本谷有希子が語る「少女」と「毒」
小説に映画、コミックなど、“少女”がモチーフになっている世の中にたくさんある。少女という特別な“生き物”の世界を描くクリエイター、本谷有希子にとって、少女性とは何かたずねた。
少女は、大人になる前に特別な生き物になる
──〈少女性〉と聞いて、まず連想するものは何でしょう?
「真っ先に思い浮かぶのは、やっぱり虫をつぶして殺してしまうような残酷さですね。それに〈嘘〉。あまりピュアなイメージがないですね。少女の集団を見たときに『もし自分が教師だったら』と想像するだけでゾッとします。それが彼女たちの特権なんでしょうが、すぐに人を見下すし、自分たちと似たような仲間とだけ共感するし、少しでも違うものは排除するし。『自分たちはこの人たちにはない何かを持っている』という根拠のない自信みたいなものがあるくせに、人と違うのが怖くて仕方ない生き物。もちろん、自分もそうでした」
──古今東西、さまざまな作家が少女をモチーフにした作品を作り上げています。
「大人と子どもの中間。その間を行ったり来たりしながら、無神経で身勝手なことが屈託なくできる。ピュアなまま悪いことができてしまうのって、狂気に近い部分があるのかもしれませんね。そこが面白いのではないでしょうか。自分の若い頃を思い出しても、確かに大人を見て『なんてつまらない人生を送っているのだろう」「絶対楽しくないし、人生もう灰色だろう』といったことを平気で決めつけていました。今思うと、その他者への想像力の低さに愕然としますが(笑)。
でもその一方で、他者を理解できるようになったがゆえにできなくなることも、たくさんあるような気がします。例えば私は20歳で劇団を旗揚げして、劇作家、演出家という立場になったのですが、その頃は他者の痛みがわからないから、残酷なことを平気で役者に言えていたし、無茶苦茶な要求をしていました。それから年を重ねて、自分がどれほど横暴だったかを知るのですが(笑)、そうなってみていざ作品を作ると、これが決していいとは言い切れない。当時の想像力がなかったゆえの残酷さで作れていたものと、人の痛みが分かって『ここまで言ったら傷つくな』『今ひっくり返すとスタッフが大変だな』と考えながら作るものは、やっぱり全然違うんですね。他者のことがまったくわからないからこそできるものも、確かにあると思います。そっちのほうが純度が高いともいえる。『演出家としては、私は優しくならないほうが良かったのかもしれない』とも思うこともありますし(笑)、昔の自分ができていたことへの憧れみたいなものすらありますね」
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
¥448(講談社文庫)
両親の訃報に帰郷する、女優の澄伽。女王のごとくふるまう彼女は、田舎での鬱憤をまぎらわすように、高校時代に自分を辱めた妹・清深をいたぶりはじめる。歪んだ家族関係と自我が、絶望によって崩壊していく様を描いた物語は、業火のような熱をはらんでいる。
──残酷なのに惹かれてしまう。
「グロテスクなものから目をそらせないみたいなところがあるのかもしれないですね。自意識や思い上がり、他人と比較していても仲良く振る舞ったり、欺瞞もあるだろうし。そんないろいろなものが混在しているところが、複雑で面白いのだろうなと。そして、そんなグロテスクな本人たちはかわいいものが好き(笑)。だんだん年を重ねて人の痛みがわかるようになる手前に、人の痛みが本当にわからないタイミングが訪れて、そのときに少女は、ちょっと特別な生き物になるのではないかな、と思います」
作品の中で描いてきた少女性
──これまでの作品の中で、描く上で少女性を意識したキャラクターは?
「『ぬるい毒』の熊田は、歳になったら魂が死ぬと思い込んでいるのですが、それは私にも実際あった焦燥感でした。『何か特別な才能を持っている人は、きっと歳までに形になっている。何も成し遂げていなかったら、人生は終わり。歳以降の人生は死も同然』と思っていました。いま振り返ると思い込みが激しいにもほどがあって、なぜそんなに生き急いでいたのか自分でもわからないのですが(笑)。でもきっと将来が不安だったんだと思います。あとは『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の姉妹ですね。姉の澄伽(すみか)は自己中心的で、自分が絶対に特別な人間だと言い張る存在。そんな姉を、妹の清深(きよみ)は冷静に『この人は何も現実が見えていないピエロだ』と思っている。最後にその妹が客観的な真実を見せつけて姉を破壊する話ですが、そのどちらも少女性からくるものじゃないかなと思います。自分は特別な存在だと思っているのも、滑稽だなと思って見ているー自分が特別な存在ではなく、その他大勢の一人だというのをうっすらわかっているーというのも、本当は一人の人間の中にある感情じゃないかなと。それを二つの人格に分けて書いたんです」
『ぬるい毒』
¥400(新潮文庫)
19歳の熊田に突然かかってきた、同級生と名乗る向伊からの電話。「魅力の塊のような男」ながらも人の感情を平然と弄ぶ向伊に自意識を何度も嬲られる熊田は、彼の中に何かの傷跡を残そうと目論む。5年にわたる少女の奇妙な闘争を描いた、静かに壮絶な物語。
──同じことを感じている人が多いからこそ、本谷さんの作品は求められつづけるのだと思います。
「でも私の芝居みたいに、はっきりと現実を知るタイミングが訪れて、茫然自失するというのは実際にはありませんよね。やっぱりそんな劇的ではなく、日々少しずつ別の人間に、特別でもなんでもない存在になっていくという蝕まれ方だと思います。気づいたときには面の皮の厚い、神経の太いおばさんになっていたというのがリアルですよね。『この日から、おばさんになりました』ではなく、遅効性の毒じゃないけど、ゆっくり少女ではなくなっていく。だからこそ、それをフィクションではっきりと見たいと感じるのかもしれないです」
──少女を描いた他の作家による作品で、好きなものはありますか?
「エリザベス・テイラーの『エンジェル』(白水社)かな。小さい頃から自分は有名になると言い切って、みんなにばかにされていた少女が、大人になって本当に押しも押されぬベストセラー作家になって絶頂を誇る。けれども、だんだんとその作品も古くてダサいと思われるようになり、ばかにされる存在に逆戻りする。それでもエンジェルは、自分は人とは違うという意識が薄れずに葛藤するという、女性が最後まで少女の傲慢さを持ちつづける話です。それとは別に『ここにいたらダメになる。私の凄さをわかってくれる人間のいる場所に行かなければ』とど田舎を出ていく女の子を描いた作品も、無条件に好きですね」
──少女が落ちていく描写を目にしたとき、どんな感情を抱きますか?
「『待ってました!』ですかね(笑)。『来るぞ、来るぞ』と思っていて、『ほら来ただろう!』みたいな」
──すみません。今、ちょっと気圧されました(笑)。
「たぶん、意地悪なのだと思います(笑)。昔から自分を含め、誰かが現実とたたかって、夢破れる瞬間に異様なカタルシスを覚えます。ただ意外と私、女性同士がゴチャゴチャといじめ合うような作品にはほとんど興味ないんですよね。そういう女の怖さより、少女一人一人の内面の敗北の方が面白いと感じます。だからすべての少女には、一刻も早く敗北してほしいですね(笑)」
Photo:Ayako Masunaga Interview&Text:Miki Hayashi Edit:Sayaka Ito