伝説の写真家、ソール・ライターとは? | Numero TOKYO
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伝説の写真家、ソール・ライターとは?

第一線で活躍しながら姿を消し、数十年後に思いがけず“発見”された鮮やかなる感性―。世界に衝撃を与えたその人生と作品史をたどりながら、来るべき展覧会に思いを馳せる。 (「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」2017年6月合併号掲載)

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アメリカの著名な写真キュレーター、ジェーン・リヴィングストンは、1930〜60年代、最も可能性とエネルギーに満ちていた時代のニューヨークを捉えた写真家16人を“ニューヨーク派”のもとに選出した『The New York S chool : Photographs, 1936 – 1963』展(コーコラン・ミュージアム)を企画した。92年の開催時に大変な話題となり、以後も大きな影響を与え続けてきたこの展覧会には、ロバート・フランクやウィリアム・クラインら伝説的写真家とともに、ソール・ライターも含まれていた。2015年に日本で公開された映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』も記憶に新しい彼だが、しかし本格的に知られるまでには、2000年代を待たなければならなかった。

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写真都市ニューヨークの伝説

世界には“写真都市”といえる特異な街がいくつかある。広く人々の記憶に残る写真イメージや写真集が少なからずあり、希有な才能の写真家たちを引き寄せる、そんな街である。東京であれば、やはり第一に思い浮かぶのは森山大道や荒木経惟だろうか。パリであれば、ブラッサイやロベール・ドアノーによる名作群を、世界中の誰もが知っている。

そして、ニューヨーク。摩天楼の下、多国籍の人々が行き交うこの街は、映像の世紀と呼ばれた20世紀において最も愛された地であった。特に、大戦前後の時代には才能ある人材が雑誌などのメディア業界に集い、優れたイメージを世に送り出していた。ソール・ライターは、そんな風土から登場した写真家だった。

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ライターは1923年、著名なユダヤ教の聖職者ラビの息子としてピッツバーグに生まれた。父親の後を継ぐことを期待されながらも芸術への渇望を捨て切れなかった彼は、46年、大学を中退して単身ニューヨークへと移り住み、絵を独学で学んだという。当時のニューヨークは抽象表現主義の作家たちが台頭する最中にあり、ライターも多大な影響を受けている。そして、創作のために実験的な暗室作業を試みていた画家リチャード・プセット=ダートとの出会いをきっかけに、ライターも写真作品を制作し始めた。カラー・スライドフィルムを使用した彼の写真は次第に注目を集め、数々の高級ファッション誌で毎号のように写真が採用されるようになった。70年代までは、まさに売れっ子写真家として活躍していたのである。

しかし81年、ライターは五番街にあったスタジオを閉鎖してしまう。商業主義的な仕事のやり方に馴染めず、また彼の作風が時代の趨勢から外れてしまったこともあっただろう。以後、彼はイーストヴィレッジの自宅で絵を描き、写真を撮りながら、隠遁生活を送ることとなるのだ。

運命の“再発見”を経て東京へ

Text : Akiko Tomita
Edit : Keita Fukasawa

Profile

ソール・ライター(Saul Leiter) 1923年、米ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。46年、画家を志してニューヨークへ。50〜70年代にかけて『ハーパーズ・バザー』『エル』『ヴォーグ(英国版)』などでファッションフォトグラファーとして活躍するも、81年に商業写真の世界から退く。2006年、シュタイデル社から初の写真集『Early Color』が出版され、一躍脚光を浴びる。カラー写真の先駆者として評価が高まるなか、13年に死去(享年89)。

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