限定上映の大反響を受けて待望のロードショー公開!『トレンケ・ラウケン』 | Numero TOKYO
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限定上映の大反響を受けて待望のロードショー公開!『トレンケ・ラウケン』

まさしく世界最尖鋭のとてつもない大傑作にして超怪作映画が正式公開される。2022年製作のアルゼンチン・ドイツ合作。第79回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門を皮切りに、第60回ニューヨーク映画祭など世界各地の映画祭で話題を呼び、2023年のカイエ・デュ・シネマ誌年間ベストテンで堂々第1位に選出。それがインディペンデントな協働活動を20年以上継続してきたアルゼンチンの映画コレクティブ「エル・パンペロ・シネ」の集大成的作品となる『トレンケ・ラウケン』だ。

南米アルゼンチンから届いた衝撃の大傑作が現代映画の地図に屹立する

監督はこの映画製作集団の一員であるラウラ・シタレラ(1981年生まれ)。約14時間というアルゼンチン映画で史上最長の上映時間を持つ極限的な巨編『ラ・フロール 花』(2018年/監督:マリアノ・ジナス)などではプロデューサーを務め、彼女自身の長編監督作としてはこれが第4作目となる。ニュー・アルゼンチン・シネマ・ムーヴメントを代表する決定的なマスターピースと言える本作は、日本でもラテンアメリカ映画研究者の新谷和輝氏の尽力により、昨年(2024年)の年末に下高井戸シネマで4日間だけ限定上映。その大反響を受け、全国順次ロードショー公開が実現したという次第だ。

タイトルの『トレンケ・ラウケン』は、アルゼンチンのブエノスアイレス州西部にある実際の都市の名前。先住民の言葉で「丸い湖」を指す。物語はこの田舎町トレンケ・ラウケンを舞台に、植物学者の女性ラウラ(ラウラ・パレーデス)の失踪をめぐって展開する。平原に消えた彼女を追って探す男性ふたり、恋人ラファエル(ラファエル・スプレゲルブル)と同僚エセキエル(エセキエル・ピエリ)の視点でまずは起動しつつ、この迷宮的ミステリーは謎がさらなる謎を呼ぶ。作品設計は全編で4時間20分──260分の長尺であり、Part1(128分)とPart2(132分)の2部構成かつ全部で短い12章に分けられたもの。チャプターごとに話者や主人公が入れ替わり、多様なジャンルが交錯し、逸脱と脱線を繰り返して多方向へと拡張する、極めて独特なストーリーテリングを見せていく。

例えば“La Aventura(冒険)”と題された第1章は、忽然と姿を消したひとりの女性をめぐって、残されたふたりが彼女の行方を捜し始める──という初期設定からも、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『情事』(1960年/原題は同じく“冒険”)を連想させるものだ。また失踪した植物学者ラウラ(Laura)の英語読みはローラであり、ひとつの土地やコミュニティにまつわる多層的な群像ミステリーという点からも、デヴィッド・リンチ監督のドラマシリーズ『ツイン・ピークス』(1990年~1991年)のローラ・パーマーを彷彿させる。しかしこれはあくまで物語の始まりに過ぎない。本作の醍醐味はあまりに特異なプロセスの劇的ダイナミズムにある。Part1では男性たちがラウラを探す過程が描かれるが、物語を駆動するのはラウラをはじめとする女性たち。Part2では男性たちは後景に退き、女性たちの物語が中心となるが、多様な視点の転換が行われ、探偵物語や実話犯罪、メロドラマ、クィア、フェミニズム、SF、超自然的ホラーなどさまざまなジャンルや要素の越境と吸収、奇妙な融合が行われる。それはまったく新しい物語の形式を模索し、未知の扉を開いていくような映画の実験だ。

また劇中でラウラは、地元の図書館でロシアの革命家・作家であり、先駆的なフェミニストであるアレクサンドラ・コロンタイ(1872年生~1952年没)の著作を借りた際、黄ばんだページの間に隠されていた古い手紙を発見する。そして同じ寄贈者からの他の書籍を借りると、既婚男性が教師の女性に宛てた1960年代の熱烈なラブレターが大量に見つかった。ラウラは当時人知れず彼らが育んでいた秘密の恋の物語に魅せられてしまう。この“テキストの中から全然別のテキストが出てくる”というポストモダン的な入れ子構造は、アルゼンチンの伝説的な作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899年生~1986年没)の小説を思わせるイメージ/ギミックだ。

また“知られざる作家(テキストの書き手)捜し”というモチーフは『野生の探偵たち』などで知られるチリ出身の作家、ロベルト・ボラーニョ(1953年生~2003年没)からの影響がうかがえる。ちなみに2023年のカイエ・デュ・シネマ誌年間ベストテンで『トレンケ・ラウケン』に次いで第2位に選出された『瞳をとじて』(2023年/監督:ビクトル・エリセ)もまた、失踪した人物を捜索するというボラーニョ的主題を応用したものだった。

以上のような解説も、この巨大な映画の魅力の全貌を表すほんの一部に過ぎない。音楽の使い方も編集の組成も異次元的で魔術的だが、マジックリアリズムといったラテン系創作物の紋切り型ではとても形容が追いつかない。『トレンケ・ラウケン』はどんな絵が浮き出るか予想できない異形のパズルであり、無数のコンセプトが蠢くメタフィクションであり、転移と解体と再定義が繰り返される風変わりなジャンルミックスであり、謎解きの快楽も既成のコードも無化して吹き飛ぶ分類不能のカルトムービーだ。破格のエキセントリックな寓話、あるいは正体不明の神話として、現代映画の地図の中に不気味なほどの高度で屹立している。


そしてうれしいことに、『トレンケ・ラウケン』公開を記念して、ラウラ・シタレラ監督の全長編作品が特集上映されている(「ラウラ・シタレラ監督特集」/ユーロスペース、下高井戸シネマほか全国ロードショー)。長編デビュー作にして『トレンケ・ラウケン』につながるサーガの一編でもある『オステンデ』(2011年)をはじめ、第2作『ドッグ・レディ』(2015年)、第3作『詩人たちはフアナ・ビニョッシに会いに行く』(2019年)というラインナップ。「エル・パンペロ・シネ」常連の役者やスタッフたちとシタレラが切り開いてきたインディシネマの可能性。この唯一無二のクリエイションと一挙に出合える最高のチャンスだ。

『トレンケ・ラウケン』

監督・脚本/ラウラ・シタレラ
出演/ラウラ・パレーデス、エセキエル・ピエリ
4月26日(土)より、ユーロスペース、下高井戸シネマほか全国公開
http://trenquelauquen.eurospace.co.jp/

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

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