俊英監督・三宅唱によるロカルノ国際映画祭グランプリ作品『旅と日々』

日本を代表する若手映画監督のホープ──というより、もはや新たな名匠の風格を備えつつあるのが三宅唱(1984年生まれ)だ。彼の長編最新作となる『旅と日々』は、89分のコンパクトな尺に堂々の実力証明の演出力と、映画の原理を再発見するような瑞々しさが同時にあふれ、まさに逸品。
三宅監督の近作は『きみの鳥はうたえる』(2019年)、『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)、『夜明けのすべて』(2024年)の三作がベルリン国際映画祭に出品されたが、今作は本年(2025年)8月に催されたスイスの第78回ロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペテイション部門でグランプリ(金豹賞)とヤング審査員賞のW受賞を果たした。
三宅監督がロカルノ国際映画祭に選出されたのは『Playback』(2012年)以来2度目。ちなみに日本からの出品で同映画祭の最高賞を獲得したのは、衣笠貞之助の地獄門(1953年/受賞は翌54年)、市川崑の『野火』(1959年/受賞は61年)、実相寺昭雄の『無常』(1970年)、小林政広の『愛の予感』(2007年)に続く5度目の快挙だ。

シム・ウンギョン、河合優実、堤真一ら豪華キャストが珠玉の豊饒な時間を紡ぐ
『旅の日々』の原作は、つげ義春(1937年生まれ)。1950年代後半から活動を始め、前衛的な漫画表現の可能性を切り拓いた伝説的な漫画家であり、「漫画界のゴダール」と評されたことも。2020年にはフランスのアングレーム国際漫画祭の特別栄誉賞を受賞したことも記憶に新しい。今回の企画・プロデュースは映画制作会社セディックインターナショナル。同様のラインの企画として、昨年(2024年)は片山慎三監督の日本・台湾合作『雨の中の慾情』が公開された。三宅監督は「海辺の叙景」(1967年)と「ほんやら洞のべんさん」(1968年)という初期の『ガロ』誌(青林堂)に発表された傑作短編をチョイスし、メタフィクション的な重層構造の設計で独自に再構築した。

スタンダードサイズ(1:1.37)の画面には、まずある街並み(東京の下町のようだ)を見下ろしたショットが映し出される。続いて自室で鉛筆片手にテーブルに向かう女性が登場し、ノートにハングル文字で「S#1(シーン1)夏、海辺」と書き始める。彼女の名は李(シム・ウンギョン)。日本で執筆活動を続ける脚本家の韓国人女性だ。李はさらに考えを巡らせ、また鉛筆を走らせる。「行き止まりに一台の車。後部座席で女が目を覚ます」と──。
この印象的な導入部を経て、「海辺の叙景」の映画化パートが始まる。車の後部座席で目を覚ます“女”とは渚(河合優実)。運転席には彼氏らしき男がいるが、単独行動を始める渚。やがて夏の離島のビーチで若者たちが遊びに興じる中、ひとり文庫本を読みながら佇む青年・夏男(髙田万作)に、他に誰もいない岩場の浜辺で出会う。何を語るでもなく、夜までなんとなく散策するふたり。翌日、台風12号の上陸が近づき大雨が降りしきる中、彼らははまた別の浜辺で会う。「明日、帰ることにしたから」と告げた渚はビキニ姿になって海に入り、夏男も続く。荒れ模様の海でふたりはただ泳ぐのだが……。

ゴダールを彷彿させるカメラの横移動と弦楽器のスコア(音楽はHi’Spec)も印象的だが、全体としてはジャック・ロジエ監督のバカンス映画に、アントニオーニ風のアンニュイな空気感を漂わせたような趣とでもいえるだろうか。風のざわめき、波の音。評論家の石子順造が「存在論的反マンガ」と評した、つげ義春のアンチドラマ志向──風景と時間、意識の流れに重きを置いた特異な表現が、鋭敏で繊細な知覚により採取された有機的な素材をもとに、鮮烈かつ澄明なシネマとして立ち上がる。端的に見事な原作の映画化だ。ロケーションは伊豆諸島の神津島のようだが、漁村の歴史がモノクロの記録写真で示される箇所などはアニエス・ヴァルダ監督の『ラ・ポワント・クールト』(1955年)を思わせる。

