94歳の巨匠フレデリック・ワイズマン監督が迫る世界最高峰の美食の世界 | Numero TOKYO
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94歳の巨匠フレデリック・ワイズマン監督が迫る世界最高峰の美食の世界

1930年1月1日生まれ、ただいま94歳という最長寿にして世界最高峰のドキュメンタリー映画作家、フレデリック・ワイズマン。1967年、精神異常犯罪者を収容する州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を捉えた初監督作『チチカット・フォーリーズ』から、アメリカを中心にあらゆる施設や組織、業界の内部に足を踏み入れてきた彼が、2023年の最新作でカメラを向けたのは、自身の生年と同じ1930年に創業したフランス料理界屈指の名店「トロワグロ」だ。

現在はリヨンの西、約65マイルにあるフランス中部の牧歌的な地域、ウーシュの邸宅で暮らすトロワグロ・ファミリー。なだらかな緑の丘の中、樹齢100年のオーク材の天蓋の下にレストランを併設(2017年に建築家パトリック・ブシャンが建てたもの)。1956年にミシュランの星を獲得し、1968年以来、55年間三つ星を持ち続ける名門中の名門だ(奇しくもワイズマンの監督としてのキャリアとほぼ重なっている)。この親子4世代に渡り家族経営を継続している世界でも希有なフレンチレストランで、2020年の夏、初めて友人とテーブルを囲んだワイズマン監督は、感激のあまりその場で4代目シェフのセザールにドキュメンタリー映画の撮影を依頼。2022年から実際に撮影を始め、ワイズマンが初めて料理芸術の世界をモチーフにした4時間(=240分)の逸品が完成した。

長編ドキュメンタリーとしては『ボストン市庁舎』(2020年)に続く44作目(その間に文豪レフ・トルストイの妻ソフィアを描いた63分の劇映画『A Couple』〈2022年〉を撮っている)。本作はワイズマンの究極的な円熟の一作として迎えられ、2023年の第58回全米映画批評家協会賞ノンフィクション映画賞、第89回ニューヨーク映画批評家協会賞ノンフィクション映画賞、第49回ロサンゼルス映画批評家協会賞ドキュメンタリー映画賞など数多くの賞に輝いた。

映画はロマンヌ駅前のマルシェで野菜を買い出しするシーンから始まる。トロワグロ家の長男にして4代目シェフのセザールと、彼の弟でロワール湖畔にある店「ラ・コリーヌ・デュ・コロンビエ」のシェフを務めるレオ。まもなくこの兄弟に、3代目オーナーシェフの父親ミッシェルが加わり、軽食を提供するブラッスリー「ル・サントラル」でメニュー会議が行われる。

やがて登場するトロワグロのスタッフたち。ウーシュの豊かな自然の中、この世界の美食家たちが憧れる三つ星レストランがいかなる食材を使っているのかを細かく見せていく。ザリガニやカエル、仔羊の脳ミソ、「日本のバジル」ことシソなども……。そして日々の仕入れから開店前の下ごしらえ、テーブルセッティング、ランチタイムのミーティング、開店後のホールや厨房の様子、ディナータイムのおもてなしまで、仕事の内幕とそのプロセスを解析するように追っていく。またシェフたちは自然な牧草だけで牛を育てているウーシュの畜産農場や山羊の牧場とチーズ制作所、有機栽培の野菜農園やワイナリーなども訪れる。食の探究において環境と未来を守るパーマカルチャー(持続可能な農業と文化)は欠かせないものだ。さらに繰り返される試作と試食、忌憚なきディスカッションなど、美食という創造に挑むひとつのプロフェッショナルな共同体のメカニズムやチームワークが具体的に明かされていく。

こういった「食のバックヤード」を描く映像作品は昨今の人気ジャンルでもあり、ロンドンの高級レストランの波乱の裏側を90分全編ワンカットで捉えたイギリス映画『ボイリング・ポイント/沸騰』(2021年/監督:フィリップ・バランティーニ)、エミー賞やゴールデングローブ賞に輝く傑作ドラマシリーズ『一流シェフのファミリーレストラン』(2022年~Disney+でシーズン3まで配信中)など、最近も注目作が続々生まれている。

その中でも異彩を放つワイズマンの一貫した特徴は、ナレーション、インタビュー、音楽を一切加えず、緻密な編集作業を重ねて映像素材に“語らせる”スタイルである。「ダイレクト・シネマ」と呼ばれるその手法(この影響下にあるのが例えば想田和弘監督の「観察映画」だ)から、ひとつの環境の中で多様な生の形がうごめくリアルな人間群像が浮かび上がる。ワイズマンの最も大枠の主題は「制度と個」の関係だが、特に組織を通り過ぎる人々それぞれの緊張や融和の詳細が肝となる。我々観客としては通常なら見られない深部まで案内してくれる、とびきり贅沢な社会見学ツアーに参加するような体験だ。

この至福のドキュメンタリーを観れば、ミシュランのグリーンスターに輝く家族経営のレストランがなぜ94年間も変わらずに愛されてきたのか、その秘密と真髄がつかめるかもしれない。また国立劇団の全貌に迫った『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』(1996年)、世界最古のバレエ団の聖域に密着した『パリ・オペラ座のすべて』(2009年)に続く、ワイズマンによる貴重なフランス文化・芸術シリーズの最新版としても心ゆくまで堪能したい。

『至福のレストラン/三つ星トロワグロ』

監督・製作・編集/フレデリック・ワイズマン
出演/ミッシェル・トロワグロ、セザール・トロワグロ、レオ・トロワグロ、マリー=ピエール・トロワグロ
8月23日(金)より、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
https://www.shifuku-troisgros.com/
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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