2026年の後半はこれを観ないと始まらない! クリストファー・ノーラン監督作『オデュッセイア』

まさにいま、世界がざわついている。全米では2026年7月17日の公開直後から驚異的なヒットを記録し、ヨーロッパでも「ノーラン版『オデュッセイア』は映画の新しい基準だ」と絶賛の嵐。すでに来年のアカデミー賞最有力候補とささやかれている。マット・デイモン、アン・ハサウェイ、トム・ホランド、ゼンデイヤ、ロバート・パティンソン、シャーリーズ・セロン──いまが旬のオールスターキャストが集結し、世界中の観客が「これはノーランの最高到達点だ」と口をそろえる。そんな熱狂の中心にあるのが、クリストファー・ノーラン監督の長編第13作にして最新作『オデュッセイア』だ。

クリストファー・ノーラン監督が超大作の定義を更新する──旬のオールスターキャストで贈るモダンクラシックの金字塔
物語は、古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』を現代映画として再創造する壮大な冒険譚。主人公オデュッセウス(マット・デイモン)は、トロイア戦争を勝利へ導いた英雄。しかしその勝利は、彼自身が仕掛けた“トロイの木馬”によって多くの命を奪った罪責の上に成り立っている。映画はこの重荷を抱えた男が、妻の王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)や息子の王子テレマコス(トム・ホランド)が待つ故郷イタケへ帰る20年の旅路を、スペクタクルと心理劇の両面から描き出す。
現代最高の巨匠クリストファー・ノーランは偉大な原典に真正面から挑み、IMAX 70mmという“映画の最大画角”に神話・倫理・時間を重層的に編み上げた。全編をIMAXカメラだけで撮影するという史上初となった試みは、映画黎明期にD・W・グリフィス『イントレランス』(1916年)やセシル・B・デミル『十誡』(1923年)などが切り拓いた壮大叙事の系譜を、21世紀の技術と感性で更新するものだ。古典の威厳と最新形の躍動が同居する“超王道”の映画体験として、圧倒的なスーパーモダンクラシックが立ち上がる。

その映像世界を支えるのは、ノーラン作品史上最大規模となったロケーション撮影だ。ギリシャ、モロッコ、イタリア、マルタ、スコットランド、アイスランド──さらに西サハラの砂漠地帯まで踏破し、神々が息づいた世界を現代に呼び戻す。少年時代に父の8mmカメラを覗き込み、のちに“大型映画”の可能性を極限まで押し広げてきた映画少年は、原点へ帰りながら、同時に映画表現の頂点へと到達した。『オデュッセイア』はその歩みのすべてが結晶した、ノーランのキャリアを象徴する堂々の金字塔である。
映画のベースとなった叙事詩『オデュッセイア』は、紀元前8世紀頃の吟遊詩人ホメロスによる古典で、同じく彼の代表作『イリアス』と並び、西洋文学の礎とされる作品だ。『イリアス』がトロイア戦争の終盤を描くのに対し、『オデュッセイア』はその後日譚であり、戦いを終えた英雄オデュッセウスが故郷イタケへ帰るまでの長い旅路を描く。 この物語が「冒険譚の原点」と呼ばれる理由は、後世の文学・映画・ゲームに至るまで、主人公の成長や試練の配置など、あらゆる物語形式に影響を与えてきたからだ。「旅に出て、試練を乗り越え、帰る」──神話学者ジョセフ・キャンベルが提唱した“ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)”と呼ばれる物語構造は、現代のエンタテインメントの基礎設計そのものといえる。

本作でノーランは『オデュッセイア』に加えて『イリアス』の要素も織り込み、主演のマット・デイモンが身体性と倫理的負荷を併せ持つ演技で主人公像を再解釈。約15kgの体重減量で肉体を絞って役に臨んだという彼が、『ジェイソン・ボーン』シリーズ以来のアクションヒーローぶりを示すのもうれしい。
主題的な背骨となるのは、原典から受け継がれた二つのテーマ──「ノストス(帰郷)」と「クセニア(客人歓待)」である。ノストスの課題は、過去のノーラン作品の主人公像と深く呼応する。『インセプション』(2010年)では、夢の階層世界に潜入する産業スパイ、ドム・コブが帰れない者として描かれ、『インターステラー』(2014年)では、宇宙飛行士ジョセフ・クーパーが娘を残して旅立った瞬間から帰郷の不可能性を背負う。そして『オッペンハイマー』(2023年)では、原爆開発によって後戻りできなくなった物理学者J・ロバート・オッペンハイマーがその系譜に連なる。使命、罪責、選択の代償──彼らは皆“帰りたいが帰れない”存在だった。『オデュッセイア』は、その源泉へ立ち返り、根幹から再創造した作品でもある。

