小室哲哉が語る、今の想い | Numero TOKYO - Part 3
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小室哲哉が語る、今の想い

Special Interview 小室哲哉が語る、今の想い
Special Interview 小室哲哉が語る、今の想い
開国に挑戦する血筋
──KCOさんが倒れて1年が過ぎました。あの時期、深夜に時々つぶやかれていた言葉が、悲しくかつ美しかったのを覚えています。
うん。あの頃のものは考えもせず、とめどなく出てくる文字、言葉でしたから。今読み返すと、どれも歌詞になるなとは思いましたけど。
──今までの歌詞の 生み出し方とは違ったんですね。
そうですね。出さされたというか、無意識に出てきた言葉でした。あの頃、朝、目を覚ました時のことを考えて、ほぼ毎日病院にいたんですけど、彼女はあんまり覚えていないんだよね。救急車で運ばれたことすら覚えていない。脳外科的には記憶が完全に消滅しちゃうんだとか。
──感情を吐露するイメージがなかったんですけど、多くの人が目にするツイッターでつぶやき続けました。
そうですね。でも、いろんなことを教えてもらいました。同じ病状の家族を抱えていらっしゃる方もたくさんいて、何かつぶやくと「よくありますよ」なんてすぐに返ってくる。何千人じゃきかなかったと思います。本当に励まされっぱなしでした。
──弱さを出すことへの抵抗はなかったんですか?
彼女の病状がメディアで出るより、僕が伝えたほうが正しく伝わるだろうと思ったので、むしろどこよりも先に先に…と考えていました。写真も何回か出しましたけど、遠くから撮られるくらいなら、一番近いところで撮ったほうがみんなも助かるだろうなと思って。あれもツイッターの使い方のひとつだったと思います。芸能人の方が入院すると、病状を確認する電話がひっきりなしにかかってくるらしいんですよ。それが今回はいっさいなかったので、病院の方からはすごく感謝されましたね。もちろん、僕の言葉を信じて聞いてくださった方たちにも感謝しますけど。
──小室さんを見ていると、性格は穏やかなのに、人生はアップダウンも多く、決して穏やかとはいえません。芯が強くないと大変ですよね。
僕も歴史はそれほど得意ではないんですけど、僕の母方の姓が佐久間で、去年出てきた家系図によると、勝海舟、吉田松陰の師匠みたいな佐久間象山(しょうざん)という人の、自分が末裔だと知りました。海外に興味を持ち、三味線を弾いたり、詩を書いて歌っていたような浮世絵が残っている。僕の近い祖先には音楽にかかわる人がまるで見当たらず、「どこから出てきたんだろうね」と言われていたんですけど、それを知って、ちょっとみんな納得しましたね。開国を夢見て、てっぺんを夢見ていた人でしたけど、54歳の時に暗殺された。そういう意味では上も下も見てきたと思うので、自分のどこかにそういう血もあるのかと納得しました。
Photos:Kazunali Tajima Styling:Sachi Miyauchi for Self Interview & Text:Atsuko Udo

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