名匠ガス・ヴァン・サントが蘇らせる反骨のアメリカ映画の精神『デッドマンズ・ワイヤー』 | Numero TOKYO
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名匠ガス・ヴァン・サントが蘇らせる反骨のアメリカ映画の精神『デッドマンズ・ワイヤー』

真冬のアメリカ中西部インディアナポリスに、ひとつの異様な装置が点火される。トニー・キリシスという名の男は人質の首と自分の首をショットガンとワイヤーで固定し、互いの命を握り合う“デッドマンズ・ワイヤー”を作動させ、63時間に及ぶ籠城へ踏み込んだ──。1977年に実際に起きたこの奇怪な犯罪事件は、2018年のドキュメンタリー『Dead Man’s Line』が丹念に事実を掘り起こしたことで再び注目を集めたが、2025年の第82回ヴェネツィア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミア上映された『デッドマンズ・ワイヤー』は、その出来事を改めて緊迫感に満ちた極上の劇映画として立ち上げる。描かれるのは当時の空気そのものながら、我々観客の側から見れば、暴発寸前の不信感や社会的亀裂は現代にも通じる痛みとして響き、アメリカという国の“治りきらない傷”を示唆するようでもある。

1977年の人質事件をもとにした緊迫の社会派エンタテインメント

監督はガス・ヴァン・サント(1952年生まれ)。カウンターカルチャーへの深い造詣を持ち、インディペンデントとハリウッドメジャーの間を自在に行き来しながら、優れた独自の作品群を積み重ねてきた彼は、アメリカの周縁を見つめ続けてきた映画作家だ。『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)、『エレファント』(2003年)、『ミルク』(2008年)など、社会的に周縁化された人々──マイノリティの痛みや孤独を繊細な眼差しで掬い上げ、卓越した美意識で作品に昇華してきた。本作ではその成熟が、1970年代の都市空間を丹念に再構築する力として働き、事件の輪郭を鮮烈に浮かび上がらせる。

物語の主人公は、中年の独身男性トニー・キリシス(ビル・スカルスガルド)だ。不動産ローン会社メリディアン・モーゲージ社に財産を不当に奪われた彼は、社長の息子ディック・ホール(デイカー・モンゴメリー)を人質に取り、自分とディックの首をショットガンとワイヤーで固定する“デッドマンズ・ワイヤー”を作動させ、謝罪と補償を求めて立てこもりを始める。警察すら近づけない極限状況の中、トニーは地元ラジオ局に電話をかけ、人気DJフレッド・テンプル(コールマン・ドミンゴ)を通して訴えを電波に乗せる。さらにテレビ局を現場に招き入れ、人質に銃口を向けたまま記者会見を開くという前代未聞の行動によって、一気にメディアの注目を集めていく。世論が二分され、アメリカ中が騒然とする中、ついにトニーとメリディアン・モーゲージ社の社長M・L・ホール(アル・パチーノ)の電話がつながるのだが……。

本作を語るうえで避けて通れないのが、アル・パチーノ主演のアメリカン・ニューシネマの名作、『狼たちの午後』(1975年/監督:シドニー・ルメット)との呼応だ。どちらも実際の立てこもり事件をもとにし、追い詰められた男がメディアの渦に巻き込まれる構図は驚くほど響き合う。さらに『デッドマンズ・ワイヤー』ではパチーノ自身が人質の父親であり、強引な手法で富を築いた社長M・L・ホールを演じている。映画のフレーム内に1970年代の記憶を呼び込む“生きたオマージュ”として作用しているのだ。ちなみにホール社長の妻を演じるのは、ガス・ヴァン・サントの初期の傑作『ドラッグストア・カウボーイ』(1989年)のヒロイン、ケリー・リンチ。キャリアの縦糸と映画史の横糸が交差し、作品に豊かな層を与えている。

映像面では、撮影監督アルノー・ポーティエが『コールガール』(1971年/監督:アラン・J・パクラ)のざらついた陰影を参照し、70年代映画特有の空気の重さを画面に宿らせた。ロケ地はケンタッキー州ルイビルだが、インディアナポリスの当時の街並みを丁寧に再現し、観客を1977年の都市空間へ自然に誘う。生々しい“時代の呼吸”に満ちている。アレクサンダー・ペイン監督の『ホールドオーバーズ 置いてぼりのホリディ』(2023年)もまた、『さらば冬のかもめ』(1973年/監督:ハル・アシュビー)をはじめとする70年代アメリカ映画のタッチを繊細に再現していたが、ガス・ヴァン・サントも同じく当時の質感を蘇らせて再配置し、過去の形式を現代的な物語の器として活かしている。

音楽の扱いも印象的だ。語り部として登場するコールマン・ドミンゴ演じるDJフレッド・テンプルは、実際の事件でニュースディレクターが担っていた役割を、映画的に“音楽を操る進行役”へと置き換えた存在。彼のプレイリストが物語のテンポと感情の揺れを導き、デオダート「Also Sprach Zarathustra」を皮切りに、ロバータ・フラック、バリー・ホワイト、ドナ・サマー、ダイク&ザ・ブレイザーズ、ギル・スコット・ヘロン「The Revolution Will Not Be Televised」など、1960〜70年代の名曲が次々と流れ込んでくる。またトニーがパトカーを奪って逃走する場面では、ラビ・シフレ「Cannock Chase」が軽やかな昂揚を添える。この曲はヨアキム・トリアー監督『センチメンタル・バリュー』(2025年)のエンディングにも使われたばかり。奇しくもそこにはビル・スカルスガルドの父ステランが出演していた。さらに『明日に向って撃て!』(1969年/監督:ジョージ・ロイ・ヒル)で知られるB・J・トーマス「雨にぬれても」が皮肉なタイミングで挿入され、物語にほろ苦い詩情を落とし込む。

こうした“時代の記憶”は懐古趣味にとどまらない。63時間の籠城を続けたトニー・キリシスの姿には、かつての周縁者の影と共に、21世紀のアメリカン・ドリームの梯子を外された者の痛みが重なる。住宅ローン破綻、医療費破産、企業による搾取、中間層の消滅──現代アメリカの問題は、彼の行動の背景に静かに滲む。ガス・ヴァン・サントは、かつての反逆者の系譜を引き継ぎながら、その輪郭を現代の社会的弱者へとそっと上書きしている。トニーは単なる犯罪者ではなく、社会の外側へ押し出された男が“自分の物語を奪い返そうとする”存在として描かれ、その決死の悪あがきは観客の胸に重く沈むことだろう。ガス・ヴァン・サントの成熟したまなざしは、周縁に追いやられた者たちの声に寄り添い、希望と苦味を同じ手つきで差し出す。『デッドマンズ・ワイヤー』の余白に残るのは、ただの時代再現ではなく、いまも社会の深層を震わせる静かな衝撃の余韻である。

『デッドマンズ・ワイヤー』

監督/ガス・ヴァン・サント
出演/ビル・スカルスガルド、デイカー・モンゴメリー、ケイリー・エルウィス、マイハラ、コールマン・ドミンゴ、アル・パチーノ
7月17日(金)より全国公開
https://movies.kadokawa.co.jp/deadmanswire/

配給/KADOKAWA
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

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