ところでこの「海辺の叙景」パートは、冒頭からの展開が示すように、つげ義春の漫画を原作に李が執筆した脚本の映画化という設定──教室のスクリーンに映写された劇中劇なのだ。この短編映画を大学の授業の一環で上映した後、学生との質疑応答で映画の感想を問われ、「私には才能がないな、と思いました」と答える李。そして大学の先生に扮する佐野史郎が、『めまい』(1958年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)のキム・ノヴァクのように(?)一人二役を演じる不思議な中継点を経て、冬になり、李は列車に乗って雪国へとひとり旅立つ。そう、『旅の日々』は風変わりなロードムービーでもあるのだ。

ここからの後半部が「ほんやら洞のべんさん」パートとなる。どこにもホテルを予約せずに雪荒ぶ中を彷徨うことになった李は、唯一まだ泊まれるという山奥のおんぼろ宿を訪ねていく。まるで商売っ気のないこの宿を営む主人のべん造(堤真一)は、李のことを「おたくさま」と呼ぶ偏屈そうな男。なんでもない言葉を交わすうち、べん造は李の脚本の仕事に興味を持ったようだ。そしてある夜、べん造は李を夜の雪の原へと連れ出すのだが……。
撮影は山形のようだが(スタジオセディック庄内オープンセット)、このパートでは日本のローカルな風景と、世俗から隔絶された異界のごとき幻想性が絡み合い、おとぎ話のような趣も強い。

ふたつの季節を通じて描かれるのは、見知らぬ者同士の出会いと、言葉を超えた触れ合い。これまでの三宅作品と同じように、「横並び」で接するふたりの姿がよく映し出されるが、今作ではとりわけ非言語的なコミュニケーションに力点が置かれている。「私は言葉の檻の中にいる。旅とは言葉から離れようとすることかもしれない」という李の独白(ナレーション)が入るように、彼女はべん造との奇妙な交流の中で“意味”の牢獄から離れていく。李に扮するシム・ウンギョンには、バスター・キートンのイメージがあったと三宅監督は語っているが、非言語的なコミュニケーションはサイレント映画の在り様への遡行の試みともいえる。

また脚本家を主人公にすることで、本作は“いかに映画が立ち上がるか”を見つめて再考する映画論映画の色合いが濃くなった。このような「映画についての映画」――メタシネマ志向は、韓国人俳優の起用もあるせいか、ホン・サンス監督の諸作を連想させる。『浜辺の女』(2006年)など、スランプ中の映画監督を主人公として立てることがホン・サンス作品では多い。自主映画を作りたいという衝動に駆られていくベテラン小説家の女性を描いた『小説家の映画』(2022年)では、主人公の撮った短編(という設定の映像)が劇中最後に上映される(実際スクリーンに映し出されるのはその一部)。三宅唱×ホン・サンスの共鳴は果たして偶然か、必然か? とはいえ、『旅と日々』が紡ぎ出す主人公の内面変化や人間的なつながりの美しさは、もちろんまったく独自のものだ。
撮影を務めたのは、『ケイコ 目を澄ませて』『夜明けのすべて』に続き三宅監督とタッグを組む名手・月永雄太。前二作は16mmフィルムだったが、今回はデジタルカメラを使用。録音の川井崇満、照明の秋山恵二郎、編集の大川景子など信頼のチームが結集し、小さな映画ながら、とてつもなく豊饒な愉楽を生み出した。
『旅と日々』
監督・脚本/三宅唱
原作/つげ義春「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」
出演/シム・ウンギョン、堤真一、河合優実、髙田万作、佐野史郎
TOHOシネマズ シャンテ、テアトル新宿ほか全国公開中
www.bitters.co.jp/tabitohibi
配給/ビターズ・エンド
© 2025『旅と日々』製作委員会
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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