陶芸家・林友加インタビュー「伝統的な焼き物、志野をモダンに再解釈」
Numero TOKYO 5月号『モノトーンの表現者たち』にて紹介している志野焼の陶芸家、林友加の岐阜県土岐市にあるアトリエを訪ねた。記事でも登場する作品をNumero CLOSETにて販売。
岐阜県東濃地方を産地とする美濃焼。豊かな自然は陶芸に適した環境を作り、古くは古墳時代から、1300年以上にわたり多様なクリエーションを生み出してきた。なかでも安土桃山時代、中国の白磁に近い焼き物を目指して誕生したのが「志野」。この伝統的な焼き物に魅せられ、林友加はいま、私たちの暮らしに見合った新しい志野を模索し続けている。
──陶芸の里ともいえる岐阜県土岐市でお育ちになったのですね。
「生まれは兵庫県尼崎市なのですが、2歳の時に家族で移り住みました。祖父が窯業を営み、父も陶器関係の仕事をしていたのですが、自分は子供の頃、全く陶芸には興味がなくて。活発な子で部活ではソフトボールをやっていてどちらかといえば体育会系、高校も進学校でした」
──どのように陶芸の道へ?
「大学は関西大学の経済学部で、その後東京の会社に就職したのですが、自分の仕事にあまり興味が持てなくて。その頃、根津美術館で安土桃山時代に作られた鼠志野の茶碗を見て、まるで稲妻に打たれたような衝撃を受けたんです。まさに一目惚れ。それで先ずはやってみよう、と思い、代々木のマンションの一角にあった陶芸教室に通い始めてみたら、本当に楽しくて。2年後くらいにお勤めも辞めて土岐に戻り、陶磁器試験場に入学しました」
──初めは志野ではなく、白磁の作品を作られていましたね。
「はい。最初は日常的に使えるお皿やお湯呑みなどの器を作っていて、松本クラフトフェアをメインに展示させていただきました。その後フェアで知り合ったギャラリーでも販売していただくなど、約10年白磁をやっていたのですが、だんだん飽きて、新しいものが思いつかなくなってきて。もう、陶芸辞めようかな? とまで考えたのですが、だったら今までずっと好きだった志野に挑戦してみよう、と思い立ったんです」
──志野を作るのは難しいものなのですか?
「美濃という土地で志野をやるのは超伝統的、といってもいいことなのです。伝統的な焼き物は徒弟制度によって守られてきましたし、ありとあらゆることを先人の方たちがされてきた中で、『今さら志野をやるの?』と言われることもあり、手をつけるのは難しいと感じていました。
陶芸の世界では桃山陶がナンバーワンなのは揺るぎないとしても、自分は志野が好きだし、今、自分が見たい志野を素直に作ってみよう、と思い、初めは白磁と並行して趣味のような感じで少しずつ作っていました。その後、地道に公募展に応募していたら2〜3年後、現代茶陶展で優秀賞をいただくことができたんです。それから徐々に志野の仕事も知られるようになっていきました」
──はじめはピンクとグレイのコンビネーションによる茶碗がシグネチャーで“女性らしい志野”という形容も多かったようですね。
「ピンクは(安土桃山時代に生まれた志野が美濃で作られたことを研究し、昭和になって復興した)荒川豊蔵先生の流れを汲む色でもあります。その後、ある方と会話する中で「友加さんは普段着るものはモノトーンだし、選ぶものもミニマルなものが多いけど、焼き物はカラフルなんだね。もっと自分が好きなお洋服のような感覚で器を作ってみたら?」とおっしゃっていただくことがあったんです。
それまで志野といえばピンク、という思い込みでやっていたのですが、目から鱗が落ちる思いでした。それで「真っ黒な志野が作れないかな?」と考え、やってみることに。ただ、黒に値する焼き物といえば、この辺りでは「瀬戸黒」という種類があるのですが、それはすでにいろんな方が作っていらして、あまり自分らしさを追求することができなかったんです」
──白い焼き物を目指して生まれてきた志野ながら、黒の志野とはチャレンジングですよね。
「その後いろいろ実験していく中で、土が黒かったらいいんじゃないか? と思いついたんです。それまでは釉薬で黒の表現を探していたので、土自体を黒にする発想がなかったんです。それで原料屋さんと一緒に粘土の開発を始め、だんだんと形にしていきました。黒の土で志野を作られている方は現在もほとんどいらっしゃらないのではないか、と思います」
──モノトーンの志野。クールかつスタイリッシュでありながら、ダイナミックな強さも感じられますね。現代におけるフェミニティ=女性らしさとは単に可愛く優しいだけではない、という時代の変遷にも合致しているかのようです。
「安土桃山時代に生まれた志野は、当時にしてみれば最先端のものだったはず。戦国の時代、その世相から出てきた焼き物だと思います。自分の作品も時代の波に乗れていたらいいのですが、実際はそこまで意識しては作っていないですね。
昔ながらの陶芸をご覧になってこられた方には「これは志野ではない」といったご意見いただくこともありました。私としては、志野という技法を使いながら、日々の暮らしの中で自分が感じることを作品に落とし込んで行けたらいいな、と考えています」
──制作の際、インスピレーションはどのように得ていらっしゃいますか?
「昔は美術館に行ったり、古い焼き物の歴史を探ったりしていれば充分だったのですが、今、一番のインスピレーションといえば会話、かもしれません。尊敬する方たち、親しくしていただいている方たちとのお話の中から気づきを得ることが多いです。まずは自分が楽しく、温かな気持ちになって、それが器につながっていく、というのがベストかな。制作側が楽しんでいないと、作品を見る方にもワクワクが伝わっていかないですよね。
継続して作っている作品の中に、水注ぎや花器のように見えて実は水が入れられない『使えない』シリーズがあるのですが、それもご覧になる方にクスッと笑ってもらえたらいいな、飾っているだけで楽しい気持ちになってもらえたらいいな、そんなことを思いながら作っています。誰かと一緒に、楽しい時間を共有したい、自分はそれを陶芸を通じてやっていけたら、という感じですね」
──生活が楽しくなる陶芸。素晴らしいですね! 日本人は意識するかしないかに関わらず、元々陶芸=器とゆかりが深い文化があると思います。生活の中に器が溶け込み、子供のころから誰もが自分だけのお茶碗やお湯呑を持っていて、毎日愛着を持って使う習慣があります。
「確かに。フレンチやチャイニーズでは器はセットで作られていて、日本は独特ですよね。懐石料理では、お料理の種類によって全部違う器で出てきますし」
──そして興味深いのが人間のキャラクターやキャパシティを“うつわ”と例えること。大きかったり、小さかったりという言い方をするのも興味深いです。
「器を大事にする思い入れの強さが国民性として現れているのかもしれないですね。特にコロナ禍を経て、陶芸に興味を持つ方が増えていると感じます。女性のコレクターさんも増えて、自分のためにお茶碗を買っていただいたり、生活の中に陶芸を取り入れてくださったり、本当に嬉しいことですね」
Photos:Ai Miwa Interview & Text :Akiko Ichikawa Edit:Masumi Sasaki
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