宮沢りえに学ぶ、人生を豊かにする共感力
2018年3月に結婚を発表した宮沢りえ。表現者としての見事なまでのキャリアを積み、現在は1児の母であり妻に。手を抜かず、人生を丁寧に紡ぐ姿勢と柔軟なバランス感覚。そのしなやかな価値観は、彼女の持つ共感力にちがいない。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年7・8月合併号掲載)
──宮沢さんにとって、人生を変えた共鳴や共感って過去に何かありましたか?
「シンパシーという言葉を聞くと、私はいつも苦しみとか悲しみとか努力とか、ハッピーとは反対側の気持ちを共有した時に初めて、その振り子が反対に振れることで喜びや楽しさにつながっていく――。そんな感覚があるんです。楽しいことだけとか、幸せなことだけに共感することって絶対にないような気がして」
──仕事の場でも同じですか?
「ですね。やっぱり殻を破ったり壁を登ったりとか、それを共に過ごし、初めてお客さんの前に出せる作品として出来上がった時に、共演者とも喜びという共感を一緒に得られる。過去を振り返ると、この仕事を始めた当時の私はコンプレックスの塊だったんですね。ハーフが珍しい時代だったので、髪の色や肌の色も好きになれなくて。でも、そのコンプレックスを喜びに変えてくれた人がいた。髪や肌や目の色だったりをメイクさんがすごく褒めてくれたことで、新たな自分の居場所を見つけられた気がした。
そういう人生のターニングポイントは過去に幾つもあって、そのきっかけを与えてくださった方もたくさんいたんですけど、なかでも大きな壁を与えてくれた人の存在はすごく貴重だったなと――。10代の頃から自分が上り切れるかわからないくらいのハードなテーマを私に与えてくれたり、自分が思う以上の大きな可能性を教えてくれた人たち――私の場合は、人生のほとんどを演じるということに費やしてきたので、やはり演出家やプロデューサーの方々になるんですけど、その時々のことを振り返っても、壁を乗り越えられた喜びよりも登り切るまでの本当に大変だった時間のことを思い出す。
そう思うと、やっぱりただ単純に“幸せ”な中にはシンパシーはないような気がします。そもそも、子どもを産む時だって、産む瞬間からお互いすごく苦しむでしょ。今まで水の中にぷかぷか浮かんでいたのに、初めて息もできないほど狭い産道を出てくる子どもと、それを押し出す人間の痛みと――。そこからすでに始まってるんだなって。そうして生まれた瞬間に、初めてシンパシーが芽生える。それにすごくいろんなことが似てるというか、共通する気がしますね」
──「産みの苦しみ」という言葉がありますが、まさにそれですね。
「きっと、生まれる時が一番苦しい。笑って生まれてくる子はいないでしょ。私の中ではそこがシンパシーの源というか、そんな気がして――。同じ苦しみを味わったりした時に、そこから抜け出た時とか、振り子が反対側に振れた瞬間に喜びのシンパシーに変わるのかなって。だから映画を観たり作品を観たりしても、ハッピーな映画を観て深くシンパシーを感じることはないけど、そこに主人公の葛藤とかが存在してこそ初めて共感できたり。
──確かにそういうものですよね。
「舞台や作品を作るための稽古期間にしても、楽しいと思うことはほとんどないんです。巧みな役者さんが毎日いろんなアプローチを試しているのを見て、面白いなって思うことはあっても、自分が演出家の前で披露する時は、毎回、清水の舞台が何個あっても足りないくらいで(笑)。やっぱり人前で初めてのことを試すのは、いまだにすごく恥ずかしいんです」
──宮沢さんほどのキャリアがあっても?
「稽古の時は手が震えたりもします。本番は演出家がOKを出した『よし、これで行こう』という共通のものがあるので自信を持って舞台に立てる――。もちろんお客さんの反応は気になりますけど、演出家の前で初めてやる時の怖さに比べたら比じゃない(笑)。ただ、作品によっては自分の中での価値観があって、そこをどうしても崩さなきゃいけないといった時に、表現しようとしていることをお客さんとちゃんと共感できるかどうかをすごく気にすることもある。自分がどう見えるかよりも『すごくナイーブなテーマを、こんなふうに扱った時にお客さんはどう思うんだろう?』とか――。なるべくお客さんの反応は考えないようにしてますけど、そういう共鳴を意識することもたまにありますね。
──客席が涙してるかどうか気になったりすることもありますか?
「気になるというよりも、わかることはありますね。ただ、その時に『よし!』って思うとか、燃えるみたいなことは一切ないですね。昨日はうまくいったんだけど、今日はちょっと違うなとか、常に満足しないのが私の性格なんです」
──となると、宮沢さんにとって満足のいく瞬間って?
「本当にないんですよね。一生満足できないんだと思います。昔、蜷川(幸雄)さんがある役者さんに『もっと自分を疑え、自分を信じすぎてる。そんなんじゃダメだ』と言った時にその言葉が私にもすごく響いたんです。自分自身に自信がなくて『いつもこれでいいのかな?』って思いながら演じてきたけど、自分を疑うということは悪いことじゃないんだなと――。常にそうではいけないだろうけど、何かを生み出すとか作り出す時にはそれでいいんだって思えた。そもそも、自分がやったこととか、すごい壁を乗り越えられた時に、自分の力だと思ったことが一度もないんです。演じるという上では一生満足はできないんだと思います」
──満足することがないことを修行僧のように続けていくって、すごいことですよね。
「先日、読売演劇大賞を受賞した時も、嬉しいというよりも、それを喜んでくださる周りの人たちがいることが嬉しかったり、『光子さん(母)が喜んでるね』って言われたりすると『そうか』って思ったりはしますけど、結局は自分のハードルがより高くなるというか、志のレベルをどんどん上げることになるので――。でも、その志を持ち続ける糧にもなると思うと、それが私にとっての喜びなのかも」
──もしかしたら、一人の人間としての宮沢りえと、女優・宮沢りえというものがそもそも違う?
