華原朋美インタビュー「過去の自分を成仏させてあげることができる」
何があろうと私は大丈夫。そんな確信を持てる人は幸せだ。発展途上で未熟──。20歳そこそこで、初めての本気の恋と憧れだった仕事、その二つを一度に失ってしまうとしたら、どうだろうか? 事実、シンデレラガールとして脚光を浴びたのもつかの間、世間の羨望や称賛とは裏腹に、彼女が手にした夢の城は、歪いびつに形を変えていく。
「デビュー当時は、まさに夢見心地で、楽しくて幸せで…。だけどそれは、半年くらいのごく短い期間だった」。そんな現実から逃避するように、手を伸ばしてしまった睡眠薬や精神安定剤──。薬物によって一瞬の安らぎを感じられても、心に負った傷が完全に消えるわけではない。芸能人であるがゆえに浴びせられる好奇の目も、容赦なく彼女の心を揺さぶる。不意に襲ってくる、悲しみ、怒り、喪失感…、そんな心の闇と対峙することから逃げてしまったがために、その後10年以上も、彼女は本来の自分を見失い続けてしまった。
ずっと揺れた状態が死ぬまで続くのかなって。そんな感じでしたね。立ち直るチャンスは本当にたくさん頂いたのに、それを生かすことができなくて――。ただ、活動休止や復帰を繰り返しながらも、仕事を楽しくできていた時期はあったんです。ミュージカルの初舞台を踏んだ30歳の頃は舞台3本に自分のコンサート、バラエティー番組と、すごく充実した毎日を過ごしていたし。でも、プライベートで恋愛がガタつくと、一気にバランスが取れなくなってしまって。私には何より仕事が大事なのに、彼ができるとそれが見えなくなっちゃう。そういう自分が一番ダメでしたよね。今思うと、いろんな意味で幼かった。普通なら20代っていろんな経験から学ぶ時だけど、それを薬物依存による入退院だったり、薬物の影響下から抜けきれない不安定な精神状態のまま過ごしてしまって、いろんな意味で自立できないまま、年だけ重ねていってしまった。でも、いい加減そのせいにしたくないなって今は思っていて――。そう思えるようになったことも、やっと私自身がしっかり人生を歩めるスタートラインに立てた。そういうことかなと思ったり。(中略)
そうなんです。スーザン・ボイルさんが歌ってチャンスをつかんだ「夢やぶれて」を歌わせていただくことになって。昨日、映画を観て来たんですけど、この曲は正確に歌うというよりも、すごく表情が大事なんだろうなと思った。実は解雇される前、レミゼの舞台のオーディションを受けて、一度落ちてる歌なんです。でも、この5年間でしっかり自分を見つめ直せたことで、絶望の時期がどんなものだったかを反芻することもできた。そんな今の自分だから歌える。そういう成長もできた気がしていて。実際、映画を観ながら過去の自分を辿ったというか、はじめからそんなふうに見ちゃいけないっていう思いもあったんですけど、やっぱり重なる部分もあって、こういう機会との巡り合わせも運命なのかなって思ったり…。
私の場合は、自分で破ってしまった。今でこそ「朋ちゃん可哀想だよね、彼にフラられたから、こうなっちゃったんだよね」って言われることが、実は申し訳なく思ってるくらいで。傷つけられたという想いが相手を苦しめたんじゃないかって思ったり。でも、それを父に言ったら、いい子ぶり過ぎだと言われました。確かに本当に辛くて苦しくて、どうしてくれるの?って思っていた時期もあった。でも、やっとココに辿り着けた今、あの時の自分はもういないから――。もうそこはおしまいにしたいんです。「夢やぶれて」を歌うことで、それができるような気もしてます。過去はなかったことにできないけど、そこに引きずられるのではなく、その経験を咀しゃくし消化して、その先の自分の糧にしていく。それが成長なんですよね。そういう意味でも、この歌との出合いはありがたいと思ってる。聴いた方たちから「この歌を歌うために今までがあったんだね」って言ってもらえたら、苦しかった過去も報われるんじゃないかって。宝箱になる気がしてるの。苦しかった時期のすべてをそこに注ぐことでやっと過去の自分を成仏させてあげることができるみたいな(笑)。
“華原朋美・復帰”このニュースに対して、多くが懐疑的だったのではないだろうか。人はそう簡単に変われない。いつでもやり直せるなんて、きれい事だと。果たして本当にそうなのだろうか。彼女自身、不安はまだあるという。しかしその言葉の裏には、人は弱い生き物。だからこそ、己を過信せず甘やかすことなく生きていくんだという決意もしっかりと垣間見れる。実際、FNS歌謡祭で「I’m proud」を歌う姿に“何か”を感じた人は多いはずだ。彼女が過去の自分に別れを告げて、新たな一歩を踏み出したこと。彼女の歌声には、心を打つ何かが宿っていたこと――。今でも毎日のようにフィリピンにいる父からメールが届くという。「がんばってください。いつでも見守ってます」そんな一文を、彼女は微笑みながら目を細め、嬉しそうに眺めている。もう彼女が道に迷うことは、決してないに違いない。