない限りは終わんない。永遠にループなんですよ」

──ところでCDのアルバムタイトルは?

浅野「『かげの音』と僕がつけました」

若木「あの強い影の絵の音はどんなふうになるのか気になります。すごく聴きたくなってきました」

浅野忠信『蛇口の水が止まらない』

浅野忠信作曲オリジナル・アルバム「かげの音」CD付
¥3,800/HeHe

浅野忠信の画集『蛇口の水が止まらない』&展覧会の情報はこちら

Photos&Interview:Shingo Wakagi Edit&Text:Masumi Sasaki

Profile

浅野忠信(Tadanobu Asano) 1973年11月27日生まれ、神奈川県出身。90年『バタアシ金魚』で映画デビューを果たして以後、国内外の映画に多数出演。2008年、『モンゴル』で第80回米国アカデミー賞で外国語映画賞にノミネート。11年『マイティ・ソー』でハリウッドデビュー。14年『私の男』で第36回モスクワ国際映画祭最優秀男優賞受賞。カンヌ国際映画祭では、15年『岸辺の旅』で「ある視点」部門監督賞、16年『淵に立つ』で「ある視点」部門審査員賞と、主演作が2年連続受賞。第10回アジア・フィルム・アワード最優秀助演男優賞、第11回アジア・フィルム・アワード最優秀主演男優賞と史上初の2年連続主要部門受賞。また、音楽家としても「SODA!」でバンド活動や、DJも行う。自身のブランド「JEANDIADEM」で洋服のデザインも手がける。
若木信吾(Shingo Wakagi) 写真家、映画監督。1971年3月26日静岡県浜松市生まれ。ニューヨーク州ロチェスター工科大学写真学科卒業、雑誌・広告・音楽媒体など幅広い分野で活動中。雑誌「youngtreepress」の編集発行を務め、浜松市の書店「BOOKS AND PRINTS」のオーナーでもある。映画では、撮影・監督作品に、『星影のワルツ』『トーテム~song for home~』『白河夜船』(原作:吉本ばなな)などがある。2018年、自身の出版社「ヤングトゥリー」から新レーベル「若芽舎」を立ち上げ、絵本シリーズを刊行。Instagram@wakamesha、Twitter@wakamesha

Magazine

DECEMBER 2024 N°182

2024.10.28 発売

Gift of Giving

ギフトの悦び

オンライン書店で購入する