「ぜんぜん違うと思います。本当はすごく怠け者だし、できれば穏やかにいたいなっていう気持ちと、仕事場で演じるという時は、双方の心を取り換えてる感じがすごくしますね」
──一人の人間としての宮沢りえの心が温かくホッとしたり、喜びを与えてくれるものは?
「それは、本当に単純な当たり前のもの――。朝起きて天気がいいからテラスでご飯を食べようとか、水をあげた植木がキラキラしていることだったりに、日々、喜びを得ているような気がしますね」
──子育ても喜びですか?
「娘はもう9歳になるのですけど、最近はアドバイス程度のことになってきています。もちろん、やる気を起こしてもらうための言葉みたいなものを紡ぐことはあるけど、もうすごく自覚も主張もあるし、私が彼女に教えることは基本的な『ご飯はキレイに食べたほうがモテるよ』とか、最近は『◯◯するとモテるよ』とよく使ってますね(笑)。『こうしなさい!』って言っても聞く耳を持たないけど『こういう人ってモテるんだよね』って言うと、『え? そうなの?』って興味を示してくるので(笑)。
──そういう年頃なんですね!
「そうなの。鏡を見ている時間も長くなってきて。なので、最近は実際に彼女のマネをして『いまどんな顔してたかやってあげる』『いまどんな食べ方してたかやってあげる』『これ、どう見える?』って。すると『それはイヤだ』と(笑)。成長とともに手がかからなくなっていくことを寂しく感じる時もあるけど、何でも自分でできるようになってきたことは喜びですね。でも、私ができることといえば、今後、幼い頃にはなかった新たな舞台で試されることが増えていく中で、そういう時ほど挫折が生まれるし、私も挫折だらけだったから、それを挫折だけにしないためのアドバイスぐらいは、母親として、一番近くにいる味方としてサポートできたらいいなぁくらいの感じかな」
──宮沢さんにも挫折がそんなにあったんですか?
「もういっぱいですよ(笑)。やっぱり選ぶ道がなぜかこうキレイに整った道と、茨だらけで先が見えないけどその先に何かがありそうだっていう道があると、後者を選んでしまう傾向にあって――。だいぶ学びもしたので、茨の道は行くけど、棘に刺さらないように歩くとか(笑)。でも、チョイスとして、みんながこっちを選べばいいのにというものじゃないほうを選ぶことが結構あったと思います」
──でも、それは自分の選択だから挫折ではないのでは?
「確かに――。絶対にこっちのほうがいいだろうと思って選んだけど、そうでもなかったかと思う。でも、その道を歩んだ時間がすぐには意味のあるものにはならないけど、それが自分の中に入り消化して、自分の皮膚や血になった時に、その経験を良かったことだと思える。だけど、それがちゃんと浄化されるまでにはすごく時間もかかるので――。それでも基本、性格がポジティブなのか立ち直りも早いんです。昨日、演出家さんにガツンと怒られたことを今日はこうしてみようとか、切り替えはすごく早い。結果、今45歳になって、自分の豊かさにつながっているものって、幸せだった時間より苦しかった時間のほうが何かを考える時のエネルギーになってる気がしますね」
──でも、簡単にうまくいったことはそれしか生まないというか。「そこに躓(つまず)いたからどうする?」というものがあったり。人間関係にしてもそうじゃないですか?
「ですね。人間関係を作ることもすごくクリエイティブなこと。ちゃんと時間をかけてこそだし、放っておくだけでは生まれないというか、やっぱりそこにアイデアを持たないと膨らんでいかなかったりする。ちゃんと対峙して会話して触れ合ってこそだなって――。常に実験しているような感じですよね。ここに何を入れたらどんな反応が起こるのか、その反応が起きたモノをこっちに移したらどんな色に見えるのかとか。心と心も目に見えない化学反応が絶対に起こっているはずだし、24時間、生き物であるという休まない中で化学反応をどう起こしていくかっていうのは、本当に1週間、1カ月、1年、怠けていたら時間はどんどん過ぎていってしまう。四六時中それを考えずとも、頭の中のどこかで常に意識しているから、家族という関係にしても、今この言葉をいうべきという瞬間があったり。家族を作り上げていくことも、志次第で相手と分かち合える量が変わってくる気がしますね。それは共演者でも、今このインタビューでも、思ってることを蔑ろにしないでちゃんと言葉にしないといけないなってふとした瞬間に再認識したり。普段は自然にやってるとしても。いま自分にとって何が大切かってことは体が知っているというか、計画としてじゃなくて、好きなモノ、愛するモノ、大事にしたいモノを本能が動かしてるんじゃないかと思いますね」
──本能的な部分がちゃんと機能してることが、いわばシンパシーの振り子を大きく振るカギともいえる?
「だと思います。振り子は常に揺れてるし、闇の濃さの分、光の明るさがあるように、絶対に片方にだけ引っ張られることはないと思ってるので、闇とか谷とか、それが深ければ深いほど、濃ければ濃いほど、それを恐れず勇気を持って大きく振り切っていきたいですね。振り子を振らすことがシンパシーを感じる源なんじゃないかと思うから――」
Photos : Peter Ash Lee Hair : Shuco Makeup : Kazuko Hayasaka Styling : Aya Kato Fashion Director : Ako Tanaka Photo Editor : Maki Saito Interview & Text : Takako Tsuriya Edit & Text : Hisako Yamazaki