もう一方の主題であるクセニアは、劇中では「ゼウスの掟」として提示される。旅人や見知らぬ者を等しくもてなすこと──彼らは姿を変えた神々かもしれないからだ。しかし古代ギリシャの倫理がねじれ、王妃ペネロペは望まぬ求婚者たちを“客人”として迎えざるを得ない。野心家のアンティノウス(ロバート・パティンソン)をはじめとする粗暴な求婚者たちが、王宮を占拠する状況そのものが、掟の崩壊と倫理の歪みを象徴している。

そしてノーランが本作に新たに据えた主題が「贖罪」である。原典では狡知の英雄として語られるオデュッセウスを、ノーランはトロイア陥落の夜に“世界を焼いた男”として再定義し、欺き・暴力・禁忌の重さを背負い続ける人物として描く。単眼の巨人キュクロプス(ビル・アーウィン)、魔女キルケー(サマンサ・モートン)、セイレーン、海の女神カリュプソ(シャーリーズ・セロン)らがもたらす試練は、彼自身の罪責が形を変えて現れる影として立ち上がる。贖罪は、ノーランが古代叙事詩に与えた新しい心臓部であり、彼のフィルモグラフィにおける倫理の結晶点である。

旅路の中でも特に胸を締めつけるのがシノン(エリオット・ペイジ)の存在だ。古代都市トロイア(現代トルコ北西部)を陥落させるための奇策「トロイの木馬」を成立させた若き兵士であり、オデュッセウスの策略の犠牲となって磔にされた男。本作の冒頭に置かれた彼の死は、オデュッセウスの罪責の中心に位置する。のちにオデュッセウスの名乗る偽名が「シノン」であることは、物語の倫理的核をなす。それは鎮魂の祈りであり、背負うべき責任の象徴である。
ノーランの語りは一見シンプルに映るが、やはり今回も多層的で、過去・現在・未来が自在に交錯する。瞬間が“座標”として配置され、記憶が現在へ滑り込む。『TENET テネット』(2020年)で初タッグを組み、『オッペンハイマー』でアカデミー編集賞を受賞したジェニファー・レイムの編集は、時間を線ではなく空間として扱う。王子テレマコスが赤子だった頃のショットが現在の流れに挿入されるとき、観客は時制の混乱ではなく、思考の流動性を体験する。これは『フォロウィング』(1998年)や『メメント』(2000年)以来、ノーランが長年磨き続けてきた時制建築のなめらかな洗練だ。

映像はいうまでもなく圧巻。ノーランはアンドレイ・タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)の泥と火、黒澤明『乱』(1985年)の風と旗、そして“特撮の父”ことレイ・ハリーハウゼンが『アルゴ探検隊の大冒険』(1963年)や『タイタンの戦い』(1981年)などで創り出した怪物たち──それらの影響を公言し、自らの映画術の上で融合する。さらに、かつて『トロイ』(2004年/監督:ウォルフガング・ペーターゼン)の監督候補として短期間関わった因縁から、“トロイの木馬”の造形には並外れた執念が注がれた。モロッコ・エッサウィラの海岸など複数のロケ地で使用するため、高さ約35フィート(10メートル)の木馬が複数制作されている。

巨大な木馬の重量、炎上する建物の崩落、荒れ狂う海面の実写──それらは「映画の時間」に身を投じる歓びの極致だ。『オデュッセイア』は、ノーランのフィルモグラフィがひとつの焦点へ収束すると同時に、新たな地平へ踏み出す作品である。長い年月をかけて育まれた映画的思考が形を得る生成の記録であり、過去の技法が結晶し、未来の可能性が芽吹く瞬間を捉えた跳躍点だ。なにはともあれ、2026年の映画を語るなら、これを観ないと始まらないだろう。
『オデュッセイア』
監督・脚本/クリストファー・ノーラン
出演/マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、サマンサ・モートン、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン
公開中
https://odyssey-film.jp
配給/ビターズ・エンド ユニバーサル映画
© 2026 UNIVERSAL STUDIOS
photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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