写真家、宮崎いず美インタビュー「私はこうして私になった」
自分自身を被写体にしたセルフポートレートをTumblrに投稿したことから海外で注目を集め、日本でも人気に火が付いた、まさにSNS世代の寵児ともいうべき写真家、宮崎いず美。2018年4月には「KYOTOGRAPHIE 京都 国際写真祭2018」に参加して、話題をさらった彼女の作品とともにその素顔に迫る。(「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」2018年9月号掲載)
自称“表現者”なポエム写真とも、キラキラアピール目的のインスタ女子ともまったく違う…! “絶望する私A”と“ふんばる私B”のせめぎ合いが生む摩訶不思議な“私”。
写真家がネットで作品を発表することが珍しくなくなった現代、ここに一人、SNS世代の寵児ともいうべき才能が登場した。彼女の名は、宮崎いず美。作品をアップしてきたTumblrの投稿が海外で注目を集め、アメリカの雑誌『タイム』やフランスの新聞『リベラシオン』で取り上げられて、日本でも人気に火が付いた。今年の春には初の写真集『宮崎いず美写真集 私と私』(青幻舎)を出版し、また世界各国から旬な写真家が集まる「KYOTOGRAPHIE 京都 国際写真祭2018」に参加して、話題をさらったことも記憶に新しい。
1994年生まれの宮崎は、現在24歳。彼女が作る作品は、主に自分自身を被写体にしたセルフポートレートだが、その身体は分解・再構築され、食パンやサンマ、生卵といった日常的なものたちとともにコラージュされている。そして、おかっぱ頭の彼女の顔はいつも無表情だ。創作意欲の根底には、自身へのコンプレックスがあるという宮崎。しかし、彼女の作品に対して負の感情よりも、どこかポジティブなエネルギーを感じてしまうのは何故だろう? そんな不思議な魅力の秘密を探るべく、作家本人に話を聞いた。
“明るさに潜む闇”こそが面白い
──Tumblrに作品をアップし始めてから、どれくらいで反響を実感するようになりましたか?
「半年くらいですね。メッセージがたくさん送られてくるときがあって、ほとんどは海外の方からでした。作品制作を始めたときからTumblrにアップしているので、発表することを前提に作っているところがあると思います。SNSなのでリアクションがすぐわかるから、反響が大きいとすごくうれしいですね」
──通っていた美大の課題制作がセルフポートレート作品を作るきっかけだったそうですが、デジタル加工なのか、切り貼りなどアナログな手法なのかわからないところもあって、そのバランスが絶妙ですよね。
「アナログでやるのが一番簡単だし、正確だと思うので、できることはアナログでやろうと思っているんです。それに、制作は必ず一人でやると決めているから、撮影の方法もできる範囲で考えています」
──映画や小説など、影響を受けたものはありますか?
「映画は『アメリ』が好きです。意識はしていないけれど、知らず知らずのうちに影響は受けていると思います。それに、映画監督ではミシェル・ゴンドリーが大好きなんです」
──彼に共感するところがある?
「とくに面白さに対する考え方がすごいと思いますし、気づかされることがたくさんありました。作品のなかにはわざと暗くしたり怖さを強調するようなやり方で作られるものがありますが、そういうものって、根のところではそれほどでもないんじゃないかと思うんですよ。逆に、明るいもののほうがものすごく闇を抱えている場合があるし、むしろそうやって、あえて表に出さないようなもののほうが、面白いんじゃないかと思うんです」
──誰でも心の内にドロドロとした負の感情を抱えているものだと思いますが、それをそのまま表したくないと?
「ドロドロしたものをそのまま出したところで、面白いことは何も起こらないと思っているんです。そういったものをちょっと展開したほうが自分も気持ちいいし、一筋縄でいかない感じのほうが好きですね。見ている人はどんなに考えても私のことは理解できないだろうし、騙すといったら語弊があるかもしれないけど、ストレートに闇をさらけ出したいとは思わないです」
──闇の部分は、作品のアイデアから外していくということですか?
「はい。それから、ふざけすぎているものも外しますね」
──ふざけすぎたアイデアが思い浮かぶこともあるんですか?
「ダジャレが結構好きなんです(笑)。くだらないことを考えるのも大好きなんですけど、さすがにこれはふざけすぎだなと思って、作品にするのを思いとどまることもありますね」
劣等感に向き合う“タフな私”
──Tumblrのタイトルが「未設定」 のままなのは、何か理由があるのでしょうか?
「よく考えれば、謎ですよね(笑)。実は最初の頃から何も変えていないだけで、意識してこれを決めたわけではないんです。見てくれた人に『存在すら未設定』という意味にも読めていいねと言われて、もうこのままでいいかと、後から乗っかっちゃった感じです。でもそういうふうに解釈してもらうのはうれしいです」
──この春に刊行された写真集『私と私』のあとがきで、劣等感をずっと感じてきた“私A”と、いいところもあるよと励ましてくれる“私B”がいて、そのせめぎ合いで作品が出来上がっていったという記述がありました。作品を一つ一つ完成させていくことで、そのコンプレックスは緩和されていくのでしょうか?
「コンプレックスはなくなったり緩和されたりすることはないですが、作品にしようとするときに、その元気づけるほうの“私B”が、すごく優勢になることがあるんです。そのときはドーピングでもしているんじゃないかと思うくらいに、テンションが高くなるんですよ(笑)」
──自分から脱皮していくという感覚なんでしょうか?
「これだけ他人と自分を比べておきながら、こんなふうに言うのは矛盾しているかもしれないですけど、自分を評価するのは自分であって、意外と他人の目はそんなに気にしていないんですよね。実際のところ、重要なのは自分の評価なんじゃないかと思っています」
──存在価値の拠りどころを他人に求めずに、自分の劣等感を受け止めてクリエイティビティに昇華していける、とても健全なタフネスを持っているように感じました。自分の中でのせめぎ合いをポジティブに楽しんでいるようにも思えます。
「どこか冷静に、俯瞰的に見ているところがあるのかもしれません」
──今後、決まっている予定があったら教えてください。
「9月からロンドンに行く予定なんですが、まだ期間は決めていないんです」
──その目的は?
「第一の目的は英語を勉強することなんですが、もちろん、写真の仕事もできたらうれしいと思っています」
Interview & Text : Akiko Tomita Edit:Keita Fukasawa
Profile
(左)自身の名刺にも使われている作品『プロフィール写真』©2015 IzumiMiyazaki