フェミニズムの見地から鋭利な問題提起を投げかける。映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』 | Numero TOKYO
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フェミニズムの見地から鋭利な問題提起を投げかける。映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』

前作『ボーダー 二つの世界』でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを受賞し、映画界の注目を集めた鬼才アリ・アッバシが描く衝撃の最新作『聖地には蜘蛛が巣を張る』。彼が着想を得たのは、イランの聖地マシュハドで殺人鬼“スパイダー・キラー”が16人もの娼婦を殺害した連続殺人事件だ。

なぜ男は「正義」の名のもとに娼婦を連続殺害したのか──?
鬼才監督アリ・アッバシによるカンヌ受賞のクライムスリラー

強烈な映画だ。イランで実際に起きた娼婦連続殺人事件をもとにした異色のクライムスリラー。監督はイラン出身で、北欧を拠点に活躍する1981年生まれの鬼才アリ・アッバシ。デンマーク・ドイツ・スウェーデン・フランス合作のヨーロッパ映画なのだが、ペルシア語を使用し、規制や検閲の厳しいイラン国内では描けないタブー視される現実に斬り込んだ傑作にして問題作でもある。

映画は2001年が舞台となる。イスラム教シーア派の聖地マシュハドで、娼婦を標的にした連続殺人事件が発生していた。“スパイダー・キラー”と呼ばれる殺人者は「街を浄化する」という声明のもと、ムスリマ(女性のイスラム教徒)が頭や身体を覆うヒジャブを二重に結び、それで被害者の首を絞めるという残虐な犯行を繰り返す。

この非道な絞殺魔の行為に住民たちは震撼するが、しかし一部の人々には「汚れた女たちを聖地から排除している」と犯人を英雄視する空気もあった。

この事件の真相を追うべく、テヘランからやってきたのがジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)だ。彼女は事件を覆い隠そうとする不穏な圧力にさらされながらも、危険を顧みず取材にのめり込んでいく。やがて犯人の正体にたどりついた彼女は、家族と暮らす平凡な男の心に潜んだ狂気を目の当たりにする……。

実のところ、この事件の犯人は映画の早い段階で提示される。それはサイード・ハナイという中年男で、実在した同名のシリアルキラーがモデルだ(映画ではイランで活躍する俳優、メフディ・バジェスタニが演じている)。彼は一見、普通の善良な市民に見える。時折、多少怒りっぽいところは垣間見せるものの、私生活では良き父として、妻子と幸福な家庭生活を送っている。さらに宗教的にも敬虔な信者であるという。

裁判にかけられるまでに16人もの女性を殺害した本物のサイード・ハナイの姿は、『And Along Came a Spider』という約50分のドキュメンタリーで観ることができるのだが、映画以上にありふれた男の印象で逆にゾッとするほどだ。

なぜサイードは連続殺人という異常な行動に走ったのか? 映画の中でさりげなく説明されることを拾えば、彼はかつてイラン・イラク戦争に従軍していた。しかし戦場で「殉死」できなかったことに不全感を抱えている。「人生で何か成し遂げたい。戦争がもっと続いていれば俺だって……」とも劇中で呟くサイードは、この聖地マシュハドで「街の浄化」という身勝手な大義を掲げ、娼婦として働く女性たちを始末していくことを自分のミッションだと思い込んでしまったわけだ。「戦争の英雄」になれなかったことを悔いるサイードは、慣習としてのトキシック・マスキュリニティ(有害な男性らしさ)に強く抑圧された存在ともいえるだろう。

こういったサイードの人物像から連想されるのは、マーティン・スコセッシ監督の1976年の名作『タクシー・ドライバー』ではないか。あの映画でロバート・デ・ニーロが演じたトラヴィスという男は、ヴェトナム戦争のPTSDを負いながらニューヨークを彷徨い、やがて当時13歳のジョディ・フォスターが演じた娼婦の少女に出会って、まさに「街の浄化」に乗り出していく。ちなみにこの『タクシー・ドライバー』をベースにした映画が、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』(2019年/監督:トッド・フィリップス)。本作のサイードもまた、「正義」あるいは「社会」の形次第で、善良な市民でもジョーカーに成り得るかもしれないことを示すシンボリックなキャラクターとして設計されているようだ。

そのシリアルキラーが掲げる身勝手な「正義」に、なぜか同期してしまう「社会」の実相や歪みを強調する登場人物が、ジャーナリストのラヒミである。実在した殺人犯サイードと、彼を追うジャーナリストの女性(こちらは架空の、映画独自に創作したキャラクター)の二焦点の作劇にすることで、ジェンダーバイアスやミソジニーにまつわる問題意識が明確に前面化している。勇気あるラヒミを熱演したザーラ・アミール・エブラヒミは、第75回(2022年)カンヌ国際映画祭コンペティション部門で女優賞に輝いた。

監督のアリ・アッバシはテーマや主張を尖鋭化させるため、ルポルタージュ的な生々しさにフィクショナルな要素を絶妙に付け加えた。例えば最初の犠牲者が出る冒頭、アヴァンタイトルの部分でニュース音声が流れる。「午前9時2分、ユナイテッド機が南楝に突入――」と。つまりアメリカ同時多発テロ事件、2001年9月11日の設定だとわかる。ところが実際にサイードによる連続殺人事件が起こったのは2000年らしい。わざわざ時期設定を少しズラしたのは、続けざまに起こったふたつの事件がアッバシ監督の中で印象が重なったから。すなわち各々が掲げる乱立的な「正義」の暴走による負の連鎖。その意味で9.11とサイードの事件はワンセットであり、同質のパラレルな問題であるとこの映画は語っているのだ。

実際にマシュハドでロケーションするのは不可能なため、本作の撮影はヨルダンで行われたが、むしろ特定の場所に限定されない風刺寓話の強度を獲得したように思える。サウンドデザインも秀逸で、「街の浄化」に乗り出していくサイードが跨がるバイクの音など、現実音を荒々しく強調。そこにザラザラしたノイジーな感触のあるスコアが交ざっていく。禍々しくパワフルな迫力を湛えながら、細部まで緻密に計算された作りである。

アリ・アッバシ監督の映画術は独特かつ破格であり、世界から熱い注目が注がれている。長編デビュー作はデンマークを舞台にした『マザー』(2016年/日本では2022年に特集上映「未体験ゾーンの映画たち」で初公開)。長編第2作はスウェーデンが舞台の『ボーダー 二つの世界』(2018年)で、第71回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門グランプリを受賞。この前2作はホラーやダークファンタジーをベースにしたもので、今回の『聖地には蜘蛛が巣を張る』と作風は異なるのだが、主題の立て方は共通している。いずれも疎外された女性を主人公とした物語で、格差や階層、ルッキズムやジェンダー、善悪など、社会のボーダー、システムやコードに風刺的、あるいは批評的な目を向けている。まさしく現代に鋭利な問題提起を投げかける社会派ジャンル映画の名手だと言えるだろう。さらに2023年からは大人気ゲームを原作にしたドラマシリーズ『THE LAST OF US』(HBO製作/日本ではU-NEXTで配信中)の監督陣にも参加している。

アッバシ監督は自身に多大な影響を与えた映画作家として、まずルイス・ブニュエルと、そして『ジャンヌ・ディエルマン、ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975年)が英国映画協会(BFI)の映画誌サイト&サウンドでオールタイムベスト映画の第1位に選出されるなど再評価著しい女性監督、シャンタル・アケルマンを挙げている。フェミニズムを戦闘的に打ち出している意味で、『聖地には蜘蛛が巣を張る』はアケルマンのラインが特に強く出た作品ともいえるかもしれない。

本作はイラン社会の闇をえぐるものだが、じゃあ日本だったらどうなるか。文化背景は大きく違えど、意外に似た部分が出るんじゃないか。2022年度版のジェンダーギャップ指数を紐解くと146カ国中、イランは143位。しかし日本だって116位という低い順位である。歪んだ「正義」が新たに循環していく予感をはらんだ戦慄のラストなど、他人事ではない怖さに満ちているのだ。

『聖地には蜘蛛が巣を張る』

監督・共同脚本・プロデューサー/アリ・アッバシ
出演/メフディ・バジェスタニ、ザーラ・アミール・エブラヒミ
4/14(金)、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、TOHO シネマズ シャンテほか全国順次公開
https://gaga.ne.jp/seichikumo/

配給/ギャガ
©Profile Pictures / One Two Films

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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